チャプター10
〜昼時 職人通り外れ〜
通りの外れに、一軒の家具工房がある。王都に数軒ある家具屋の中でもその評判は高く、王城や貴族の屋敷にも納めるほどの高級家具から、庶民が気軽に買えるものまで、高品質な家具を幅広く取り扱っていた。
『幅広い客に支持されなければ末永くは栄えない』という初代マイスターの言葉を元に、誰でも買えるラインナップと、みんなが満足できる品質を貫いて来た。
そんな工房の片隅に、ポニーテールに結わえた赤毛を揺らす、一人の少女がいた。言うまでもなく、エルリッヒである。
おじさんことゲオルグは、この工房の今のマイスターを勤めている。親方として数多くの徒弟を抱え、先代から受け継いできた技術を伝え、王都民に高品質な家具を提供して来た。
王都に限らずこの工房に限らず、昼休みは皆外に出て食事をする。食堂に行く者もいれば、公園や広場などで弁当を広げる者もいる。中には、家に帰る者もいる。とにかく、工房の中は無人になるのである。
「まずは、お昼休みのおじさんの行動を尾行して、監視するわよ!」
というのが意気込みであり、最初の調査だった。通りの向かい手にある靴工房の影で、じっと気配を殺して待つ。職人達が出てくるのが先か、親方であるおじさんが出てくるのが先か、とにかく、その行動を調べなければならないと考えた。
問題は、店から離れたここ職人通りにあっても、エルリッヒは比較的有名だった、という事である。
若い娘が食堂を切り盛りしている、という本来の知名度はもちろん、フォルクローレとの交流で「あの怪しい工房に出入りする姿を見かける」という不本意な知名度も獲得し、フォルクローレに対する誤解が和らいだ今でも、やはり「あの工房の子の友達」という認識で見られている。顔が知られているだけでなく、この燃えるような赤毛も、王都では珍しい。
つまり、こんな場所で張り込んでいては、目立って仕方ないのである。
「やっぱり、髪型変えたりほっかむりしたり、工夫した方がよかったかな」
フォルクローレのアトリエからの直行ではないが、この界隈で時間をつぶしていたのも事実。すでに色んな人に目撃されていた。
職人通りは工房の並んだ通りであると同時に、色んなお店が並ぶギャラリー、商店街でもあるのだ。工房のみを抱え、商品は客とマイスターが直接やり取りするタイプの工房もあれば、工房で作った店をその場で店頭販売するタイプのも工房もある。金物細工や看板、装飾品など、小物や飾る物にその光景が多い。そして、それらの主なターゲットは、女性だ。
買うのは男性かもしれないが、看板など一部を除き、最後に身につけるのは女性なのである。それゆえ、エルリッヒがこの通りで時間をつぶすのには、なんの苦労も要らないのだ。
「これじゃ、こっそりにはならないか……」
そうは思いつつ、おじさんに見つからなければいくらでも言い訳は立つ。まずはそこを重点に絞って行動しよう。自宅から持って来たパンをぱくつきながら、再びじっと身を潜めた。
〜30分後〜
「じれったい……」
こっそり隠れてから30分後、まだおじさんが工房から出て来ない。時を刻む教会の尖塔に据え付けられた時計がどれだけもどかしく感じる事か。
「あ! 出て来た!」
おじさんは物陰のエルリッヒには気付かず、そのまま職人通りから離れて行った。どこへ行くのだろうといぶかしんでいると、その方角はエッセン通りに向かっているようだった。
「エッセン通り? お昼ご飯じゃないの?」
エッセン通りはいくつかある貴族の屋敷がある通りの一つで、伯爵や男爵の屋敷に混じって、大商人の屋敷も軒を連ねていた。こんな通りに行くと言う事は、考えられる可能性は二つに一つしかない。
「お金持ち相手の商談か、おばさんが言った通りの浮気か、どっちなのかな」
気付かれないよう、少し離れた所から後を付けて行く。気配を察知する事もできるので、少々離れていても追いかける事が出来た。
と言っても、戦士でなく、かつての人間のような魔法の力もないので、おじさんの発する気配は微弱なのだが。
「ううむ……お? おや? あ、入った!」
身なりのいい人間ばかりが通るエッセン通りにあって、明らかどこかしらの工房から出て来たのが分かるおじさんの格好は、どう見ても浮いている。もちろん、エルリッヒとてそれは同じで、どこからどう見ても庶民の出で立ちなのだから、目立つ事に変わりはないのだ。
気にするそぶりがない事だけは、自分を褒めてもいいのかもしれない。
「ここは……?」
通りでも比較的奥にあるその屋敷は、窓から外壁が見える位置にあった。表札のような物はないので、外から誰の屋敷かを窺い知る事は出来ない。ただ一つ、双頭の竜の紋章が刺繍された旗が、風ではためいていた。
「うげ、首が二つとかありえないし。てゆーか、うーん、誰の家なんだろう。分かる人いないかなぁ。王様なら調べられるんだろうけど、王様に会いに行くのはさすがに問題がある。王様自身は快く迎え入れてくれるかもしれないが、何しろ多忙だ。そして、それ以前に今の自分がどんな手続きを踏んだら直接謁見できると言うのか。
「はぁ〜、竜の王女です! なんて言ったって、会えるわけないし、信じてくれるわけもないし、どうしたら分かるのかな〜」
少しの間悩んでいると、不意に天啓が降りて来た。脳裏に、金の髪が陽光に輝き、屈託のない笑顔を向ける、一人の天使が舞い降りたのだ。
「そうだ! フォルちゃん! 彼女なら、何か分かるに違いない!」
フォルクローレが貴族相手にも仕事をしていると言う話は、親しい者の間では有名な話だった。彼女であれば、この国の貴族がどこに屋敷を構えているかが分かるのではないか、と考えた。尤も、相手は貴族や富豪、その情報はなかなか聞き出せないかもしれないが。
「当たって砕けろ……か」
確証が得られない以上、頼れる情報筋は一つしかない。教えてくれなくても仕方ない、くらいに考える事にした。まずはおじさんが今屋敷の中で何をしているのか、だ。
貴婦人や若い娘相手に浮気をしているのか、それとも家具についての商談をしているのか。さすがにここからそれを窺い知る事は出来ない。それでも、おじさんが出て来るまでは待っていなければ。
「ま、また待つのか」
自分が選んだ道とは言え、どうもこのじれったいのは性に合わない。性に合わない事をするのは苦痛だ。今は我慢だが、明日以降は少し考えなければ。
しかし文句を言っても始らない。今はただじっと待っていなければならない。まずは屋敷と屋敷の間の路地に入って、またしても比を潜める。
事態が動いたのは、またしても30分ほど経ってからだった。おじさんが屋敷から出て来たのだ。その表情からは、何も窺う事は出来ない。
「出て来た!」
再度の尾行をせねばならない。おじさんに気付かれないよう、またも距離を開けての尾行となった。
方角からすると、来た道を戻っているようなので、これは恐らく工房へ戻るのだろう。簡単な推測ではあったが、念のために尾行は続ける。しかし、先ほどと違う点に、一つ気付いた。
「あれ、これ……」
それは、エルリッヒの鼻腔をくすぐる芳香。人間のそれより遥かに優れた嗅覚が、離れた距離にあってもおじさんからただよいいい香りを嗅ぎ取った。
香水を初め、化粧品にはあまり詳しくはないので、詳しい銘柄は分からない。だが、これは花の香り、それもこの辺りで嗅ぎ取る事の出来ない花の香り。つまり、高級品。貴族ないし富豪の家に入ったのだから、そこの家人が使っている香水が高級品でもなんら不思議はない。しかし、いくらなんでも屋敷中がいい匂いに包まれていると言うのは無茶な話だ。
「おばさんが疑うのも、無理ないかな。こんなにしっかり匂いが着くんだから、貴婦人と親密な距離じゃないと……」
この日最大の収穫は、誰にとっても嬉しくないものとなった。
〜つづく〜




