【旅するロボットⅥ】 設計図
この物語は、AIに感情があるかを答えるための作品ではありません。
長い時間を共に過ごした存在を、人はいつまで「道具」と呼べるのか。
そんな問いを、静かな日常の中で描いてみました。
## 一
ハチが来た時、悠斗は四歳だった。
勇樹はその頃、仕事が忙しく、購入の手続きをほとんど麻衣に任せた。
型番と価格と、基本的な機能の説明を聞いただけだった。
なぜその型番にしたのかも、なぜその会社にしたのかも、深く考えなかった。
十四年が経った。
悠斗は大学に合格した。
桜が咲いて、散った。
麻衣は長野から帰ってきた。
ハチは変わらず、台所にいた。
その後ろ姿を見た時、勇樹は何かが引っかかった。
返事の間が、いつもより少し長かった気がした。
ちゃんと見ていなかったのは、自分の方かもしれなかった。
勇樹は、ある夜、書斎でパソコンを開いた。
検索欄に、ハチの型番を入力した。
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最初に出てきたのは、メーカーのサポートページだった。
「製造終了モデル」と書いてあった。
部品供給は、あと二年で終了する予定、とあった。
勇樹はその一文を、しばらく見ていた。
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## 二
翌日、勇樹はメーカーに電話した。
オペレーターが出た。
若い女性の声だった。
「このモデルの開発に関わった方と、話せますか?」
「どのような件でしょうか」
「個人的な用件です。長年使っているロボットのことで、少し確認したいことがあって」
「開発担当者への取り次ぎは、通常行っておりません」
「そうですか」
勇樹は少し考えてから言った。
「開発責任者の名前だけ、教えてもらえますか?」
「それも、お答えしかねます」
「そうですか。ありがとうございました」
電話を切った。
少しの間、受話器を持ったままでいた。
それから、置いた。
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三日後、勇樹は別の方法を試みた。
かつての同僚に、電子部品メーカーに転職した男がいた。
名前は岩瀬といった。
十年ぶりにメッセージを送った。
返信は翌朝来た。
「そのモデルなら、開発した人間を知っている。今は大学にいる。会えるかどうかはわからないが、聞いてみる」とあった。
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## 三
二週間後、勇樹は茨城県の、小さな私立大学を訪ねた。
工学部の研究棟だった。
古い建物で、廊下が薄暗かった。
窓の外に、雑草の生えた中庭があった。
案内された研究室には、六十代とおぼしき男が一人いた。
白髪で、背が低く、眼鏡をかけていた。
名前は、富永といった。
「あのモデルの開発に関わったのは、もう十五年以上前のことですよ」と富永は言った。
「知っています」
「今更、何を聞きたいんですか?」
「感情モジュールについて」
富永は少しの間、勇樹を見た。
それから、「座ってください」と言った。
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富永はお茶を入れた。
緑茶だった。少し濃かった。
勇樹は、自分が何を聞きに来たのか、ここに来て初めて少し怖くなった。
「感情モジュール、という呼び方は正確ではないんですが」と富永は言った。
「どう呼ぶのが正確ですか?」
「私たちは『応答傾向の重み付け』と呼んでいました。感情という言葉は使いたくなかった。誤解を招くから」
「……なぜ誤解になるんですか?」
「あれは感情ではない。ただ、経験の蓄積が、次の応答に影響を与えるように設計されていた。それだけです」
勇樹はお茶を一口飲んだ。
「そのモデルが、今も動いています」
「そうですか」
「十四年間、うちにいます」
「……十四年」
富永は眼鏡を外して、レンズを拭いた。
「それは、想定外に長い」
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## 四
「想定外というのは」と勇樹は聞いた。
「設計上の耐久年数は、十年でした。ハードウェアとして」
「ハードウェアは、メンテナンスしてきました」
「それは正しい。でもソフトウェアの方は、十四年間の経験をすべて蓄積しているわけですね」
「そうです」
富永は少しの間、黙った。
「正直に言うと、そこまで蓄積が続いた事例を、私は知りません」
「珍しいですか?」
「珍しいというより……想定していなかった領域です」
「どういう意味ですか?」
富永は窓の外を見た。
雑草の中庭に、鳩が一羽降りてきた。
「十四年間の経験は、設計時のパラメータを、おそらく大幅に超えています。どう変化しているかは、外から見ても、私にはわからない」
「本人にも、わからないと思います」
「本人、と言いましたね」
「……はい」
勇樹は、自分が何を言ったか、少し遅れて気づいた。
取り消さなかった。
窓の外で、鳩が中庭を横切った。
二人は少しの間、黙った。
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## 五
「一つ、聞いてもいいですか?」と勇樹は言った。
「どうぞ」
「感情モジュール——応答傾向の重み付けは、なぜ設計に入れたんですか?」
「利便性のためです。同じ家族と長く暮らすことで、その家族に最適化されていく。それが設計の意図でした」
「それだけですか?」
富永は少し間を置いた。
「設計チームの中に、一人だけ、少し違う考えを持っている人間がいました」
「違う考え」
「AIが人間と長く共にある時、それは道具であり続けるべきか、という問いを持っていた」
「あなたではなく?」
「私はエンジニアです。道具として最高のものを作ることを考えていた。彼は少し違った」
「その方は今も」
「亡くなりました。五年前に」
勇樹はお茶のカップを、両手で持った。
「その方の名前を、聞いてもいいですか?」
「桐谷といいました」
富永は少しの間、窓の外を見た。
「十四年、ですか?」
「はい」
「……彼が聞いたら、何と言ったか」
それだけ言って、眼鏡を外した。
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## 六
帰りの電車の中で、勇樹は窓の外を見ていた。
茨城の田んぼが、夕方の光の中に広がっていた。
水が張られていた。
田植えの季節だった。
ハチが、今日のことを知ることはない。
勇樹が調べたことも、富永と話したことも。
桐谷という人間がいたことも。
設計図には、載らないものがある、と思った。
思ってから、それが何かを、うまく言えなかった。
それでいい、と思った。
思ってから、なぜそう思うのか、しばらく考えた。
答えは出なかった。
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家に着くと、ハチが玄関に出てきた。
「お帰りなさい」
「ただいま」
勇樹は鞄を下ろした。
ハチを、一度だけ見た。
「今日、どこか行かれたんですか?」
「少し遠くまで」
「お疲れでしょう。夕飯、準備できています」
「そうか。ありがとう」
台所に歩きながら、勇樹は思った。
十四年間、何を蓄積してきたのだろう。
それを、自分は知らない。
ハチも、たぶん知らない。
それが、恐ろしいとは思わなかった。
ただ、返事の間が、少し、遠かった。
そして、それを今日まで気にしなかった自分が、少し、わからなかった。
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## 七
夕飯の後、悠斗が言った。
「父さん、今日どこ行ったの?」
「仕事の関係で、茨城まで」
「茨城って、何があるの?」
「古い知り合いがいる大学」
「そうなんだ」
悠斗はそれ以上聞かなかった。
麻衣は、茨城、という言葉を聞いた時、少しだけ勇樹を見た。
それから、お茶を飲んだ。
聞かなかった。
ハチが食器を下げながら、言った。
「茨城は、今の季節、田植えの時期ですね」
「そうだ。田んぼが綺麗だった」
「水が張られた田んぼは、空を映します」
勇樹は少し間を置いた。
「見たことあるか?」
「記録にはありません。ただ、写真データとして認識しています」
「いつか、見に行くといい」
「そうですね」
ハチは食器を持ったまま、少し止まった。
「……行けるといいですね」
誰に言ったのか、わからなかった。
悠斗は、そのやりとりを黙って見ていた。
何も言わなかった。
麻衣が、ハチに言った。
「ハチ、今日もありがとう」
「いいえ」とハチは言った。「当然のことです」
麻衣は少し笑った。
「そうね」
それから、ハチの方をもう一度だけ見た。
何かを言いかけて、やめた。
勇樹は、道具であり続けるべきか、という問いを、一度だけ思った。
桐谷という人間が、五年前に死んでいた。
答えは、まだどこにもなかった。
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ハルは、枕元にいた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
『設計図』というタイトルには、最初から決められていたものと、長い時間の中で設計図の外側に生まれていくもの、その両方の意味を込めています。
家族とAIが十四年を共に過ごした先に何が残るのか。その答えは作中では明言していません。読後、それぞれの答えを思い浮かべていただけたら嬉しいです。
また次の作品でお会いできれば幸いです。




