78話 傷跡は
「高峰さん……?」
泥だらけのユニフォームでも、高峰は高貴さを失っていない。
「友希さんは、あまり浮かない顔をしているわね。みゃーみゃーの怪我のせい、だけじゃなさそうだけれど。トラウマを捨てきれていないようね」
「トラウマというより……まあそれもありますけど」
一人では歩けないほどに涙を流していた柴谷も心配していたが、勝者が敗者を心配するのは失礼にあたる。
そして友希も、トラウマの件は心に引っかかっていた。
「高峰さんは、トラウマというか、苦手なものはないんですか?」
高峰は、選手としてほぼ完璧だった。
唯一、長打力が弱いと言っても、それは高峰の中での相対的な評価であって、他の選手と比べれば決してパワーがないわけではない。
「トラウマ、ね。あたくしも昔はあったけれど」
「高峰さんみたいな人でも、そういうのあったんですか?」
小鳥遊が驚いたように声を上げる。
「恵美の顔の傷を見たでしょう? あれは中学の時、あたくしが付けた傷なのよ」
中学の時、それは練習の最中に起きた事故だった。
盗塁を練習している時。
柴谷の守備も、高峰の盗塁も、まだ上手くはなかった。
たまたま、高峰の体勢が崩れてスパイクが上を向き。
たまたま、キャッチャーの送球が逸れ。
たまたま、それを追いかけた柴谷の顔が高峰のスパイの軌道上にあった。
そんな偶然の連続は、柴谷の顔に消えない傷を負わせた。
「最初は恵美もマスクなんて付けていなかったわ。でも、中学生なんてデリカシーのかけらもない人ばかり。怪我の理由を幾度となく聞かれ、恵美も幾度となく答えた。それから次第に、恵美はマスクを着けてくるようになったわ」
怪我の理由を聞かれたくはなかった。
理由を聞かれれば、その経緯に必ず高峰が出てくる。
そうすれば、いつでも会話の中では高峰が悪者だと決めつけられた。
それが、柴谷には我慢できなかったのだ。
「マスクを着けてきたときは、あたくしが嫌われたのだと思ったわ。当然よね、いくら誤ったとしても、女の子の顔に傷を負わせたんだもの。あたくしはそれからスライディングができなくなったわ。飛んでも、必ずブレーキがかかるの。いえ、無意識にブレーキをかけてしまう。……でも」
結局、高峰はトラウマを克服できぬまま中学を卒業した。
他県へ渡り、努力に努力を重ね、ある程度までのレベルまでは到達した。
だが、試合であったように、忍者を彷彿させるような流れるようなスライディングではなかった。
高峰は当時のことを思い出すように、空を仰ぐ。
「……んふふ。去年の今頃ね。恵美があたくしを追いかけて、同じチームに入ると言ってくれたのは。あの時が初めてね、嬉しくて涙が出たのは。トラウマは、払拭されたわ」
感嘆しながら聞いていた友希だが、ふと我に返る。
「あれ、でもその理論で行くと私が逆境に強くなるには……」
「オーシャンズが優勝しないとだめね」
真中が突き放したように言う。
「ゆ、優勝!? せめてAクラスで……」
「そんな根性だからダメなのよ」
うなだれる友希に、高峰が顔を近づける。
「他人任せでは駄目よ。貴女が入団してオーシャンズを優勝させる。それくらいの意気込みではなくては、一生そのままよ」
高峰の、最後の言葉だけが強く友希の胸に刺さった。
強い相手に勝つのが面白い、そんな小鳥遊と真中の言葉と同じ。
だが、味方だけでなく敵だった人からも言われると何故だか違って聞こえる。
「……さて、そろそろ戻らなくてわね。恵美がさみしくて震えているわ」
「自意識過剰は変わらないんじゃな」
「過剰ではなくてよ。確かな自信だもの。んふふ」
微笑みながら高峰は球場のスコアボードを見上げる。
すでに2試合目は開始直前で、スコアボードも移り変わっている。
「河咲女子、ね。あまり言いすぎると不公平だから口には出さないけれど、投手をよく見ておくことね。要注意よ。では、ごきげんよう」
「あ、またよろしくお願いします」
高峰が去った後、スコアボードを見ると、そこには。
「華園、百合……!?」
中学2年のころ、全国優勝候補の筆頭だった真中のチームと対戦し、9回までスコアボードに0を行進し続けたそのチームの。
エースピッチャーの名前が、スコアボードに刻まれていた。




