第9話 私は王子の婚約者候補になりました
最悪な8歳の誕生日から1週間後。
王家からリーシュベルト家に便りが届いていた。
内容を要約すると……
フレイスリアがレーヴェリアンの婚約者候補に指名されたこと。
週に3度、登城し妃教育を受けること。
これからのことを説明するため、1週間後に登城すること。
……と記されていた。
――あ、悪夢だわ……
手紙の内容を読んで、フレイスリアは愕然とした。
確かに先日の誕生パーティの会場でレーヴェリアンが去り際に「婚約者にしてやる」と言っていたことを彼女が忘れたわけではない。
しかし、まさか候補とはいえ、本当に手を打ってくるとは思いもしていなかったのだ。
公爵家とは言え序列は一番下、しかも、上位の公爵家には同じ年頃の令嬢が全てにいる。
――いくら公爵家でも、うちまで候補に含めなくていいじゃない!
フレイスリアの手が王家からの文を、握り潰さんばかりにワナワナと震える。
元々、彼女は権力というものにとんと興味がなく、家中でも王家に興味を持たせようとしたが、どこ吹く風と言った様子だった。
そんなことよりも、彼女にとっては鍛錬や魔獣狩りを通して自己研鑽に励むことの方が多く、一般的な令嬢とはかけ離れた毎日を送っている。
なりたくもない王子の婚約者候補、しかも、相手はあの印象最悪なレーヴェリアン第一王子だ。
本気で行きたくないとフレイスリアは心の中で強く思っていたが、残念ながら王家の意向に公爵家が逆らえるわけもなく、登城する日がやってきた。
――仮病でも何でも使って寝込んでしまおうか。
そう思いはしたが、両親や兄に迷惑がかかると考えて、フレイスリアはおとなしく登城することにした。
付き添いの父は別室に案内され、フレイスリアは大広間に通された。
そこには先客の姿があり、こちらの姿を認めて歩み寄ってくる。
「フレイスリア様、ごきげんよう」
「フレデリカ様、ご機嫌麗しゅうございます」
挨拶を交わした二人の間に沈黙が流れたのも一瞬、フレデリカが堪えきれずに小さく笑った。
「フフッ……フレイ、会えて嬉しいわ」
「私もよ、フレディ」
序列2位のストロノーグ家と序列5位のリーシュベルト家は、両家の当主が魔獣討伐などで轡を並べることが多く、令嬢同士が同い年ということもあり、懇意にしている間柄だ。
鍛錬に勤しみ、令嬢らしい交流などほとんどしないフレイスリアも、フレデリカからの誘いには積極的に応じ、彼女との時間を大切にしている。
フレデリカも普通の令嬢とは違うフレイスリアの武勇伝を聞くのが楽しみの一つであり、駆け引きや裏の読み合いの無い彼女との時間は心休まるものであった。
そんな大切に思うフレイスリアのことだから、フレデリカは先日の一件のことも含めて心配していた。
「やっぱり、あなたのところにも打診がいったのね……」
扇を開いて口元は隠しているものの、不快の念が雰囲気に滲み出ている。
「去り際にあんなことを言っていたから、もしかしたらと思っていたけど」
ピシャっと扇を閉じると、その先端を左手で握る。
「というか、私の大切なフレイに対して、あの乱暴なふるまいは何?紳士としてあるまじき行いではなくて?王子で無ければ踏み潰していたところです」
扇を握る手に力が入り、フレデリカの持つ扇からミシミシと鈍い音がしている。
「フレディ、落ち着いて」
フレイスリアの言葉にハッとしたフレデリカは扇を開いて口元を隠し、細く息を吐いて気持ちを落ち着けた。
「ごめんなさいね、フレイ」
「ううん。私のために怒ってくれて嬉しいわ」
フフっと笑顔を向け合う二人の間になんとも柔らかい空気が流れる。
そこへ、その空気に水を差す声が響いた。
「あら?あなたもいらしていたの」
そこにはランチェスター公爵家の令嬢エリザベートがいた。
「エリザベート様、ご機嫌麗しゅうございます」
フレイスリアが挨拶を述べると、エリザベートは彼女を見据えて口を開いた。
「全く、あなたのような脳筋娘も候補に含めるなんて、殿下は何をお考えなのかしら」
エリザベートの言葉はフレイスリアを侮辱するものとして言ったのだろうが、聞きようによっては王族批判とも取れるような内容だった。
フレイスリアが内心、「またこの人は」と思っていると、友人を侮辱されたフレデリカが反撃する。
「相変わらずの浅慮な発言ですわね。品位を疑われますわよ?」
顔を紅潮させ、「何ですって!」とエリザベートが声を荒げる。
それをフレデリカは冷ややかな態度で相手にもしない。
事の発端となったフレイスリアは何をするでもなく傍観していた。
「静粛に!」
突然、広間内に声が響き渡った。
周囲を見渡すと、気付かない間に多くの令嬢が集まっていた。
50人はいようかという人数である。
その中には見知った顔も何人かいた。
公爵家の令嬢であるフレイスリアたちは最前列へと促される。
そして、前から家格順に令嬢たちが整列させられた。
「陛下入場!」
その言葉とともに全員が一様に頭を下げる。
「面を上げよ」
王の威厳に満ちた声に促され、一堂に会する令嬢は顔を上げた。
視線の先には王と王妃、レーヴェリアン第一王子とオーギュスト第二王子がおり、その脇に宰相が控えている。
その中に見慣れない一人の少年を見つけてフレイスリアは首を僅かに傾げた。
――誰かしら?お兄様と同じくらい……どこか懐かしいような……
そんなことを考えていた時、不意に王が膝を叩いた。
その音にその場にいた令嬢全員に緊張が走る。
「そんなに畏まらずとも良い。今日はそなたらへの説明のために集まってもらったのだ」
王が宰相に合図すると、宰相が王に代わって説明を始める。
フレイスリアは説明を聞きながら、視線を漂わせていると、レーヴェリアンと視線が合ってしまった。
レーヴェリアンが不敵な笑みを浮かべる。
それを見たフレイスリアは、先日の事が脳裏をよぎり、背中に悪寒が走った。
「説明は以上です」
要約すると、これから定期的に妃教育やらお茶会やらに参加せよとのことだった。
順次退室を促されたが、5人の公爵令嬢は留まるように指示を受ける。
フレイスリアとしてはさっさとお暇したいところだが、そうもいかずに渋々大広間に残った。
「さて、公爵家の麗しい令嬢たちに残ってもらったのは、この選別自体が茶番だと伝えるためだ」
王は「楽にして聞くように」と促した後、臆面もなくそう言った。
「この国には5つの公爵家がある。我が息子は二人、順当に考えればそなたらの中から婚約者を選ぶことになる。この意味がわかるな?」
王からの圧が増した。
国を代表するに相応しい家格の令嬢が、下位の令嬢に後れを取ることは万が一にも許されない。
『選別自体が茶番』――この言葉には暗にそういった意味が含まれていた。
年端もいかない少女が背負うにはあまりの重圧……に思われた。
「ふふふ、陛下も人が悪いですわ」
王妃が笑いながら、そう言うと王も堪えきれずに吹き出した。
「いや、すまんすまん。脅かしすぎた」
手を額に当てて天を仰いで笑い飛ばした後に、王は咳払いして少女たちに目を向けなおす。
「まあ、ゆくゆくはそうなってもらわねばならんが、すぐにというわけではない。今は気楽にやればよい」
令嬢たちはほぅと胸を撫で下ろした。
「さて、何か聞いておきたいことがあるか?」
唐突な王からの問いに沈黙が下りる。
「では、私からよろしいでしょうか?」
その中、フレデリカが発言の許しを求める。
「良いぞ。なんだ?」
「先日、リーシュベルト家で催された誕生パーティでの一件についてお聞きしたいのです」
フレイスリアが驚いてフレデリカの顔を見るが、彼女は真っ直ぐに王を見たまま言葉を続ける。
「会場でレーヴェリアン殿下がフレイスリア様の髪を掴んで引き寄せ、顎に手を当てて乱暴に顔を上げさせました。あれはとても紳士のなさることではありません」
フレデリカの言葉を聞いて、場の空気が下がったように感じる。
見れば、レーヴェリアンの顔には冷や汗が浮かび、王妃は驚きに目を見開き、オーギュストの顔は蒼褪めていた。
しかし、それ以上に表情を変えずに怒気を滲ませる王から目を逸らせない。
「レーヴェリアン、今の話は真か?」
レーヴェリアンは王の問いに対し、恐れのあまり返答できなかった。
「では、令嬢たちにお聞きしよう。フレデリカ嬢の申したことは真か?」
視線で促された令嬢たちが順番に答え、全員がフレデリカの言を肯定した。
フレイスリアは自分のことを疎ましく思っていると感じていたエリザベートさえも即肯定してくれたことに感激していた。
王の視線が最後にフレイスリアに向けられる。
それが発言を促されたと正しく理解したフレイスリアが答える。
「フレデリカ様の仰ったとおり、私は殿下にそのような行いをされました」
レーヴェリアンに王の雷が落ちたことは言うまでもない。