第20話:悪魔との遭遇
「ちょっと純くん!!」
後ろから自分を呼ぶ声が廊下中に響き渡る。振り返ると、才華先生が教室から出てきていたところだった。怒りと驚きが混じったような、複雑な表情を浮かべている。
ごめん、才華先生。でも、あなたのためなんです。心の中で純はそう言い、彼女に背中を向けると、思いきり走りだした。
背後からドタドタと走る音が聞こえてきた。追いかけてきているのだろう。
「純くん!!」
3階から1階へ、階段を駆け足で降りていく。
1階に着いた彼は後ろを振り返った。足音がもう止んでいたことから、追ってくるのを中断したか。
下駄箱で運動靴に履き替えた純は、そのまま玄関扉に体重をかけて押し開け、外に出た。
だだっ広い校庭を1人、駆けていく。
「ジュ―――――ン!!!」
自分を呼ぶ、聞き慣れた声。純は足を止め、声のしたほうへ顔を向けた。
「スイ…」
3階の教室の窓から、大勢の生徒が顔を出していた。その中でも目立って身を乗り出しているのが、明だった。
「どこ行くのおぉー!?帰るのぉー!?」
「…じゃあな。また何日か前に会おう」
純は独り言のように呟き、教室の方から顔を背けた。そしてまた走り出す。
正門に着いた。登下校の時間以外は錠前で施錠されているので、簡単に通してくれない。
純は門扉の突起に足をかけ、上に跳んだ。手を伸ばし、扉の淵に手をかける。
「クッ…」
なかなかきつい。高校生であるはずの自分の腕力と、この小学生の力の乖離にまだ慣れずにいた。今でもたまに自分が小学生ということを忘れる。
なんとか右足を向こう側にやり、扉をよじ登ったが、左足を回して降りようとしたところで、ハプニングが起こった。
左足を持ってくる時に勢いが強すぎて体制を崩してしまったのだ。純は仰向けの状態で地面に落下した。
「ってえぇぇ!」
かろうじてランドセルがクッションとなったが、それでも大人の背丈ほどある門から落ちる衝撃はかなりのものだった。
形としては最悪だったが、学校の外に出ることに成功した。純は仰向けのまま、息をついた。
「大丈夫かい?」
どこかから声がかかる。若い男の声。
やがて声の主は、純の視界にヌゥッと現れた。日差しの逆光で顔はぼんやりとしか見えないが、倒れているこちらに手を差し伸べているようだった。
「あ…りがとうございます」
その手を取り、純は起き上がった。太陽の光が眩しいが、純はその人物を見た。
黒い髪は長さに余裕があるためか、後ろに持っていっている。ここからだと相手の身長が高いので、後頭部までは見えない。
ぱっちりとした目をしているが、その瞳にはどこか生気がない。
黒と黄色のボーダーのTシャツに、黒のパーカーと同じく黒のスキニーパンツ。
蜂須賀だ!
純は全身が硬直するのを感じた。追い求めていた人物が目の前にいるのだが、彼の心を支配したのは恐怖であった。
笑顔を浮かべているのに、目元にあるくまと無機質な黒目のせいで返って不気味に見える。
口元が震え、言葉を発することができない。固まっている純を見て、蜂須賀であろう男は怪訝そうな顔をした。
「大丈夫?頭とかぁ、打っちゃったかな」
柔らかな声とともに、純の顔を覗き込む。唇も血色が悪く、ますます生気を感じられない。
「いえ…」
口の中がすっかりと乾いてしまい、思うように言葉を発せられなかったが、なんとか返事をした。やけに力んでいる様子を見て、男は口をへの字に曲げた。
「打ちどころが悪いと大変だからね…。1度病院に行ってみた方がいいかもしれないね」
彼の顔を真っ直ぐに見ることができず、純は顔を背けたまま小さく頷いた。
会いたかった人物に会えたのに、どうしてこんなにも怖いのだろうか。
「わ…分かりました」
一旦、帰ろう。ぎこちない動きで踵を返すと、ロボットのように歩き出した。心臓の鼓動が彼に聞こえてしまうのではないかと思うほど激しく跳ねている。
「ねぇ、君」
背中に声がかかった。先ほどよりも声のトーンが低く、抑揚がない。純は足を止め、素早く振り返った。自分でも顔がこわばっているのを感じる。彼に対し隠そうとしても、顔中にテープを貼られて固定されたみたいに動かない。
蜂須賀と思わしき男は、携帯電話を操作しながら近づいてきていた。
「この子、知ってる?」
純の前まで来ると、携帯電話の端を持ち、液晶を彼に向けた。
画面を見て、純は固まった。
こちらを向いて笑顔でピースサインを送っている少女。
そこに映っていたのは…葵だった。