青空に日の出は来ない
鳳空飼の過去話です。
少年は屋上に寝転がって空を見上げていた。雲一つない快晴の空。自分みたいだと少年は思った。少年の心を満たしてくれるものは誰もいなかった、空っぽだった。ただ澄んだ青色で塗りつぶして誤魔化していた。太陽なんて大それたものは望まない、小さな雲のひとかけらでもあればそれで満足できるのに。
「君! 屋上は立ち入り禁止だよ!」
「……何だ、先生かと思った」
少年が顔を上げながら答える。少女は寝そべっている少年の隣に寝転がった。
「人気者の君が一人でいるなんて珍しいね」
「僕も一人になりたいときぐらいあるよ」
「人気者はつらいね~」
少女が少年の脇腹を肘で小突く。
「でも授業サボっちゃってよかったの?」
「君もだろ」
「大丈夫! 保健室行くって言ってきたから!」
「……何が大丈夫なんだか」
「えへへ。あ、見て。鳥さんが飛んでる」
少女の指さす方にはカラスが1羽飛んでいた。
「いいなあ。私生まれ変わったら鳥さんになりたい」
「彼らは人間が考えてるほど自由じゃないと思うけどな」
「空飛べるのも魅力的だけどねー。でも何よりフワフワしてて温かそうじゃない?」
「……変わってるな君は」
「君には言われたくないね」
少女はケラケラ笑っている。少年もつられて笑いだす。
「ねえねえ、私が鳥になったら一緒に空飛ぼうね」
「なぜ僕まで鳥になることが決定してるんだ」
「いいじゃん、君もなろうよ」
「なろうとしてなれるものじゃないだろ」
「……ごめんね、私がもうちょっと賢かったら君を一人にしなくてすんだのに」
少女は寂しげな表情になった。少年はぽかんとしている。
「君の空がいつも青かったから。快晴の青空じゃなくて涙色の青。寂しいんだよね?」
「……そんなことないって」
「だからね、私もっと賢くなりたいの! ね、勉強教えて?」
少年はさっきとは全く別の感情でぽかんとする。少女は胸の前に参考書を構えながら目をキラキラ輝かせている。
「……別にいいけど」
少年は少女の勢いに押されて承諾してしまった。こうして屋上での特別授業が始まった。
「ふむふむ、なるほど。分かりやすいけどちょっとムカつく」
「何でだよ」
「君は普段サボってるくせになんでそんなにできるのさ?」
「効率的にやるコツがあるんだよ」
少女が身を乗り出す。
「興味深いね! 教えて教えて!」
「脳を作り変えてからやるんだよ。それ以外のすべてを頭から排除っていうか……」
「ふむ、あんまり参考にならなさそうだね。もういいよ」
「君が聞いてきたんだろ。ほら、好きな人のこと考えてる時みたいなもんだよ」
「それならなんかできそう! ……ん?」
何かに気づいた少女がニヘーと笑う。
「つまり君もそんなことを考えたりするって解釈で良いのかな?」
「……茶化すなよ」
「照れるな、照れるな。思春期の健全な男子なら当たり前だよ」
「セリフがおじさん臭いぞ。一般論だ、一般論」
「うーむ、君も人間らしくなったと思ったんだが、実に残念だ」
少女がわざとらしく額を押さえる。少年は呆れ顔をしている。
「……ねえ、私入院することになった」
「そうか。……お見舞い行ってもいいかな?」
「……! もちろん! 君が来てくれたら何よりの薬だよ!」
屋上での特別授業は少女の病室に場所を移した。少年は毎日お見舞いに通った。
「あ、見てー。鳥さんが飛んでる」
「やっぱりまだ鳥になりたいのか?」
「ずっとベッドで寝転がってたら空も飛びたくなるよ。君と一緒の高校行けないかも」
「入院中なんだから仕方ないよ。今は治療に専念しろ」
「はぁ……いつ退院できるかな。ねえ、私のこと元気づけてよー」
「そう言われても……退院したら一緒にどこか出掛けるか?」
「本当!? よーし、私頑張っちゃう! 行きたいところいっぱいあるんだよ!」
「焦るなよ。心配しなくても僕は逃げないからさ」
「おっ? 言ったね? 言質取ったからね? フフッ、楽しみだなあ」
少女が嬉しそうに笑う、少年もその笑顔を見て嬉しくなる。
「僕も頑張るよ」
「ん? 何を?」
「鳥みたいに空を飛べる機械を作ってるんだ。まだ開発途中だけど、君が退院する頃までには必ず完成させる」
「それってフワフワしてる?」
「検討するよ」
「でも困ったなあ。本当に鳥さんになっちゃったら、好きな人と手を繋げなくなっちゃう」
「いるのか? ……っていやいや、フライングスーツはそんなんじゃ……」
「気になる? ねえ、気になる?」
少女が目を細めて少年の顔を覗き込む。少年は恥ずかしそうに目を逸らす。
「別にそんなこと、僕はどうでも……」
「君だよ」
少年の方をまっすぐ見つめてささやくように言った。
「……手ぐらいいつでも握るよ。もし握れなくなったら、その時は一緒に空を飛ぼう」
「うん、約束ね」
少年と少女はそう言って固く手を繋いだ。恥ずかしくなって慌てて手を放す。
「えっと……また来るよ」
「う、うん、また明日」
そう言って少年は研究へと戻っていった。しかし彼らの別れの時は、すぐそこに迫っていた。
「はい、鳳でございます。……はい。……はい。あの、空飼様……天道さんという方から……」
「何!? 代わって下さい! ……え……はい。……分かりました。すみません、わざわざありがとうございます。……ご冥福をお祈りします」
少年の右手はしばらく受話器を握ったまま動かなかった。左手に握られていたUSBには彼が開発したフライングスーツの設計データが入っていた。
「あなたが、鳳くん?」
葬儀の場で話しかけてきたのは少女の母親だった。振り向いた少年の目は涙とクマでおどろおどろしい状態になっていた。
「昇瀬ね、私といる時もあなたの話ばっかりしてたの。あなたが一緒だと楽しいんだな、ってのが伝わってきて、私もすごく嬉しかったの。……本当はね、入院した時にはかなり危ない状態で、お医者さんも半年も生きられただけで奇跡だって驚いてたわ。きっとあなたがいてくれたおかげだと思う」
「僕は……僕は何も……」
少年には少女の母の言っている意味が理解できなかった。ただ、このままだと人目も憚らずに泣き出してしまいそうだったので、少年は逃げるようにその場から走り去っていった。自宅の部屋に戻った少年は一人で泣いた。
「何も……何もしてあげられなかった……彼女は僕の居場所になってくれたのに……僕の心を救ってくれたのに……君がいないと……僕は……僕は……」
なぜ彼女は笑っていたのだろう。もうすぐ死ぬっていうのに。怖かったはずだ、怖くないはずがない。なぜ自分にその心を見せてくれなかったのだろう? 自分は彼女のことを理解できていなかったのか? これでは自分が一方的に救ってもらっただけではないか。
いいなあ。私生まれ変わったら鳥さんになりたい
少年の涙はやがて枯れ果て青空に溶けていった。太陽の温もりを知ってしまった彼は、もはや雲間から差し込む光では満足できなくなっていた。太陽が燦燦と照りつける快晴の青空を渇望するようになってしまっていた。
少年は、彼女を取り戻す方法がないかと死に物狂いで模索した。そんなものはファンタジーだと、少年も心のどこかでは理解していた。それでも縋らずにはいられなかった。
「……この方法なら……やるしかない。手段は選んでられない。……今度は、僕が救うから」




