(5)
(空、曇っていたのね)
夜空に飲み込まれてようやく、霊夢はそのことに気がついた。
この騒動のせいで、天気なんかに気が回らなかったのだ。
紫も、藍も、魔理沙も、無言だった。
みんな一様に、表情が暗いように見えたのは、闇が深いせいだろうか。
気温は低いが、雪や雨が降りそうな雰囲気では無かった。
雲が空一面に広がっているのは、天からの恩恵を地上に伝えるためでは無く、星々や月の光をさえぎって、地上に闇をもたらすためのように感じた。
なんとなく、霊夢は不吉な予感を覚えた。
冷たい風が渦巻き、漆黒の暗闇が地上を覆っている。
妖怪や魔物が活躍するには、絶好の状況。
神様や仏様が、人間に力を貸そうとしているのを、雲が妨害しているよう。
(ちょっと、神経質になっているのかしらね)
魔法の森が見えてきたので、霊夢も、平常心ではいられなくなってきたということか。
暗闇に包まれている中、魔法の森の上空で、光がまたたいていた。
「藍。始めましょう」
「はい。霊夢、魔理沙。こっちのことは気にせずに、思いきり暴れて構わないからな。火が出ても、すぐに消してやる」
藍は、左手の拳を右の手のひらで包む、古風な挨拶を人間二人に向けて、武運を祈ってくれた。
もっとも、霊夢と魔理沙の攻撃で火が出たり、森が焼けたりするようなことにはならない。
二人が行使するのは、殺傷能力が無い攻撃なのだから。
「しかしなぁ」
紫と藍がいなくなったのを見計らって、魔理沙は遠慮がちに口を開いた。
「なによ。いまさら尻込みしたって遅いわよ」
そんな魔理沙に、霊夢は早口で言った。やはり、戦いをまえにして、気持ちが昂ぶっているようだ。
「そうじゃない。だけど、どうやってスペルカードだけで、相手を無力化させる気だ?」
魔理沙は、霊夢の胸中を察し、刺激しないようにしながら、さきほどから、ずっと気になっていた疑問を口にした。
いまさら怖気づくような、めめしい魔理沙では無い。
ただ、勝つための目算とか道筋を共有しておきたいだけだ。
そうすれば、霊夢との連携もとりやすい。
ところが霊夢は、
「はっ!」
と笑い声をあげ、
「そんなの、私に聞かれても困るわよ。出たとこ勝負よ。出たとこ勝負」
まるで、他人事のように答えた。
「なっ!? おまえ! じゃあ、さっきの威勢の良さは、はったりか!?」
その答えに納得がいかない魔理沙は、語気を強めた。
「はったりなんかじゃないわ。絶対にやり遂げてみせるわ」
霊夢が、決意を込めた声色で言うものだから、魔理沙は、しばし閉口した。
「おまえの、腹の底が見えないんだが」
「これ以上ないくらい、はっきり見せてるじゃない。異変を解決するために、持っている力を注ぐ。それだけよ」
「それだけだと?」
ひとつ、スペルカードルールを無視し、本物の魔力撃で攻撃してくるであろう敵を迎え撃つ。
ひとつ、当方が使用して良いのは、殺傷能力の無い弾幕のみ。
ひとつ、本作戦を、出たとこ勝負と命名する。
これらのことを、それだけのひと言に集約するのは、詐欺に近い。
「素敵すぎるぜ。おまえに、勝算があろうが無かろうが、助けるつもりだったが……」
紫を相手に、あれだけの啖呵を切ったからには、なにかしらの精算あってのことだと思っていたが、まさかの無策とは。
「大丈夫よ。なんとかなるわ」
「なんだかなぁ。奇跡でも起きるのを待つってか? この天気じゃ、神様も仏様も、味方してくれそうに無いぞ」
空を指さす魔理沙を、
「なに言ってんのよ」
霊夢は一笑に伏した。
「奇跡は、自分の力で起こすものでしょ」
霊夢はそう言って、片目をつむってみせる。
「なるほど。おまえ、馬鹿だろ?」
「ご名答。よくわかったわね。魔理沙も、こういうのは嫌いじゃないでしょう?」
自分のことを、馬鹿と言われた霊夢だが、気分を害した様子もなく、それどろか、嬉しそうに笑う。
「まあ、嫌いじゃあないが……。できたら、避けて通りたい道だな」
「奇遇ね。私もよ」
魔理沙は、帽子を深くかぶり直した。
一連のやりとりは、ふたりにとって、ひとときの憩いの時間だった。
結界に近づくと、爆音が鮮明に耳に入ってくる。
緊張感が高まる中、集団の先頭にいた女の子が、二人をにらみつけてきた。
霊夢と魔理沙は、肩透かしを食らったように目を丸くした。
さっき文は、女の子とつぶやいていたが、異変の首謀者と目されるその子は、想像以上に女の子だったからだ。
霊夢は、首をかしげた。
「あの子、どこかで会ったことがあったかしら?」
「どうだったかなぁ?」
魔理沙も首をかしげた。
少女は、その小さな体に不釣り合いな魔導書を抱えて、その見ためからは想像できないほど、強力な魔法を放ってくる。
しかし、紫と藍が共同で作成した結界は頑丈で、なかなか壊れなかった。
「こんなことしたって、無駄よ! すぐに壊してあげるんだから!」
少女は、進軍を阻まれて、いら立っている様子だった。
そこは子どもらしく、短気なようである。
「貴女は誰なの? 目的は、なに?」
霊夢は、あやすように優しく尋ねてみた。
霊夢の物腰が柔らかかったためか、少女は、ちょっぴり態度を軟化させて、耳をかたむけてきた。
ただし、後ろのトランプ兵が、容赦なく攻撃を放っているので、どっかんどっかんやかましくて、霊夢の声は届いていないようだった。
「うるさーい! 攻撃止め!」
少女が命じると、トランプ兵たちは、忠実に命令に従って、おとなしくなった。
「なに? もう一回言いなさい」
そして霊夢にも、部下に命じるようなもの言いをしてきた。
「えーと……。貴女は誰? 目的は、なに?」
それでも霊夢は、さっきと同じように、優しく尋ねた。
こういうところは、結子仕込みである。
少女は、猫のように目を細めた。
「そうね……。アリスって呼んでもらおうかしら。どうせ、みんな殺したあとで、お姉ちゃんも殺すんだし。わたしが名前をもらうことにするわ」
「な、なにっ?」
あまりにも平然と言うものだから、魔理沙はぎょっとした。
「なんで、そんなことをするの?」
それでも霊夢は、冷静になるよう努めて、質問を重ねた。
「なんで……? なんで……?」
少女は、頬に指をあてて、うーんと考え込んだ。
「わたしが、そうしたいから。かなぁ」
やがて簡潔な答えを導き出す。
「そう……」
霊夢は、上空を見上げた。
新たな結界が張られつつあった。
「もう一つ聞かせて。貴女は、どこから来たの?」
「わたしは、ずっとお姉ちゃんの中にいたの。でも、お姉ちゃんが、出て行ってほしいって言うから出て来ただけ」
「お姉ちゃんっていうのは、アリスのことね?」
「そうだよ」
「わかったわ。ありがとう。魔理沙」
「ん?」
「自分の中にあるものを、外に出す魔法ってあるの? 例えば、思念とか感情とか」
「思念の具現化か……。難しいが、できないことは無いんじゃないか? 妖怪だって、人間の畏怖とか恐怖が形になったものだしな」
「そうね。そうだったのね。アリス……」
ときたま、アリスから漏れていた、嫌な感じ。
それはたぶん、アリスの気分を害するものへの嫌悪や憎悪。
アリスは、その感情を、ゴミ箱のゴミを奥に押しやるようにして、心の隅っこに溜めてフタをしていた。
霊夢のように、大人気が無いという言葉で。
「ごめんなさいね。気づいてあげられなくて……」
「霊夢?」
霊夢から、表情が消えたそのとき。
いままで、少女たちを阻んでいた結界が解除された。
それは、新たな結界が完成した合図。
同時に、開戦の合図であった。
「博麗の巫女の名のもと、異変を鎮めるわ」
霊夢は静かに告げて、御幣束を手に取った。




