チャプター46
〜翌日 竜の紅玉亭〜
仲直り騒動から一夜明けて、この日はお店をお休みにしていた。普段作らないような料理を作った事は疲れてしまうし、何より今回の一件が落ち着いた事で、どっと気が抜けてしまったのである。
こちらも同じ気持ちだったのか、おばさんもエルリッヒの元を訪れ、何をするでもなく、のんびりとしていた。
「昨日はありがとね、エルちゃん」
「いえいえ、みんなが舌鼓を打ってくれたから、それで十分ですよ。それよりも、伯爵夫人が帰ってきた事に驚いちゃいましたよ」
そうなのである。てっきりもう鬼籍に入っていると思われた伯爵夫人が、夜になって帰ってきたのである。
豪奢なドレスに身を包み、華やかな表情で現れたのだ。聞けば、海外まで珍しいものや化粧品などの買い付けに行っていたという事で、死んだと思ったのは、完全に勘違いだった。とはいえ、話を聞けば年の大半をそうした国内外への旅行と買い付けで過ごしているらしく、エルザが寂しく思う事に変わりはないようだった。
わざわざ外国の香辛料や食材を手に入れているのも、そうした事情と無関係ではないのだろう。外国の商人とのコネや、国内では手に入らないものへの憧れなど、聞けば納得の話である。
「それと、おじさんがあんな洒落たものを用意していたっていうのも、驚きですよね」
「だねぇ。あたしゃすっかり忘れてたよ。それを、あの人はあんなに前からわざわざ伯爵様に相談してまで準備してたってんだから。でもさ、それならそうと、あそこまでこそこそしないで、プレゼントは期待してろ、くらいでもいいと思わないかい? そうしたら、あたしもあんなに疑わなくて済んだのにさ」
昨日受け取ったプレゼントを思い出すと、どうしてもおじさんの不器用さに意識が向いてしまう。もう少し器用に、要領よく立ち回れたら、円満のままでいられたのに。しかし、そういう不器用なところがおじさんの魅力でもある、というのが、二人の間の結論なのであった。
「確かにねぇ、気の利くあの人なんて、ちょっと嫌だわ」
「でしょう? 人間、欠点があるからいいところが引き立つんですよ。若い頃の気持ちに戻るなんて難しいでしょうけど、思い出してみれば、そんなもんだって思えるんじゃないですか?」
エルリッヒが人間として三百年以上暮らしている事など、誰も知らない。だから、みんながみんな、二十歳前後の娘に言われた言葉として受け取る。それが、言葉を一層深くさせていた。
若い子にだって分かる事を、なぜ自分が忘れていたのか、と。
「そうだねぇ、そういうの、すっかり忘れちまってたよ」
「でしょう?長く暮らすってそういう事なのかな、とも思いますけど、せっかくだったら少しでもお互いの理解をもって暮らしたいですもんね」
カウンターで並んで話す二人の間には、穏やかな時間が流れていた。おそらく、それはひと段落した落ち着きからきているのだろうし、一方では、「疲れたから1日寝る」と豪語したフォルクローレがいない事も影響しているのだろうし、二人の、おじさんに対する気持ちから来ているところもあるのだろう。とにかくも、二人の間に割って入る事のできる人間は、いなかった。
「さてと、そろそろ帰ろうかね。邪魔しちゃ悪いだろう?」
「邪魔ったって、私はのんびり1日を過ごすだけですよ? おばさんさえよければ、このままいてください」
たまには休まないと。そんな言葉が今のエルリッヒを支配している。と同時に、そうと決めたからには、徹底的にのんびりするのだ。昨日だけで、初めての食材を使った初めての料理を、それこそ舌の肥えた貴族相手に振る舞うという、市井の食堂主としてありえないような経験を三つも積めたのだから、今日くらい休まなくては、頭がその経験を整理できない。おそらく、あのような食材を用いる事はこの先なかなかないだろうし、貴族相手に料理を振る舞う事も、この先なかなかないだろう。そう思えばこそ、昨日の経験をしっかりと噛み締めておきたかった。
「そうかい? じゃあ、エルちゃんがそう言ってくれるなら、お言葉に甘えて」
「はい、是非そうしてください。あ、そろそろお昼ですね。食事の支度始めちゃいますね。おばさんはそこで待っててください」
窓から差し込む光が、正午頃を伝えていた。そういえば、お腹も空いている。今日もまた、二人の食事を楽しもうではないか。
そんな事を考えながら厨房に立ったその時、入り口のドアをノックする音がした。定休日を伝える看板は下げていたはずだ。もしかして、読んでいないのかもしれない。
「はーい。今日はお休みなんですけどー。って、ドア開けてるし!」
その返事を聞いているのかも怪しいようなタイミングで、客と思しき相手は入ってきた。ドアが開くと、途端に外から強い光が差し込まれる。逆光のせいか、相手の姿はよく見えない。それでも、それが誰なのか、気配が教えてくれた。
「……ゲートムントとツァイネ?」
入ってきた客(?)は二人、背の高さが違う。気配でも、シルエットでも、間違いなくあの二人だと伝えていた。
ただ、感じられる気配は、明らかに以前のものではなかったが。
「ただいま、エルちゃん!」
「ようやく帰ってきたよ〜」
カウンターそばまでやってきて、ようやくはっきりと姿を見ることができた。着の身着のままなのか、二人とも鎧を身にまとっている。ツァイネは見慣れた青い鎧だが、ゲートムントは、いつもの赤い鎧に、どこか違和感がある。
「おかえりー。って、二人ともその格好のままここに来たの? それに、ゲートムントの鎧、なんか違うし」
「お、早速気づいてくれるなんて、嬉しいぜ! 実は、修業先で少し強化したんだ。行った先の街で売ってた鉱石やら、足元に散らばってた鱗やらでね。おかげで、ますます頑丈になったし、ますます炎に強くなったんだ。これで、もっと強い相手と戦っても、今まで以上に安全に戦えるってもんだ!」
「ゲートムント、鎧を強化できたのが嬉しくてたまらないんだ。でも、よく気付いたね。さすがは女の子ってところかな?」
有頂天のゲートムントをよそに、ツァイネが話を進める。このやりとりが相変わらずで懐かしい。
「そんな大げさなもんじゃないよー。そもそも、私女の子としてはちょっと失格な方だしね。それより、どうしてここへ? 帰ってきたにしても、普通は着替えてこない?」
なんとなく理由は想像がつく。だが、直接本人たちから聞きたいのである。「真っ先に会いに来た」と。
「もちろん、一番にエルちゃんの顔が見たかったからさ」
「後、メシもだけどな」
予想通り。好かれるという事は悪い気のする事ではないが、少し気恥ずかしく、少し重たい。これが人の気持ちという奴か。
「あはあ、ありがとー。でも、今日お休みなんだよね。あいにくとご飯は私とおばさんの分、二人分しか作れないし」
「げ!」
「そんな〜!」
落胆に暮れる二人の前に、おばさんが立ちはだかった。ゲートムントたちは、その存在に気づいてすらいなかったようだ。
「あんたたち! いい歳こいて情けない声出すんじゃないよ! エルちゃん、あたしらのお昼ご飯はあたしが家で作るから、この二人に作っておあげよ。できるだろ?」
「おお!!」
「女神様!」
一転目を潤ませ、おばさんを拝み倒すその姿は、本当に情けなかった。やはり、好かれるという事は、少々重たい。
「んー、そうですねぇ。二人の好みのメニューじゃないかもしれないけど、それでもいいなら、ね」
顎に指を添え、虚空を見つめながら少し考えた。おばさんのアイディアなら、どうにでもなるし、おばさんのお昼ご飯が食べられるなら、それこそラッキーだ。
「もちろん!」
「うん!」
好みじゃないと言って釘を刺しても、二人には関係なかった。二つ返事が返ってくるのも、想定の範囲内なのだ。
「ただし、お題はきっちり頂きます」
「えー!」
「そんな〜!」
「だから、情けない声を出すんじゃないよ! ここは食堂、当たり前だろう!」
通り中に、おばさんの怒声が響き渡る。コッペパン通りは、いつも通りの賑やかさを取り戻していた。
〜お・わ・り〜




