97話 夫婦は女の方が強い!
勝ち越され、かつ1死二塁というピンチが続くにもかかわらず、投山は皆がマウンドに集まるのを拒んだ。
おかしいとは思ったが、熊捕はボール球で投山と打者の様子を見る。
……が。
それは、投山が要求したよりも大きく浮き上がり、立ち上がってようやく捕球できた。
球速に限れば102km/hと本日最速。
華園と比べれば遠く及ばないが、アンダースローであることを加味すれば十分すぎるほどのスピード。
かといって、打ちにくい球質かと言えばそうでもない。
投山は返球を求めるようにグラブを掲げたが、熊捕はそれを無視した。
「タイムお願いします」
熊捕は審判にそう告げると、小走りでマウンドへ近づいていく。
「……なんなのだ」
「おかしいのう。試合でカラーコンタクトは禁止されているはずじゃが」
それを聞いた投山は、ぎりぎりと歯を噛みながら熊捕を睨みつけた。
今まで自分への憤りを抱え込んでいたが、事この状況の中で、まさか冗談をぶつけられるとは思わなかったからだ。
怒りの矛先が、自分自身から熊捕へ向かっていく。
「闘気が萎えていないのは結構じゃ。じゃが、ここまで精神的に幼いのは想定の外じゃの。わしらはスピードガン勝負をしているわけじゃない」
熊捕はボールを手で磨き、それを凝視しながら話す。
「ええか。この試合最後の忠告じゃ。お山の大将気分で投げさせてやるのはそれに見合った投球をしている時だけじゃ。今の球を続けるようでありゃあ、お主には投球マシーンのように扱う。どんな手を使ってでも、のう」
ピカピカになったボールを投山に握らせると、最後に熊捕は一言だけ残していった。
「この打者には四球じゃ。1球たりともストライクを入れるな。じゃがその球質で判断するけえ、心していつも通りに投げるんじゃぞ。……わしにお守りをさせるな」
期待をかけすぎれば天狗になるし、逆ならば不貞腐れる。
それは人間であれば誰しもそうだが、精神の幼い学生の投手というのはその傾向が強い。
勝っていればまだしも、負けていれば非常に問題だ。
投手がどれだけ好投し、全員三振に取ったところで自チームの点にはならない。
「闘志を、憤りを。相手に向けられず、自分に向けるくらいなら、全部わしが受け止めてやるけえ」
「……」
その思いが伝わったのか、投山の投球は本調子を取り戻した。
四球など出さずに勝負すればよかったと熊捕を後悔させるほどに。
1死一・二塁。
普通に考えればピンチだが、点を取られる気配が全くなかった。
5番の胡蝶、そして6番と危なげなく打ち取って6回の裏を終える。
「……これで満足か」
防具を外しながら水分補給をする熊捕に、投山が頬を膨らませながら言う。
「満足じゃな。最初からそれをやってくれりゃあ文句なしじゃが」
「我は別に、スピード勝負してたわけじゃないのだ」
「じゃが、力勝負を挑もうとしてたじゃろう。それだけじゃあ押さえられん」
熊捕は投山にスポーツドリンクを差し出す。
「この回もお主に打席が回る。回ごとにコロコロと調子が変わるようじゃあ、わしが心労になるけえの」
「……」
投山はぐびぐびと無言のまま差し出されたドリンクを飲みほした。
7回の表。打順は5番の真中から始まる。
初球、ライズボール。
分かっていたはずなのに、真中は空振りを喫した。
勝ち越した直後の投球だけに、力の入り具合が違う。
結局押され気味の中、ジャイロボールでショートゴロに打ち取られた。
そして6番の右京の打席。
真中と変わらぬ力配分で投じたはずのライズボールは、バットの上っ面に当たった。
真中を打ち取り、少しだけ気が抜けたのかもしれない。
打球は、予想以上の快音を残し舞い上がる。
「レフト!」
弾道だけ見れば、平凡なレフトフライだと誰もが思ったが。
レフトは下がり、まだ下がり、そして。
「越えたぁー!」
スタンドで観戦していた霊山の言葉通り、ライズボールは力負けさえしない限り打球にかかるバックスピン量が増える。
元々スイングスピードのある右京の打球は、レフト越えの2塁打となった。
そこで、キャッチャーの胡蝶がタイムを取る。
「大丈夫。私は百合ちゃんを信じてるよ」
審判から受け取ったボールを両手で渡しながら、胡蝶は華園の目を見つめて言った。
「……うん」
「塁も空いてるし、次のバッターは四球で行こ。塁を埋めたらゲッツー狙いで。いつも通りやれば絶対大丈夫だよ。だからもう、心配させないで、ね?」
胡蝶は口元をミットで隠し、言葉の最後でウインクを投げかけた。
胡蝶も照れ臭かったが、華園は恥ずかしくてグローブで顔全体で覆った。
「……うん。ありがとう、蘭ちゃん。もう、心配、かけないよ」
投山に対して四球を与え、8番の熊捕を迎える。
華園は息を大きく吸い込むと、帽子をかぶり直す。
(蘭ちゃん。これからはもう、試合が終わるまで、全力だよ)
カウント2—2で迎えた6球目。
熊捕は見送ったが、審判の判定はストライクだった。
「っ……!」
表には出さなかったが、歯ぎしりをして憤りを何とか抑え込む。
審判に対してではない。
ボール球ではあったが、広くとっているコースだというのはキャッチャーをしている熊捕が一番よく分かっていたし、もし要求通りでキャッチャーミットが寸分も動いていなければ腕を挙げない審判はいない。
「最悪じゃな。この場面で三振は」
左門はカウント1‐2からのジャイロボール。
タイミングはぴったりだったが、バットの下側に当たった。
強い当たりではあったが、ピッチャーの華園はそれを反応よく捌く。
「……あと2回。アウト6つ」
華園はベンチへ戻りながら小さく呟く。
もう、相模南にとって許されるアウトは残り少ない。
「……せっかくアイリちゃんが2塁打打ってくれたんに、活かしてあげれなくてゴメンな」
「しょうがないネ。でも、次はきっと大丈夫ネ!」
7回の表が終了し、1‐2。試合は終盤へと入っていく。




