61話 鉄壁の守備
三塁ランナーの柴谷にとって、確実な距離であるはずのセンターフライ。
相模南のナインは失点を覚悟し、斡木クラブのナインは追加点を確信した。
ただ1人、センターの真中を除いて。
「バックホームじゃ! みずき、カットに入れ!」
キャッチャーの熊捕の指示に、小鳥遊はすぐさまカットへ入る。
だが、バックホームをする真中の眼光が物語っていた。
カットしなくていい、という生易しい目つきではない。
『邪魔をするな』と、その視線が小鳥遊を貫く。
目つき以上に鋭い、矢の様な返球を小鳥遊は逃げるように躱す。
真中の送球はまるで吸い込まれるかのように、キャッチャーの熊捕の絶好の位置へ返ってきた。
「……アウト!」
審判が勢いよくコールを告げる。
「「ナイスバックホーム!」」
誰もが失点を覚悟した場面を切り抜けた相模南のナインは沸きに沸き、全員が真中にハイタッチを求めにいった。
対照的に、2点目を皮算用した斡木クラブのベンチは出しかけた声を飲む。
「驚きですね。まさか、隠していたとは」
「……そうだな」
守備に就こうと立ち上がった高峰は自監督である友希の母親へと声ををかけたが、その対応は素っ気ないものだった。
しかし、瞳の奥には強い憤怒が籠っている。
自分の娘が選手で、教え子が監督のチームに騙されたことに。
「キャプテン、監督むっちゃ怒ってないスか? 私がタッチアップでアウトになったせいっスかね……」
「んふふ、どうかしらね」
高峰はランナーだった柴谷にグラブを渡す。
「でも安心なさい。監督は貴女に怒っているわけではないわ。練習では手の内を見せなかった相手のセンターに怒っているのよ。冗談じゃないわよね、肩の強さを隠されるなんて」
普通であれば、肩の強さは隠すものではない。
プロだって誰だって、百発百中で外野からホームまでストライク返球ができるわけではない。
高校生ともなれば、確率はぐっと下がる。
それでも、肩の強さというのは抑止力になるのだ。肩が強いという情報を相手が持っていれば、ランナーは進塁することを躊躇うのだから。
「確かに、本番でやられるのが一番厄介っスけどね」
いかに勝負所だろうと、あの返球を見せられてはもう勝負をかける気にはならない。
「それだけ、自信があったのね。練習で手を抜くなんて」
「まあそれを言ったら、キャプテンも似たようなものっスけどね」
「あら、あたくしは手を抜いたりしなくてよ」
高峰の言葉は嘘ではない。
だが、傍から見ればそうは映らないのだ。
本番で、実力通りの力を出せる者なんて一握りしかいない。
それだけに、相対的に高峰が本番で実力が向上しているように見えるのだ。
「さ、次はあたくしたちが守る番よ」
投球練習が終わり、バッターボックスには左の小鳥遊が入る。
同じくして1番ショートの高峰と比較すると少し見劣りする。
それは当の小鳥遊が誰よりも理解していることだった。
それでも、一塁到達までの時間だけを見れば、そこまで差異があるわけではない。
出来るだけ相手投手の球種を引き出しながら、迎えた6球目、小鳥遊は外角低めの変化球を三遊間に転がす。
内野の頭を超えずとも、内野の間を抜かずとも、確かにそこは小鳥遊にとってのヒットゾーンだった。
相手のショートが誰であろうと、そこはヒットのコース。
今まで誰も、そこに飛んで小鳥遊をアウトにした人はいない。それどころか、間一髪のタイミングだってなかったはずなのに。
しかし高峰からの送球は小鳥遊の足よりも速く一塁手のミットに到達した。
「嘘でしょ、練習の時より早くない……?」
審判のアウトコールを聞いた後、小鳥遊は誰にも聞こえないように呟く。
「みずきさん、惜しかったですわ」
「……いや、あそこは10回やっても9回はアウトになりそうですね。ピッチャーはコントロールは良いけど球はあまり速くないです。優美先輩なら外野の間を抜けますよ。……内野は狙わないほうがいいですね」
相手投手の球種や癖を簡単に一ノ瀬へ伝えて、水を飲んでからコーチャーボックスへ向かう。
わざわざ高峰のような全国でも一握りの天才と勝負する必要はない。
一ノ瀬なら、外野の間を抜ける打球が打てる。
だが、絶好球でもそれが簡単にできないのが小鳥遊と……今バッターボックスに入っている二宮だった。
珍しく甘いコースに入ってきた球を二宮は綺麗にセンター方向に返した。
ピッチャーの左手にはめたグラブをかすめる。
……が、マウンドの傾斜で打球が少しばかり死んだ。
まるでそれを予測していたと言わんばかりに、セカンドの柴谷は直線の動きで打球を捕ると、淀みない動きで一塁へ送球する。
もしも、全力疾走だったなら。
傍から見れば十分に速い俊足を見せたが、全力を出し切れない二宮は一塁ベースを駆け抜けて歯噛みする。
セカンドの柴谷とショートの高峰の動きは、以前動画で見たのと同じだ。
それでも、実際に相対するとより守備が堅固に感じる。
「紙一重でしたよ、ニノ先輩!」
「ずいぶんと厚い紙に感じたけどねぇ」
二宮はベンチで一息ついて、コーチャーボックスへ向かおうとした直前だった。
一ノ瀬のライナー性の打球が内野の頭を超える。
「ヒットだ!」
皆がベンチから身を乗り出し、二宮もコーチャーの仕事を忘れて同様に身を乗り出す。
しかし、そのライト前に落ちるはずの打球は。
霊山が地面に落ちる直前で掠め捕った。
「んふふ。ナイスキャッチね、詩織」
「内野ばかりに良い顔をさせてられないからなー」
ベンチへ戻ってくる斡木クラブの選手の顔が物語っている。
守備ならうちのほうが上だ、と。
守備は投手と違って簡単には崩れない。
ネクストバッターズサークルにいた友希は立ち上がってヘルメットを外す。
1回が終わって0‐1。
試合は始まったばかりだが、スコアボードに刻まれたその1点は非常に大きく見えた。




