第11話 ゴルフ禁止令、発令
◆帝都からの布告
帝都イーヴェルン──威厳と冷厳の都。
灰色の石で築かれた広場に、今、民衆が集まり始めていた。
空は曇り。風は吹かず。
ただ、中央の布告台に掲げられた赤い封蝋が、血のように重く沈黙を放っていた。
「……まさか、あれが……?」
人々の視線が一斉に集まる。
やがて一人の兵士が、無骨な甲冑の音を響かせながら前に出た。
その男は、巻物を広げ、機械のように抑揚のない声で読み上げ始める。
>「布告──帝国全土に告ぐ」
>「ゴルフは若者の精神を堕落させ、戦技の鍛錬を妨げ、国家の柱を蝕む異端の遊戯である」
>「よって、これを直ちに禁止する」
>「すべての用具は没収、コースは封鎖、違反者は罰せられる」
ざわっ……と、広場がどよめいた。
「な、なんでだよ……!」
一人の青年が、思わず叫ぶ。
その声は、鋭く空気を裂き、群衆の胸を突いた。
だが、即座に兵士たちが動いた。
銀の長槍が揃って持ち上がり、整然と列を組んで群衆を押し返す。
「下がれ。布告は絶対だ」
その一言で、辺りの空気が凍りついた。
誰もが足を止め、言葉を失った。
兵士の無表情な仮面が、帝国の冷酷さを如実に物語っていた。
騒音は消え、風もない広場に、巻物を巻き取る音だけが残る。
──コトリ。
それは、希望が一つ、地面に落ちた音だった。
◆村への報せ
乾いた風が、草の匂いを運んでくる。
今日も辺境ゴルフ村の空は青く、練習場では子どもたちがパターの感覚を確かめていた。
──その空気を、乱す音が響く。
パカラッ、パカラッ……!
帝国の紋章を掲げた軍馬が、一気に村の広場に飛び込んできた。
馬上の伝令兵は、無言で馬を止めると、懐から赤封蝋の布告文を取り出す。
「村長殿、帝都からの急報です」
村長は目を細めながら、重々しくその文を受け取った。
集まった村人たちがざわつき始める。
「帝都から……? 珍しいな……」
「まさか戦争か?」
「でもこの平和な村に、何の用が……?」
その場にいたエミリアが一歩前へ出て、文を村長から受け取る。
赤い封蝋を割ると、細長い巻物が静かに広がった。
彼女は一呼吸おいてから、読み上げ始める。
>「布告。帝国全土に通達する──」
>「ゴルフは若者の精神を堕落させ、戦技の鍛錬を妨げる異端の遊戯と認定された」
>「よって、即刻すべてのゴルフ行為を禁止とする」
>「用具は没収、練習施設およびコースは封鎖、違反者は処罰の対象となる──」
読み終えた瞬間、広場に沈黙が落ちた。
「……なんだって!?」
「そんな馬鹿な!」
「俺たちが何をしたっていうんだ!」
声にならない怒りと困惑が、次々と噴き出す。
いつも陽気なクラブ職人ランバルトでさえ、目を伏せたまま何も言わなかった。
エミリアは文書を見つめながら、ぽつりとつぶやく。
「……まるで、戦争前夜ですね」
その言葉に、場の空気がさらに冷たくなる。
すると、コーデリアが静かに前に出た。
視線はまっすぐ、布告文を見据えたまま、強い声で告げる。
「文化を奪うことは、魂を縛ることです」
その響きは、村人たちの心にじわりと染み入っていくようだった。
誰もが、自分の手で握っていたクラブの重みを思い出していた。
これはただの“遊び”ではない。
この村で培われてきた、自由と創意の象徴なのだ。
風が吹いた。
それは、時代の変わり目を告げる風だった。
◆圧力の兆し
夕暮れのオレンジ色が、練習場の芝生を照らしていた。
少年たちはクラブを握り、少しでもコーデリアのフォームに近づこうと夢中になっていた。
「よーし……次は風を読んで打つよ!」
「さっきより、もっと右を狙って――」
そんな楽しげな声に、鋭い蹄の音が割り込んだ。
ガシャッ、ガシャッ……
村外れの坂を、黒い軍装の兵士たちが数名、ゆっくりと下りてくる。
中央の男は粗末な装甲に身を包みながらも、その態度は威圧的だった。
「おい、ここで何をしている」
少年たちは一斉に動きを止めた。
その中のひとり、レンという名の快活な少年が口を開いた。
「見てわかんだろ? 練習だよ、ゴルフの!」
「ふん……ここも近日中に封鎖される予定だ。訓令に逆らう気か?」
兵士の口調には、まるで教育係のような苛立ちと見下しが混じっていた。
「やめろよ!」
レンが声を張り上げた。
小さな身体で必死に、クラブを抱えて兵士の前に立つ。
「ゴルフは悪いことなんかじゃない! 誰にも迷惑かけてないだろ!」
しかし次の瞬間、彼の肩をがっちりと掴んだのは、自分の父親だった。
顔色は青白く、声も震えていた。
「レン、やめろ。……下がれ」
「でも父さん――!」
「お願いだ……! 何かあってからじゃ遅いんだ……」
レンは悔しそうに唇を噛みしめながら、クラブを地面に置いた。
兵士たちは嘲るような笑みを浮かべ、ゆっくりと練習場をあとにした。
その背中には、「次はないぞ」と言わんばかりの無言の圧力が宿っていた。
──そして、その夜。
村に戻ったコーデリアたちのもとに、一人の旅商人が駆け込んできた。
「大変だ……隣村の練習場が、火事で……!」
「火事?」
「まさか……ゴルフ場が燃えたってこと?」
旅商人は頷いたが、表情にはどう見ても“ただの事故”とは思えない色が浮かんでいた。
「帝国兵が来てたって噂もある。でも奴らは……“事故”だと、そう言い張ってる」
夜の空に、火の粉の残像がうっすらと浮かぶ。
コーデリアは唇を引き結び、空を見上げた。
ゴルフの風が止められようとしている――。
静かに、しかし確実に、抑圧の影は村にも忍び寄っていた。
◆コーデリアの静かな怒り
辺境の夜は、星明かりと風の音だけが支配していた。
灯火の絶えた村道を、コーデリアはひとり歩いていた。
月光が彼女の銀髪を撫でる。
手にはゴルフクラブではなく、帝国の布告文の写し。
すでに何度も目を通したそれを、彼女はじっと見つめながら呟いた。
「……“若者の堕落を防ぐため”、ね。聞こえはいい」
コーデリアの声は冷えきっていた。
それは怒りよりも、吐き捨てるような失望に近かった。
「要するに、“使えない文化”は排除する。それだけのこと」
帝国が進めているという新しい魔法競技――
軍の訓練と直結し、戦術魔法を競う“戦闘演習型の祭典”。
おそらく今回の禁止令は、その利権のため。
ゴルフのような“自由な遊び”は、軍国主義と矛盾する。
無害で、平和で、心を解き放つものは、彼らにとって“不都合”なのだ。
「……文化は、戦争の道具じゃない」
低く、しかし強い声音で彼女は呟いた。
そんな時、ふと風に乗って笑い声が届いた。
コーデリアが顔を上げると、遠くの広場――草原の端で、数人の子どもたちがクラブを振っていた。
木の枝をクラブ代わりに、地面に置いた石ころを打つ、即席のゴルフごっこ。
スイングの形はめちゃくちゃで、ボールは斜め上にすっ飛んでいった。
「わははっ! すごい飛んだぞー!」
「見たか、これが“風読みショット”だっ!」
──彼らは何も知らない。
ゴルフが“禁止された”ことも、帝国が“抑え込もう”としていることも。
けれど、その笑顔は、まっすぐだった。
空を見て、風を読んで、ただ打つことを楽しむ笑顔。
コーデリアの足が止まった。
彼女の視線が、ゆっくりと子どもたちに注がれる。
微笑むでもなく、叫ぶでもなく、ただ黙ってその姿を見つめた。
しばしの沈黙ののち、彼女はそっと目を閉じた。
「……守らなきゃね」
その声は、風に溶けて消えた。
次に目を開けたとき、コーデリアの中に迷いはなかった。
怒りを静かに燃やしながら、彼女はクラブのある倉庫へと歩き出す。
“文化”とは、ただの娯楽ではない。
人が自由でいるための、生きるための証だ。
「奪わせない。絶対に」
◆黒い旗
朝靄のなか、辺境ゴルフ村は静かだった。
鳥の囀りもなく、村人たちは皆、口を閉ざしていた。
村の入り口――
石で組まれた門柱の上に、それは無言で立てられた。
黒い旗。
金の刺繍で描かれた“剣と鷲”の紋章。
帝国軍の占領地にのみ掲げられる、統制の象徴。
その旗が、ゆっくりと風にたなびいた。
「これよりこの村は、“ゴルフ禁止地区”とする」
兵士の一人が、事務的に宣言した。
口調には怒気も悲哀もなく、ただ機械のような冷たさがあった。
その場に集まった村人たちは、誰一人言葉を発さなかった。
呻く者も、泣く者もいない。ただ、押し殺した沈黙が辺りを満たす。
風が一陣、吹き抜けた。
掲げられた黒旗が、パリパリと乾いた音を立ててはためく。
少し離れた場所に、コーデリアはいた。
一歩引いた丘の上から、村と旗と空を見つめていた。
その表情に、怒りも焦りもない。
あるのはただ、静かな確信。そして、小さな呟き。
「……嵐は、もう吹き始めていますね」
誰に語るでもなく、誰にも聞こえないように。
けれどその言葉は、確かに空へと放たれた。
遠くの空には、黒雲が流れ込んでいた。
帝都の方向から広がるその雲は、まるで未来を覆い隠すかのように。
だが、希望はまだ尽きていない。
風は吹く。打ち返すために。
クラブを握る者たちがいる限り――
物語は、まだ終わらない。




