エピローグ 『さっちゃんの手紙』
現代。
午後の穏やかな陽ざしが、リビングの窓から差し込んでいた。
カーテン越しの光は柔らかく、時間そのものが少しだけ、足を緩めているようだった。
テーブルの上には紅茶と、小さなレターセット。
さっちゃんはペンを置き、書き終えた便箋を丁寧に折る。
「……ねえ、アル」
「ん?」
「手紙ってさ、不思議だよね。今ここにいない誰かに、自分の“今”を渡すんだもん」
アルはカップを持ったまま、少し考えてから答えた。
「魔界にはなかった文化だな。記録はあっても、想いを残すものじゃなかった」
「でしょ?命令も、報告も、全部“正確さ”だけだった」
さっちゃんは封筒に便箋を入れ、ふっと微笑む。
「でも人間は、正確じゃなくても書く。迷って、言い淀んで、それでも渡したい気持ちがあるから」
「……さっちゃん、らしい解釈だ」
「アルに教わったのよ?」
アルは一瞬言葉に詰まり、視線を逸らす。
「俺は、ただ観察しろって言っただけだ」
「違う。“意味を考えろ”って言った」
その言葉に、アルは苦笑した。
「……覚えてたのか」
「忘れるわけないでしょ。あたしの人生、そこから始まったんだから」
少し沈黙。
それを破ったのは、アルのほうだった。
「正直に言うとさ」
「うん?」
「さっちゃんがこんなふうに、穏やかに笑ってるのを見ると……
まだ夢なんじゃないかって思う」
「またそれ」
「だってさ。あの時、胸を貫かれて、それでも“生きたい”って言った君を抱えてた俺は、この未来を想像できなかった」
さっちゃんは、椅子ごとくるりと回ってアルの正面を見る。
「じゃあ聞くけど」
「なに?」
「あの時、後悔してる?」
アルは、即答だった。
「してない」
「即答すぎ」
「迷う要素がない」
彼はゆっくり続ける。
「すべてを失った。でも、さっちゃんが“選んだ”人生を生きてる。
それ以上の価値は、俺にはない」
さっちゃんは一瞬だけ黙り、照れ隠しのように鼻を鳴らした。
「……ほんと、昔の魔界貴族どこ行ったのよ」
「捨ててきた」
「雑!」
「重かったから」
二人は笑う。
その時、隣から声がした。
「相変わらず仲いいわね」
幸子だった。
さっちゃんはくるりと幸子に向き直る。
「ねえ、知ってる?あたし今、毒舌を学んで“ツッコミの鬼”になったのよ」
「えぇ……なんで毒舌に」
幸子が笑うと、アルが肩をすくめる。
「人間社会では、ツッコミは重要な防衛手段らしい」
「アルが真顔で言うと説得力あるのやめて」
「人間観察の成果よ」
さっちゃんは楽しそうに言った。
「人間って、面白い。泣いて、笑って、裏切って、それでも手を取り合う。
合理的じゃないのに、そこが一番強い」
アルは、彼女を見つめながら静かに言う。
「さっちゃんはもう、立派な人間だよ」
「……肩書きいらない」
「じゃあ、なんて呼べばいい?」
さっちゃんは少し考えて、にっと笑った。
「アルが選んだ、“生きてる存在”」
アルはその言葉に、目を細めた。
「それでいい」
彼はさっちゃんの手を取り、そっと握る。
戦いで何度も血に染まり、今は人の温もりを知る指。
「俺はね、まだ怖いんだ」
「何が?」
「この平穏を、失うのが」
さっちゃんは、ぎゅっと握り返した。
「だったらさ」
「うん」
「失わないように、生き続けよう。笑って、怒って、ツッコんでさ」
「……さっちゃんは強いな」
「違う」
さっちゃんは、はっきり言った。
「弱いから、選び続けるの」
幸子もそっと、その輪に手を添える。
かつての“魔界の貴族”。
かつての“人間として生まれなかった少女”。
そして、今を生きる人間。
三つの時間が、重なった。
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親愛なるアイゼンハワード
あの日、世界が終わってもいいと思った。
でも、終わらせなかった。
あなたがいたから。
あなたの手が、あたしの手を放さなかったから。
たったひとりでいい。
たったひとつでいい。
守りたいと思えるものに、出会えた。
この命を、もう誰にも奪わせない。
あたしは生きる。
笑って、怒って、ツッコんで愛して、生きる。
そのすべてに、ありがとう。
BY さっちゃん
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アルと幸子、そしてさっちゃん。
過去を越えた者たちは、今、新たな一歩を踏み出す。
それは、世界を救う物語ではない。
たったひとつの心を、最後まで選び続けた物語だ。
『 歯車に刻まれた心⚙魔界貴族アイゼンハワード』
――完――




