第2章 #23 『船上都市クラシン』
どうすればいいのか、カノンには分からなかった。
突然知らない土地へ連れて来られ、見知らぬ大人たちと旅をしている。
家族の元へ向かうのだと説明されても、まだ五歳の少女には理解できることなど限られていた。
ましてや、人見知りで引っ込み思案なカノンにとって、それはあまりにも過酷な環境だった。
だから彼女は、ただシスターの後ろへ隠れることしかできない。
知らない男。
知らないメイド。
知らない世界。
そして、さらにそこへ新しい男まで加わった。
もし危ない人だったらどうするのか。
そんな不安が、小さな胸の中でずっと渦巻いていた。
――――――
「なぁ、嬢ちゃん。そろそろ俺の顔くらい見てくれてもいいんじゃねぇの?」
困ったように肩を落としながら、男――アルト・ヴェルグが苦笑する。
赫竜から助けた礼として、船上都市クラシンまで案内を買って出てくれた男だ。
だが、いかんせん距離が近い。
しかも体格が大きい。ミナトと比べれば一回りもふたまわりも大きいのだ
初対面の幼い少女からすれば、怖くなるのも仕方ない。人見知りなら尚のことだ。
「小さい女の子が、熊みたいに大きな男の人に詰め寄られたら怖がるに決まってるじゃないですか」
ミナトが呆れたように言う。
アルトは人懐っこい性格らしく、初対面でもぐいぐい距離を詰めてくる。
悪気はないのだろう。
だが、その勢いについていける者ばかりではない。
「俺ぁただ仲良くなりてぇだけなんだがなぁ……」
「それにもう2週間だぜぇ?」と顎に手を当て、アルトは真剣に悩み始めた。
「まぁ……エレモア王国から一緒の俺にもまだ慣れてないようですし、長い目で見るべきですよ」
「そんなもんかぁ。子供って難しいな」
「大丈夫ですよ。皆さん悪い人じゃありませんから」
アレシアが優しく声をかけながら、カノンへ飲み物を差し出す。
カノンはおずおずと受け取り、小さく一口飲むと、こくりと頷いた。
その姿に、ミナトは少しだけ安堵する。
最初に比べれば、カノンも少しずつ変わってきていた。
まだ怯えてはいる。
それでも、完全に隠れきってしまうことは減った。
それだけでも大きな進歩だった。
「それにしても……二週間くらい歩いたけど、まだ見えないのか?」
ミナトが遠くを見ながら呟く。
するとアルトは豪快に笑った。
「あったりめぇだろ。考えてもみろよ? エレモア王国は周囲に水がねぇ。だから国のお偉いさんが、とんでもねぇ魔法で水を生み出してんだ」
「それに対してクラシンは海の上の都市だ。二週間程度で着く距離なら、そんな大層な魔法なんざ必要ねぇ。海水引っ張って塩抜きすりゃ済む話だからな」
確かに、とミナトは納得する。
エレモア王国の周囲には、大きな湖も川も存在しない。
元は荒れ果てた不毛の地だったとも聞く。
それを覆した魔法。
改めて考えても、やはり規格外だ。
エレモア王国は広い。
中心の高台からでは、外壁すら見えないほどに。
そんな巨大な国を潤し、さらに外壁外の自然まで蘇らせるほどの水を生み出している。
まるで神の御業だ。
「船上都市クラシン……実はずっと行ってみたかったのだ!」
不意に、キリナが勢いよく立ち上がった。
珍しく目を輝かせている。
「あのクラシンは漁業が盛んでな! 名物の“海獣飯”というものがあるらしい! なんでも頬が落ちるほど美味だとか!」
「お、食いついたな」
アルトがニヤリと笑う。
「あれはうめぇぞぉ? 新鮮な海獣を捌いてよ、焼きも煮込みもしねぇ。そのまま飯の上に豪快に盛るんだ」
「海獣そのものの旨味もすげぇが、何より鮮度が段違いだ。原豆汁かけて、痺れ芋をすりおろして食うと最高なんだよ」
「……海鮮丼のようなものか」
ミナトがぽつりと漏らす。
話を聞くだけで腹が減ってくる。
「わたくしは宗教上、生物はあまり口にできませんが……少し気になりますね」
アレシアが苦笑混じりに言った。
「安心しろ。神聖漁業ってのがある」
「神聖漁業?」
「シスターとか宗教関係者ってのは、食えねぇもん多いだろ? だからクラシンじゃ、一度神様への供物として捧げてから食うんだ」
「“どうかお許しください”ってな」
「そうすることで、宗教関係者も食べられるってわけだ」
「変わった文化ですね……」
「まぁ神様との交渉みてぇなもんだ」
神様。
その言葉に、ミナトは思わず口を閉ざした。
脳裏をよぎるのは、自らを創造神と名乗った存在。
――神は、本当にいる。
少なくとも、この世界では。
「そっか…神様は居るんだもんな」
「そりゃいるだろ。そもそも加護、権能だって神様が産み落としたものってのが常識だぜ?」
「そういえばそう聞いた覚えもある」
魔法の勉強をする中で神という単語はよく出てきた。なんでも加護、権能、魔法に限らず生命この世全てを遡り知ろうとすると神に行く着くそうな。
だが、人の子が神に触れる事はタブー。禁忌に当たるらしく基本的に神に関する研究などはされないという。
「アルトは加護とか持ってるんですか?」
ミナトが何気なく尋ねると、アルトは「ん?」と片眉を上げた。
「持ってるぜ?」
だが、次の瞬間。
「――ただ、その話は内緒だ」
そう言って、意味深に口元へ指を当てる。
「無理もない」
キリナが静かに口を開いた。
「加護や権能には利便性の高いものも多い。中には希少価値そのものが武器になるものもある」
「それを狙って、人攫いまでする連中もいるくらいだ」
「あぁ。だから簡単に他人へ話すもんじゃねぇ」
アルトも頷く。
「特に俺みたいに旅してる人間はな。どこで誰に狙われるか分かったもんじゃねぇし」
「そういうことか……すみません。無粋な事をお聞きしました」
「気にすんなって」
アルトは軽く笑うと、すぐに話題を変えた。
「それよりよ。俺たち、会ってから結構経つよな?」
結構と言っても2週間ほどだが
「まぁそうですね」
「なのになんでミナト、お前ずっと敬語なんだ?」
「……へ?」
予想外の指摘に、ミナトは目を瞬かせる。
「俺ぁ堅苦しいの嫌いなんだよ。もっと普通に話してくれりゃいいのによ」
「いや、他人行儀なのは自覚してますが」
「ほれ、また敬語」
そう言いながら、アルトが肩をツンツンしてくる。
図体のでかい男に至近距離で絡まれるのは、正直ちょっと圧が強い。
「……分かりました…....!これからは敬語やます!」
「おう! それでいい!」
満足そうに笑うアルト。
鼻歌まで歌い始め、そのまま前へ前へと歩いていく。
本当に元気な男だ。
「この分なら、あと二ヶ月もありゃ着くかなぁ」
「……あと二ヶ月」
旅を甘く見ていたツケが、ここへ来て一気に押し寄せる。
――帰りたい。
ミナトの悲痛な叫びは、心の中だけで虚しく響いた。
◇◇◇
それから二ヶ月。
長い長い旅路の末、ついに彼らは最初の目的地へと辿り着いた。
「船上都市クラシン……!」
ミナトは目の前の景色に息を呑む。
潮風が吹き抜ける。
波の音が響く。
鼻をくすぐる塩の香りが、ここが海であることを嫌でも実感させた。
そして――。
「すごいなぁ……」
視界いっぱいに広がるのは、無数の船。
船。
船。
船。
大小様々な船が海の上に浮かび、それぞれが橋や通路で繋がれている。
まるで巨大な海上迷宮だった。
さらに奥には、ひと際巨大な戦艦が二隻。
その中央には、豪華な装飾を施された巨大船が鎮座している。
「あれが……」
「改めて自己紹介させてもらうぜ!」
突然、アルトが前へ飛び出した。
「この広大な海に浮かぶ船の集まりにして都市! 海と船と漁業の国――船上都市クラシン!」
胸を張り、両手を広げる。
「そして俺はこの国出身! 都市長の息子――アルト・ヴェルグその人だ!」
「……おぉ?」
突然のテンションに、三人は揃ってぽかんとした。
そして。
「……うるさい」
カノンがぼそりと呟く。
若干怒っていた。
「悪い悪い! 久々の故郷でテンション上がっちまってよ!」
「気持ちは分かるけど、もう少し落ち着いてくれると助かるかな……」
「耳がむず痒い」
キリナが耳をぴくぴくさせながら不満げに言う。
「それで、都市長の息子さんがなぜあんなところで赫龍の餌食に?」
アレシアが静かに問いかける。
アルトは一瞬だけ視線を逸らした。
「そいつは内緒だ。“国家機密”ってやつ」
国家機密で赫龍の餌食になるだろうか?ミナトがふと思った疑念はそっと心の中にしまうのだった。
「……そうですか。失礼しました」
アレシアはそれ以上踏み込まず、素直に頭を下げる。
そんなやり取りをしていると――。
「おい! そこの者たち!」
海上から鋭い声が飛んだ。
小型船がこちらへ接近してくる。
乗っているのは、武装した男だった。
「何者だ! 目的は!」
「おー、俺だ俺」
アルトが軽く手を上げる。
「アルト様!?」
男の顔色が変わった。
「どちらへ行かれていたのですか!」
「長話は後だ。この連中は俺の命の恩人。ミリオン帝国まで向かう途中だから、道案内してたんだ」
「しかし今のクラシンは警戒態勢で――」
「大丈夫だ。こいつらに悪意はねぇ」
アルトの声色が少しだけ低くなる。
それだけで、男は押し黙った。
「……分かりました。ではこちらの船へ」
「おう。向こう着いたら親父んとこ行く」
男は深く頭を下げると、船を横付けした。
「おーい! 乗るぞー!」
「声がでかい……」
キリナが呆れたように呟く。
「カノン、足元気をつけてくださいね」
「……うん」
アレシアに手を引かれながら、カノンが慎重に船へ乗り込む。
その後ろを追うように、ミナトたちも船へ乗り込んだ。
だが――。
「…………」
「…………」
船が動き始めて数分後。
ミナトとアレシアは、揃って青い顔をしていた。
「ミナト? どうした?」
「アレシアさんも顔色悪いぞ?」
「……うっぷ」
「吐きそうです……」
「えぇ……」
キリナが露骨に引く。
「なんだお前ら、船酔いか?」
アルトが豪快に笑った。
「たまにいるんだよなぁ。揺れに弱ぇやつ」
「今は……話しかけないでくれ……」
視界がぐわんぐわん揺れる。
胃がひっくり返りそうだ。
そういえば昔、家族でフェリーに乗った時もこうだった。
あの時も、自分だけずっとダウンしていた気がする。
「もう少しの辛抱だ」
キリナが回復魔法をかけながら支えてくれる。
「安心しろ。この都市の船は普段、古代霊装――【静なる斥鎖】で固定されてる」
「揺れるのは移動中だけだ」
「……それを早く言ってくれ……」
ふらつきながらも、なんとか立ち上がる。
そして改めて見渡したクラシンの街並みに、ミナトは目を奪われた。
船が家になっている。
船が店になっている。
船が道で繋がり、一つの都市を形成している。
そんな光景、元の世界でも見たことがない。
「すごいな……」
思わず零れた本音。
アルトは少しだけ誇らしそうに笑った。
「ここは船と共に生きてきた街だからな」
その声音には、故郷への愛情が滲んでいた。
「元々は戦争の名残らしいけどな」
アルトは海の向こうを眺めながら言う。
「陸じゃ生きられなくなった連中が、船の上で暮らし始めた。それが段々増えて、今のクラシンになったって話だ」
「……なるほど」
ミナトは改めて周囲を見る。
行き交う人々。
船上で魚を捌く漁師。
潮風に混じる焼き魚の匂い。
どこを見ても、“海と共に生きる街”だった。
「皆、この都市を愛してるんだ」
アルトがぽつりと呟く。
その声はとても穏やかだった
そんな空気の中――。
「アルト様!」
港側から声が飛んだ。
振り返ると、数人の武装兵たちが駆け寄ってくる。
その表情は険しい。
「どうした?」
アルトの声色も自然と変わる。
先程までの軽い雰囲気は消え、鋭さが宿っていた。
「都市長がお待ちです」
「……何かあったのか?」
兵士は一瞬だけ言葉を詰まらせる。
「……詳しくは都市長室で」
空気が重くなる。
先程まで賑やかだったクラシンの景色が、急に張り詰めたものへ変わった気がした。
「キリナ、何かあったのかな?」
「詮索はするつもりはないが、どうやら穏やかな話ではなさそうだな」
「だよな」
ミナトは小さく息を吐く。
アルトがこちらを振り返った。
「悪ぃ。ちょっと付き合ってくれ」
「もちろん」
ミナトは頷く。
ここまで世話になったのだ。
無視できるはずがなかった。
◇◇◇
案内された先は、都市中央に停泊している巨大船だった。
近くで見ると圧迫感が凄まじい。
豪華な装飾と巨大な船体。
まるで海に浮かぶ城だ。
「ここが都市長船だ」
「船っていうか、もう宮殿じゃないか……」
「ははっ、最初来た奴は大体そう言う」
アルトに連れられ、中へ入る。
内部もまた豪華だった。
磨き上げられた木材。
赤い絨毯。
壁に飾られた海獣の骨や装飾品。
海の文化と権威、その両方を感じさせる空間だった。
やがて大扉の前へ辿り着く。
「失礼します」
兵士が扉を開けた。
その先。
「やっと帰ってきおったか、このバカ息子が」
低く響く声。
大きな椅子へどっかり座っていたのは、禿げ上がった頭に長い顎髭を蓄えた男だった。
白いローブを身に纏い、その姿には不思議な威厳がある。
「あの人が……」
「俺の親父だ」
アルトが肩を竦める。
「都市長アジノ・ヴェルグ」
「うむ。よろしく頼むぞぉ」
見た目に反して、妙に緩い喋り方だった。
親子だな、とミナトは少し思う。
「さて」
アジノが姿勢を正す。
その瞬間、空気が変わった。
「アルトがおらん間に起きた“大きな出来事”を三つ話そう」
「……おう」
アルトの表情から笑みが消える。
「まず一つ」
アジノは静かに告げた。
「船上都市クラシン直属護衛部隊副隊長――『血狂い』グリル・ナーバス」
「そして、その部下五十名が全滅した。遺体も回収出来んかった」
空気が凍った。
「……は?」
アルトの声が低く沈む。
「『血狂い』……聞いたことがある」
キリナが眉を寄せる。
「クラシンでも指折りの実力者だったはずだ」
「あぁ。アルトを除けば、この都市で最強格だった男じゃ」
「……アルトを除けば?」
ミナトたちの視線が、一斉にアルトへ向く。
すると当の本人は、露骨に気まずそうな顔をした。
「……悪ぃ。実はもう一個肩書きがある」
「肩書き?」
アルトは頭を掻きながら言った。
「船上都市クラシン直属護衛部隊総隊長」
「――『狂犬』アルト」
「それが俺だ」
「えぇ……」
ミナトは思わず間の抜けた声を漏らした。
「なんで黙ってたんだよ……」
「いやだって、ここぞって時に明かした方が格好良くね?」
「ふざけるのも大概にしろ」
キリナの視線が鋭くなる。
アルトは「すまんすまん」と苦笑した。
だが次の瞬間、その表情が真剣なものへ変わる。
「……半分は冗談だ」
「もう半分は、任務の都合」
「俺の肩書きは他国でも知られてる。下手にバレると動きづれぇことも多いんだよ」
「なるほど……」
確かに納得はできる。
これだけの実力者なら、注目されない方がおかしい。
「それで、二つ目じゃ」
アジノの声がさらに低くなる。
「――『暴食』の咎人」
その名が出た瞬間、部屋の空気が重く沈んだ。
「奴が、このクラシンを狙っておる」
「……っ!」
ミナトの背筋を冷たいものが走る。
咎人。
世界に七人存在する、災厄級の犯罪者。
ミナト自身、過去に『憤怒』の咎人と関わったことがある。
直接ではない。
だが、その部下に命を狙われた。
だからこそ分かる。
あれは“人”ではない。
「暴食について分かっていることは?」
アレシアが静かに尋ねる。
「それが分からんのじゃ」
「……分からない?」
「奴と遭遇した者は、ほとんど死ぬ」
アジノは険しい顔で続ける。
「ナタを持った料理人のようだったという者もおれば、長髪の子供だったという者もおる」
「情報が一致せんのじゃ」
「いや、姿違いすぎません?」
「だから困っとる」
ミナトは思わず黙り込む。
正体不明。
しかも遭遇者はほぼ全滅。
それだけで危険度は十分すぎた。
「そして最後の一つ」
アジノの目が細まる。
「ここ数ヶ月、海産物の漁獲量が異常なほど減っておる」
「……それって」
アルトが顔をしかめる。
漁業はクラシンの生命線だ。
それが崩れれば、この都市そのものが死ぬ。
「全部繋がっとる」
アジノは断言した。
「暴食が原因じゃ」
その瞬間。
アルトの額に青筋が浮かぶ。
「……あいつが」
声に滲む怒気。
「グリルたちを殺して、海まで荒らしてるってのか」
殺気すら漂っていた。
「暴食は俺が殺る」
アルトが低く吐き捨てる。
その声音には、これまでの軽薄さなど一切なかった。
「グリルも、あいつらも……仲間だったんだ」
拳が軋むほど強く握られている。
ミナトは黙ってそれを見ていた。
この二ヶ月。
ずっと陽気で、騒がしくて、距離感がおかしい男だった。そして何よりこの2ヶ月で分かったことはとても仲間意識が高いということだ
そんな彼が、いや誰でも仲間を奪われれば激昂するのも無理もない
「落ち着かんか、バカ息子」
アジノが静かに言う。
「一人で突っ込んだところで犬死にじゃ」
「だからって見過ごせってのかよ!」
アルトが机を叩いた。
重たい音が室内へ響く。
「俺がいねぇ間に、皆死んだんだぞ……!」
その言葉に滲むのは怒りだけではない。
後悔だ。
守れなかった悔しさだ。
だからこそ、ミナトは口を開いた。
「――俺たちも手伝わせてくれ」
「ミナト!?」
真っ先に反応したのはキリナだった。
椅子を鳴らして立ち上がる。
「正気か!?」
「正気だよ」
「相手は咎人だぞ!?」
キリナの声が強くなる。
「私たちの目的は世界を旅することだ! それにカノンもいる!」
「そんな危険へわざわざ飛び込む必要はないだろう!」
「……そうだな」
ミナトは否定しなかった。
危険なのは分かっている。
咎人が化け物なのも理解している。
下手をすれば死ぬ。
それでも。
「助けたいんだ」
静かに言った。
「世界を旅するなら、いつか絶対ぶつかる相手なんだろ?」
「だったら、それが少し早まっただけだ」
「今じゃなくていいと言っている!」
キリナが食い下がる。
「しかもカノンまでいるんだぞ!」
「アレシアがいる」
「っ……」
「それに、もしもの時は俺が命を張る」
ミナトは真っ直ぐキリナを見る。
「キリナだって、そうするだろ?」
「それは……」
言葉が詰まる。
キリナ自身、見捨てる選択肢など取れないことを理解していた。
ミナトは続ける。
「アルトは仲間だ」
「仲間が困ってる時に手を貸さなくて、いつ貸すんだよ」
その瞬間。
部屋が静まり返った。
アルトが目を見開いている。
アジノも、じっとミナトを見つめていた。
「俺はもう後悔したくない」
ミナトはぽつりと漏らす。
「助けられたかもしれないのに、見捨てたって後で思うのは嫌なんだ」
脳裏をよぎるのは、元の世界。
家族。
妹。
もっと向き合えたんじゃないか。
もっと話せたんじゃないか。
そんな後悔が、今も胸の奥に残っている。
だからこそ。
目の前の誰かを見捨てたくなかった。
「……私は賛成です」
静かに口を開いたのはアレシアだった。
「アレシアまで……」
「そもそも、始める前から“死”を前提にするものではありません」
アレシアは柔らかく微笑む。
「それに、カノンは私が守ります」
「命に代えても」
「いや、死ぬ気はありませんけど」
最後だけ軽く笑う。
そのおかげで、少しだけ空気が和らいだ。
キリナは深く息を吐く。
そして。
「……分かった」
観念したように肩を落とした。
「ミナトに付き合おう」
「キリナ」
「ただし無茶はするな。死んだら許さん」
「善処する」
「そこは断言しろ」
即座に返され、ミナトは苦笑する。
そんなやり取りを見ていたアルトが、ふっと笑った。
「……ほんと、お前ら変な連中だな」
だがその目は、どこか救われたようでもあった。
「すまねぇな。こんな危険に巻き込んじまって」
「討伐が成功した暁には、相応以上の礼はしよう」
アジノが深々と頭を下げる。
周囲の部下たちも続いた。
都市長が頭を下げる。
それだけ、この状況が深刻なのだろう。
「それじゃまず――」
ミナトが口を開く。
アルトが真剣な顔で続きを待った。
「休むか!」
「…………は?」
全員の動きが止まった。
「いやだって疲れたし!」
「二ヶ月以上歩きっぱなしだったんだぞ!?」
「まず飯と風呂と睡眠だろ!」
「緊張感というものはないのか貴様には!」
キリナが頭を抱える。
だがミナトは真顔だった。
「疲れた状態で咎人と戦う方が危険だろ」
「それは……そうだが……」
「うむ。正論じゃな」
アジノが妙に納得して頷く。
「よし、では今日は休め」
「話はそれからじゃ」
「賛成です」
「俺ももう限界……」
アレシアまで乗っかった。
アルトは数秒ぽかんとしていたが、やがて吹き出した。
「ははっ!」
久しぶりに、心から笑ったような笑い声だった。
「いいぜ。ならまずは、このクラシンを満喫してけ」
その言葉と共に、重苦しかった空気が少しだけ和らいだ。




