第6話 闇の司祭の洗礼
地響きとともに、街の一角が崩れ落ちた。
瓦礫が夜を裂き、悲鳴が炎に呑み込まれていく。
祈りの街は、もう祈ることを許されていなかった。
煙と血と絶望が混じり合う戦場に、二つの影が降り立つ。
ひとつは、黒衣の魔族。
かつて「血塗られた伯爵」と恐れられた男
アイゼンハワード・ヴァル・デ・シュトラウス。
今はただ、アルと呼ばれている。
そしてもうひとつは少女。
赤い髪。無表情な瞳。身長は百四十センチほど。
細い手足と、あどけなさの残る顔立ち。
だが、その立ち姿には一切の迷いがなかった。
まるで魂の入っていない人形のように。
「投入地点、確認」
少女は淡々と告げる。
「G-04。目標区域へ侵入します」
彼女の名は、ギアチルドレン。
魔族が造り出した対人殲滅用の生体兵器。
アルは、彼女を“さっちゃん”と呼んでいた。
今回の任務は、魔界四天王の一角――
闇の司祭カザールが率いる《終末教団》による粛清作戦の支援。
標的は人間の街。
信仰を拒み、従属を拒み、存在そのものが“罪”とされた者たち。
抵抗は、ほとんどなかった。
さっちゃんは命令通り、淡々と魔力を解放する。
閃光。爆炎。
人間の兵士たちは悲鳴を上げる間もなく焼き尽くされた。
「敵性存在、排除完了」
彼女は次の指示を待とうとした――その時。
「さっちゃん」
アルの声が、低く響いた。
少女は気づく。
自分の白い指先が、わずかに震えていることに。
焼け焦げた兵士の死体を見下ろし、しばらく動けなかった。
「……手が、勝手に震えます」
声には抑揚がない。だが、疑問があった。
「これは、機能異常ですか?」
アルは答えなかった。
ただ、目を伏せる。
かつての自分も、同じだった。
命令を正義と呼び、考えることを放棄し、
殺すことでしか存在価値を証明できなかった頃。
「……命令に従うだけが、すべてじゃない」
静かな声で、アルは言った。
「お前はもう、ただの兵器じゃない」
その言葉は、戦場ではあまりにも不釣り合いだった。
甲高い笑い声が、空気を切り裂く。
「フン……くだらん情緒だな」
瓦礫の向こうから、黒衣の男が姿を現す。
闇の司祭カザール。
蛇のような舌を覗かせ、歪んだ笑みを浮かべている。
「堕ちたものだな、アイゼンハワード。
情を語るとは……」
彼はあくび混じりに周囲を見回した。
崩れた礼拝堂の影から、一人の老婆が這い出してくる。
背中には、まだ息のある幼子。
震える手で、必死に守ろうとしていた。
「ほう……まだ動くか」
カザールは興味深そうに指を振る。
黒煙が伸び、老婆の足に絡みついた。
皮膚が焦げ、肉が腐り落ちていく。
「やめてぇぇぇぇぇっ!!」
老婆の叫びが夜に響く。
幼子が泣き、周囲の村人たちが恐怖に染まる。
「フフ……いい声だ」
カザールは恍惚とした表情で言った。
「実に……信仰が深まる」
彼は歩み寄り、逃げ遅れた少女の髪を掴み、宙に持ち上げる。
片方の靴を失くした、小さな身体。
「さあ、生贄ごっこだ。
怖がるな……たっぷりとな」
闇が、少女の足元からせり上がる。
「《シャドウ・グレアム》」
影は粘つく生物のように肌を這い、
触れた場所から腐食が始まった。
「キャアアアアアアアッ!」
その悲鳴に――
さっちゃんの瞳が、大きく見開かれる。
「……対象、無抵抗。非戦闘民」
声が、わずかに揺れた。
「これは……作戦と一致しません」
「作戦?」
カザールは嗤った。
「アハハハ! 命令など、都合よく歪めるためにある!
私は信仰によって正しい!
この闇こそが真理なのだァ!」
血と火の粉を浴びながら、狂ったように笑う。
「クカカカカ……魂が熟していく……!」
その光景を前に、さっちゃんの手は動かなかった。
震えは強くなり、足が地に縫い止められる。
アルが、そっと彼女の肩に触れる。
「それでいい」
低く、確かな声。
「感じていいんだ。
お前の“それ”は、間違っていない」
高台で狂笑するカザール。
その顔は汗と涎にまみれ、
快楽に溺れた獣そのものだった。
その姿を見て、さっちゃんは初めて――
はっきりと顔をしかめた。
(……嫌い)
プログラム上、カザールは味方。
排除対象ではない。
それでも、心の奥で拒絶が生まれる。
(ああなりたくない)
殺意ではない。
裏切りでもない。
ただ、否定だった。
アルの手が、もう一度、肩に触れる。
「それでいい。それがお前の心だ」
その瞬間。
ギアチルドレンの中で、何かが静かに生まれた。
命令でも、機能でもない。人としての“心”が。




