第1章 #3 『気疲れ なかれ』
異世界召喚――科学では説明できない現象。
俺が消えた今、家族や友人はどうしているのだろうか。
そもそも……元の世界に帰る術なんて、あるのか?
そして思い返す、あのとき耳にした声。女性だったと思う。あの言葉が頭から離れない。
――どうか、この消えゆく運命にある世界を、異端なる貴方の力で救って――
もしそのまま受け取るなら……この世界は、滅びかけている?
……まずは、それを確かめる必要がありそうだ。
「それで、ミナト殿はどこから来たのだ?」
案内された屋敷の一室。どうやら事務室のような場所で、俺は深々と椅子に腰を下ろす。目の前にはこの家の主人――クリスさん。落ち着いた雰囲気の女性で、どこか貴族然とした風格がある。
異世界召喚のことは……今は伏せておこう。下手に話して騒ぎになっても困る。
「……名もない町だよ。小さなね」
俺の言葉を聞いたクリスさんは顎に手を当て、少しだけ考えるようにうなった。
「名もない町……か。この世界は広い、確かにそんな場所はいくらでもあるが……そうなると帰るのも難しいだろう。道は分かっているのか?」
「いや……その町は、もう無くなったんだ」
そう言うと、彼女は少しだけ悲しそうな表情を浮かべた。
「そうだったか……なら、親御さんは……?」
「うん……その話は、もういいんだ」
俺の言葉にクリスさんは申し訳なさそうに目を伏せる。嘘に嘘を重ねている罪悪感はあるが、仕方がない。
「そうだ、俺の町は小さかったからさ。こっちのこと、あまり知らないんだ。一見平和そうだけど……何か起きてたりする?」
――この世界が“滅びかけている”のか。それとなく聞き出したかった。
「……ふむ、情報がない状態で最初にする質問にしては鋭いな」
「ま、自分の町も消えたからさ。他にも似たようなことがあったりするのかって思ってさ」
言ってみて、自分でも雑な嘘だと思った。即席にしては、まあまあか……。
「起きていることと言えば……そうだな。最近、また“奴ら”が動き出した」
「“奴ら”?」
「――七人の咎人。〈傲慢〉〈強欲〉〈嫉妬〉〈憤怒〉〈色欲〉〈暴食〉〈怠惰〉。この七つの罪を背負った大罪人たちだ。古の災厄であり、今なお脅威として恐れられている」
七つの大罪か……キリスト教をベースにした概念だったはずだが、それがこの世界の危機に直結している?
「なるほど。他にはあるか?」
「ある。無劫と呼ばれる存在についてだ」
「無劫……?」
名前を聞いただけで、胸の奥がざわついた。何か……底知れぬものを感じる。
「遥か昔、“無神”と呼ばれる存在が突如現れた。彼はこの世界を蹂躙しようとしたが、当時の“剣神”とその仲間たちによって撃退された。しかし、その戦いの代償は大きかった。世界には“神能”と呼ばれる力によって穿たれた穴が生まれた」
「穴……?」
「底のない、大穴だ。黒く、深く、永遠に続く。今なお広がり続けていて、世界の約四割がその穴に呑まれた」
……思ったよりやばかった………
「それ、止められないのですか?」
「各国が力を尽くしている。だが、止めることはできない。遅らせるのが精一杯だ」
「どうやって遅らせてるんですか?」
「……“仁神”だ」
「あの人が?」
疑問をぶつけると、クリスさんは真剣な目で俺を見た。
「彼はこの世界で唯一、七つの加護、五つの権能、三つの大権能、七つの神能――すべてを持つ規格外の存在だ。歴史上最強と称され、神に選ばれし者……“救世主”とまで呼ばれている」
「……チートだぁ」
「ちーと?……何のことか分からんが、確かに規格外だな。彼が全力で陣を敷き、穴の拡大を抑え続けている。それが、いま世界が“持ちこたえている理由”だ」
「じゃあさっき、“行くところがある”って言ってたのは……」
「そう。彼は今、その任を果たしに向かった」
凄い……あの人、見た目からすごい剣士なのは感じていたけれども。
そんなことを考えていると
ドンッ!
突然、重い音と共に扉が勢いよく開いた。
「うおっ!?」
「おい、姉貴! 必要なもんは……これでいいのか?」
驚いて声を上げると、乱暴に扉を開けた少年がこちらを睨んでいた。見た目は俺と同じくらいの年齢、だらしなく制服を着崩している。
「……誰だ、てめぇ?」
鋭い目つきでこちらを睨む。身長は自分と同じくらい。年齢も見た目通りであれば同じくらいだろうか。着崩した制服がだらしなく見える
「はぁ……客人だ。ルイ、いつも言っているでしょう? ドアは蹴って開けない、制服はきちんと着る。それと――他所様には敬語」
淡々と注意を飛ばすクリスに、ルイと呼ばれた少年はバツが悪そうに頭をかいた。
「わりぃ、ついクセでな。それと、あんたもすまねぇ! 俺はルイ・シルヴァー。姉貴――クリスの弟だ。あんたの名前は?」
「……ナギサ・ミナト。ミナトって呼んで下さい」
「おう、ミナトな。よろしく頼むぜ! んでさ、なんで客人の相手を姉貴がしてんだ?まさか――」
?
「結婚か!?」
「ぶはっ!?」
盛大に水を吹き出すミナト。それに合わせて、クリスが即座に否定した。
「ち、違うッ!」
突然の発言に驚く2人。その2人を不思議そうに見つめながら
「でもさ、姉貴て、客人…ましてや男の相手は基本使用人に任せてるだろ?てことはやっぱり……」
そうなのか…だとしてもそれは飛躍しすぎている。
「違います!今日初め出会ったんですよ?さすがにその展開はないです!」
慌てふためくミナトに、クリスも深くため息をついた。
「……彼は“死外の森”で倒れていたところを仁神殿に救われた。その仁神殿に直接頼まれてな。その確認と、今後の対応を話していたところだ。」
「なるほど」と納得するルイ。とりあえず誤解が解けて良かった。
「それで……これからどうするのだ? ミナト殿」
「そうですねぇ……一文無しだし、この国のことも分からないし……」
「それなら、この国にしばらく滞在するといい。宿と食事はこちらで手配する。お金はかけなくていい」
「お、それいいじゃん! んじゃ、退屈しないように俺も遊びに行ってやるよ!」
「いやいや、そこまでしてもらうのはさすがに悪いですよ!ほんとに申し訳ない」
「一文無しなんだろう?」
圧が凄い…
「う……まぁ、そうですけど」
「なら決まりだな」
「でも……」
「返事は?」
「……はい」
わずか数分…考える暇もなく可決。
謎の圧力に押される形で承諾するミナト。感謝よりも申し訳なさが先に立つ。
――――――――――
「とりあえず、当面はこの建物に滞在してくれ」
半ば無理やり案内された宿。それはとても…
「うわ……とても高そうな建物……」
見上げた屋敷は豪奢で、内装も明らかに高級品ばかりだ。畳むのが怖くなるレベル。
「まぁ、姉貴の選ぶ部屋にハズレはねぇから安心しろって! な、兄貴!」
「いや、そういう問題じゃないんだけど……」
「住む場所は提供した。あとは下町に行って職を探すといい。私にできるのはここまでだ」
「さっき通ったあそこか?」
「ああ、賑やかでいいところだ。仕事も見つかりやすいはずだぞ?」
「なるほど……短期の仕事でも見つかれば、ある程度稼いで出ていくこともできるな」
「それでは、私たちはこれから用事があるので」
「じゃあな、兄貴!」
「二人ともありがとうございます!」
二人に見送られて部屋に案内される――のではなく、まず向かったのはトイレだった。
「う、うぇぇ……げほっ、ごほっ!」
胃の底から吐き気が込み上げる。疲労と緊張、そして異世界という未知の重圧が一気に襲いかかってきた。
「……疲れた……」
気づけばこの世界に来てまだ半日。怒涛のように押し寄せる情報と変化に、頭はもう飽和状態だ。
「これから……どうしようかなぁ……」
壁にもたれかかり、独り言が漏れる。
「とりあえず……お腹空いたな」
吐いた直後に食欲が湧くのかと言われれば微妙だが、それでも食べないとやっていけない。
引き出しに入っていた保存食――緑色の果実。見た目は柿に似ていて、ほのかに甘い匂いがする。それを恐る恐る口にしてみる。
「……うまい」
温かい味が、ほんの少しだけ心を落ち着かせてくれた。
――こうして、ミナトの異世界生活は静かに、けれど確かに幕を開けた。
――――第1章 誰がために 「気疲れ なかれ」




