水精姫と停学復帰
大通りでの予期せぬ「お試し交際」の合意。
その熱冷めやらぬまま、マリエルたちが鍛冶屋『スーパーアックスボンバー』へと戻ってきた後もルカの猛攻は一向に止む気配を見せなかった。
むしろ言質を取ったことで何かのリミッターが外れたのか、彼は今までにも増して距離を詰めてきたのだ。
「マリエル嬢。足元が少し暗いから、気をつけてくれ」
「あ、うん。大丈夫だよ……って、ルカ君、近い……!」
例えば店の薄暗い通路を歩くだけで、ルカは自然な動作でマリエルの手をきゅっと握りしめる。
振り払おうとする彼女の抵抗など意に介さず、涼しい顔で歩調を合わせるのだ。
マリエルが必死に抗議の声を上げるも、ルカは「恋人だろう?」という免罪符を盾にして涼しい顔で切り返してくる。
その言葉の響きに、マリエルはぐうの音も出ずに口を閉ざすしかない。
「あっはっはっはっは! 良いねえ、ルカ坊っちゃん! その調子だよ! 若いってのは本当に素晴らしいねえ!」
その光景をカウンターの奥から眺めていたバーバラは、腹を抱えて大笑いしている。
かつて無表情で感情を押し殺していた少女が、今や一人の少年に翻弄されて顔を真っ赤にして慌てふためいているのだ。
下界での親代わりを自認する彼女にとって、これほど愉快で微笑ましい光景はない。
辺境の鍛冶屋に響き渡る笑い声の中、マリエルは繋がれた手の熱に顔を赤くしてうつむくしかなかった。
やがて、短くも濃密だった辺境の街での滞在も終わりを告げる時間がやってきた。
王都へ戻るための馬車を手配し、三人は鍛冶屋の入り口でバーバラに見送りの挨拶をする。
「さて、通信機の件だけどね」
バーバラは太い腕を組みながら、少しだけ真面目な顔つきになった。
「流石にマリエルちゃんたちの滞在中に修復は無理だったね。術式が細かすぎて私の目と腕でも、ちょっと骨が折れる。慎重にやらないと元も子もなくなるからね」
「やっぱり、そうですよね……。無理を言って申し訳ありません」
マリエルが申し訳なさそうに頭を下げる。
あの神界の技術の結晶を下界の鍛冶師の力だけで直そうというのだ。
時間がかかるのは百も承知である。
「気にしなさんな。職人としての血が騒ぐ、良い仕事さ」
バーバラはニカッと笑い、大きな手でマリエルの頭を撫でた。
「近々、学園祭があるんだって? 多分、その時期には仕上がると思うから学園祭を見に行くついでに王都まで私が直接持って行くよ。ついでに王都の美味い酒でも飲んでこようかね」
「本当ですか! ありがとうございます、バーバラさん!」
「ええ。バーバラ殿のご来訪、心よりお待ちしております」
セリアは喜び、ルカもまた礼儀正しく一礼をした。
こうして通信機修復の確かな約束を取り付け、マリエルたちは再び王都への帰路についたのである。
◆◆◆◆
そして臨時休校が明け、授業が再開された魔法学園にて。
秋も深まり、肌寒い風が吹き抜ける中庭を窓から眺めながらマリエルは深いため息を吐いていた。
「はあ……」
「どうした、マリエル。心配事でもあるのか?」
隣を歩くルカが甘く低い声で語りかけてくる。
彼の右手は、当然のようにマリエルの左手を包み込み、きゅっと優しく力を込めている。
「ううん、そういうんじゃないよ……」
マリエルは視線を落とし、力なく首を振った。
辺境の街で「お試しでも」と軽はずみに合意してしまった、あの瞬間。
まさか彼がここまで極端な行動に出るとは夢にも思っていなかったのだ。
まず学園に戻ってから呼び方が変わった。
以前は「マリエル嬢」と、どこか一線を引いた敬称をつけていた彼が、今では息をするように自然に「マリエル」と呼び捨てにするようになった。
名前を呼ばれるたびに、心臓が跳ねるような感覚に襲われる。
そして距離感が近い。
歩く時、そして座る時も。
常に肩が触れ合いそうな位置をキープしてくる。
そして冷徹だった『闇の貴公子』がマリエルと目があうたびに、蕩けるような甘く優しい微笑みを向けてくるのだ。
抱きしめたりキスをしたりといった過剰なスキンシップこそ行ってはいない。
しかし、ずっと手を繋いだまま周囲の目など一切気にせず、ただひたすらに優しく微笑みかけてくる。
その破壊力は凄まじかった。
ルカがいる間、マリエルの顔は常に赤く染まりっぱなしである。
当然、そんな二人の様子が学園の生徒たちの目に留まらないはずがない。
「……なんか、休校前より距離感近くないか、あの二人」
「『水精姫』があんなに顔赤くしてるの、初めて見たぞ……」
「『闇の貴公子』もだぜ。まさか、あの二人……本当に付き合ってるのか……?」
「嘘だろ……俺のクールでミステリアスな『水精姫』が……誰かのものになっちまったなんて……」
「お前のじゃねえよ、座ってろ。現実を見ろ」
「ルカさんって、あんな顔で笑うんだね……。なんか凄く優しそう……」
周囲の生徒たちが、遠巻きにヒソヒソと囁き合っている。
その声は風に乗ってマリエルの耳にもしっかりと届いていた。
五天星の第三位と第五位。
学園の頂点に立つ天才同士の身分差を越えたロマンス。
ただでさえ目立つ二人が、こんな甘い空気を垂れ流していれば噂になるのは火を見るより明らかだ。
「ルカって、あんなに大胆なことができたのか……」
少し離れた場所でアランが感心したように呟いている。
彼でさえ、ルカのこの劇的な変化には面食らっているようだ。
隣でセリアが得意げに胸を張る。
「これも、私のおかげですよ」
「……何したんだい、セリアちゃん」
「えへへ。私の持ってる、とっておきの溺愛系恋愛小説をルカ君に貸したんです。『氷の公爵様は、小動物系ヒロインを逃がさない』っていう、クールな男キャラがヒロインをデロデロに甘やかすやつ」
「なるほど、それを参考にしたんだ。真面目だもんなー、あいつ」
(セリアアアアアアアア!!)
マリエルは心の中で親友の名前を絶叫した。
まさか、あの真面目なルカが市井の恋愛小説をマニュアルとして真剣に読み込み、実践しているとは。
道理で台詞の端々や行動のタイミングが物語のワンシーンのようなわけだ。
実に余計なお世話である。
――そんな甘くもいたたまれない空気が流れていた、その時。
「オイオイオイ。テメェら、そんなキャラだったかァ? アラン先輩にルカ君よォ」
どこか聞き覚えのある声が二人の背後から掛けられた。
ルカは繋いでいたマリエルの手を自然な動作で離し、彼女を守るように一歩前へと出る。
声の主は燃えるような真紅の髪を無造作に束ね、吊り上がった三白眼でこちらを睨みつける男子生徒。
あの演習場でマリエルの水球によって無残に敗北し、頭を氷漬けにされた男。
「平民女二人に媚びるような奴らだとは知らなかったぜ」
ローランド・ベルディア。
かつて五天星の第五位に座していた『炎帝』が、不敵な笑みを浮かべて立っていた。
「よォ、チビ女。随分と表情が出るようになったじゃねェか。なァ?」
「ローランド・ベルディア……!」
あの日セリアをいたぶり、自分を「チビ女」と嘲笑した男。
その不快な声と態度は全く変わっていない。
ルカが静かな声で問う。
「……停学が明けたのか、ローランド」
「おかげさまでな。随分かかっちまった」
ローランドは首の骨をボキボキと鳴らし、マリエルを睨みつける。
「そこのチビ女に負けたせいで俺の人生はメチャメチャだ。五天星の席も俺の代わりにそいつが座ってるんだろ? ――リベンジだ」
「しつこい男は嫌われるよ。三下男」
「言ってろ。俺は停学期間中、てめェを倒すことばかり考えていたんだ」
ローランドの顔が怒りで赤く染まる。
「聖書を写本していた時も! 僧侶の説法を聞いていた時も! 門の前を掃き掃除していた時も! 道徳の授業中も! ずっと、お前をどうやって倒すか、そればかりなァ!!」
「そんなことしてたの?」
「せめて更生の授業はしっかり受けろ」
ルカは呆れたようにため息をつく。
「うるせェ! てめえを倒して俺は五天星に返り咲く! 演習場に来やがれ! 先公はもう呼んであるからなァ!」
「あ、ちゃんと手続き踏んでる」
以前の彼ならルール無用でいきなり攻撃魔法を放ってきてもおかしくない性格だったが。
ちゃんと教師を通して公式な決闘の場を用意している。
「ここで問答無用に攻撃しないあたり少しは成長したな、ローランド。だが」
ルカは、さらに一歩前に進み出る。
その漆黒の瞳が再び鋭くローランドを射抜いた。
「マリエルと戦うのなら、その前に俺と戦ってもらおう」
「ルカ君……」
マリエルがルカの広い背中を見つめる。
彼は今、五天星の第三位としてではなく一人の「恋人」として、彼女を守るために立ちはだかっているのだ。
「へえ? 騎士気取りかよ。いいぜ、まずはてめェから……」
ローランドが杖を構え直した、その時。
「おっと。マリエルに喧嘩売るんなら、私を除け者にしちゃいけないね」
横から軽快な足取りでセリアが前に進み出た。
彼女は両拳を軽く打ち合わせ、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべる。
ローランドはセリアの姿を認めると、心底呆れたような見下すような目を向けた。
「はあ? あの時、俺の炎でボコボコにされて転がってた弱ェ平民女じゃねえか。引っ込んでろよ。また俺の魔法でボロ雑巾にしてやろうか?」
「以前の私と同じに思ってもらっちゃ困るね。これでもだいぶ鍛えたんだよ?」
「ほお……。いいぜ、じゃあまずお前からその減らず口を叩けないようにしてやる……」
ローランドが標的をセリアへと変更しようとした、まさにその瞬間。
今度は、アランがスッとセリアの前に立ちはだかった。
「おっと! セリアちゃんに手を出すなら、先に僕と戦ってもらおうかな?」
「……次々出て来てんじゃねえよ! ウザッてえな! 俺は一体、何回戦えばいいんだよ!!」
「ごもっともすぎる」
アランが出てきたことでローランドの忍耐が限界に達し、マリエルはローランドに思わず深く同意してしまった。
確かにマリエルと戦おうとしているだけで、次から次へと強敵が立ちはだかってくる。
どういう状況だろうかこれは。
ローランドは苛立ちを隠せない様子で、舌打ちをする。
「チッ……。どうやら普通に挑もうとすると色々面倒そうだな」
彼は杖を下ろし、踵を返した。
その姿にルカが端的に問う。
「どこへ?」
「演習場だ。先公に入れ替え戦はなくなったって伝えねえとな」
ローランドは背中越しに鋭く目線だけ向け、吐き捨てるように言った。
「リベンジは『闘技祭』でやってやる。あの舞台なら、てめェらみたいな取り巻きの邪魔は入らねェ。一対一の真剣勝負だ。それまで誰にも負けるんじゃねえぞ? 『水精姫』さんよォ」
そう言った彼は、そのまま振り返ることなく足早に廊下の奥へと去っていった。
その後ろ姿には闘技祭に向けた闘志が渦巻いている。
「『闘技祭』かあ」
学園祭の目玉行事であり、全生徒が参加する大規模なトーナメント戦。
そこで彼と再び相見えることになるだろう。
「ああ、1対1のトーナメント。確かにあそこなら余計な邪魔は入らないだろうな。だが……」
ルカは一度言葉を切り、困ったように呟いた。
「トーナメントの都合上、誰が誰に勝ったかわかりにくい『闘技祭』は五天星の入れ替え戦にはカウントされないんだが……。あいつは、それを知っているんだろうか……」
そんなルカの呟きは、廊下の向こうに去っていったローランドの耳に届くことなく消えていくのであった――。
わかりにくいし根本の性格は変わってないけどちゃんと更生してます。




