52話 立浜クラブ
練習試合の夜。
寮の一室。傍らに置いてある携帯が鳴る。
「……大和? 大田原クラブの主将が、私に何の用だ?」
メッセージの本文を見ると、そこには今日の練習試合の試合結果が記されていた。
「……」
少しの間眺めて小さく笑みを浮かべると、簡単に返信を打ち始める。
「ちょっと、なに携帯を見てニヤニヤしてるの。大和が何かあった訳?」
そんな姿を見て、もう1人の同居人が不満顔で問い詰めた。
「少しな」
「気になる言い方するわね。他人から連絡が来てニヤニヤするなんて、こ、恋人みたいじゃない」
「言いがかりだな。自分の写真を見てニヤニヤするよりマシだろう」
「はあ? そんなことしてないし。一体誰から聞いたの」
「雲雀から聞いたぞ。私と空見が映っている写真を見て気持ち悪い顔をしていたと」
それを聞いた瞬間、空見星奈は顔を真っ赤にして反論した。
「そんなことしてない! 絶対してないから! 真に受けないでよね、雫!」
天ノ川雫は携帯の画面を消すと、空見の方に体を向ける。
「私とお前はバッテリーだからな。それくらい許容してやる」
「あたしのことを信用してないじゃない! 雲雀の奴、あとで絶対しばいてやるわ」
立浜クラブのメンバーが住まう二人一室の寮で、いつも通りのやり取りが行われる。
主将で、4番で、キャッチャー。その重い責任を一手に引き受ける天ノ川と、副キャプテンであり絶対的なエースである空見。
代々、その二人は同室で他より優遇されており、見晴らしの良い最上階の角部屋である。
月明かりが差し込み、天ノ川の艶のある長い黒髪と眼鏡が反射する。
「で、大和からは何て来たの」
「ああ、お前は三咲の事を憶えているよな」
「友希? もちろん憶えているわよ。あいつって今どうしてるの」
「今日、大田原クラブと相模南女子という高校が練習試合をしたらしいが、そこに三咲がいたと」
「相模南? それって相模原だから神奈川でしょう? そんなチーム聞いたことないわよ。また新しいチームが出来たわけ」
相模南はいまだに公式戦を行った訳でもないし、2人が知らないのも無理はなかった。
「9回で打ち切ったようだが、試合は4-4の同点だったと書いてあった」
「はあ? 関東大会直前の調整とは言え、なにやってるのよ。ま、大田原クラブと同等なら勝てるから別にいいけど」
「油断したら負けるぞ」
怒っているわけではなかったが、空見は天ノ川の言葉に詰まらされる。
「あと憶えているか、三咲が負けている時の試合の終盤、全く打てなかったことを」
それは、周知の事実だった。
強豪チームの中にあって、それでも友希の打撃能力は高い方であったが、逆境の場面では代打を送られることもしばしばあった。
「ええ、目に見えて酷かったもの。それがどうかしたの」
「9回に同点タイムリーヒットを打ったらしい」
「あの友希が?」
どんなにスランプの打者でも、たまにはヒットを打てる。
しかし友希の場合は、全く違った。
例え真芯で捉えてたとしても、ヒットなんて打てる気がしない。
友希のスイングを見たものは、誰しもがそう思った。
硬く、震えた身体で、初心者と見間違うような波打つようなスイング。
最初は励ますように声をかける人も微かにいたが、まるでそれが原因だと言わんばかりに悪化が続き、やがて誰も声を掛けなくなった。
「原因はおそらく中学の監督でしょうけど。ま、それで駄目になる友希も友希よ。でも、少しは良くなったのかしら」
「大田原クラブの大和はなにかしら他人を覚醒させるからな。翔和女子の海乃に左打ちを勧めたのも大和だ」
海乃、と言う名前を聞いて空見は不機嫌な顔つきになる。
「迷惑ね。打者としては良いけれど、投手として翔和女子とやるのはごめんだわ」
「はは。この前も海乃に2安打喰らっていたしな」
「ふん! 試合で勝てばいいのよ、勝てば」
明るい茶髪に鋭い目つきと低温の響く声。
初対面の人が見れば不良少女と間違える人もいるかもしれない。
そんな空見は、2人掛けのソファーにどっかりと1人で腰かけた。
「で、雫はまた1人で将棋指してるのね」
パチン、パチン、と。
天ノ川は将棋盤の前で正座し、本を片手に慣れた手つきで駒を動かす。
「将棋って1人でやって面白いの」
「ああ。2人でやる方が楽しいがな。どうだ、久しぶりに一局」
「嫌。雫ってプロ相手に勝てるんでしょ」
「それは駒落ちでの話だ」
天ノ川は詰み将棋をしているのか、一通り悩んで駒を動かすと、すぐに並べ直す。
「それでも凄いんじゃないの」
「プロを目指せる、と褒められたがおべんちゃらだ。目指すだけなら誰にでもできるからな」
「あたしなんて、ルールを知ってるだけよ。矢倉とかいう守りとかも全く知らないもの。勝てるわけないわ」
「それこそ、駒落ちなら分からないだろう。6枚落ちくらいなら勝てるんじゃないか?」
6枚落ち。飛車・角に加え、桂馬に香車もないという大きなハンデ。
空見は将棋に何の思い入れもないし、天ノ川との実力差はそれくらいだろうと思っている。
それでも、空見は悲しげな表情を浮かべた。
「嫌ったら嫌。その、あたしは雫と対等にいたいから」
「そうか。残念だ」
天ノ川はそう言うと、再び将棋盤の方に向き直す。
本人にその気は無いのだろうが、天ノ川は時折ドライな感触を他人に抱かせる。
それでも、他人には興味を持たなくとも、物事にひたむきな姿勢はとても頼りになると空見は思う。
やることが無くなった空見はテレビを見ながらストレッチを始めるが、番組が面白くないせいか、いつの間に視線は天ノ川の方に移っている。
そしてちょうど、1つの問題を終えた天ノ川が顔を上げ、2人の目が合う。
「あっ……」
「どうした? 何かあるなら話しかけてくれて構わないが」
「いや、別にそういうわけじゃないの」
「そうか。変な奴だな」
天ノ川はそう言って小さく微笑む。
空見は髪で目を隠すように俯き、全く意味のないストレッチを繰り返す。
「お前は本当にストレッチが下手だな。ほら、手伝ってやる」
天ノ川は手取り足取り、空見の体をほぐしていく。
いつも練習でやっているはずなのに、部屋で2人きりだと意識すると、空見は余計に身体が硬くなっていった。
空見の顔が火照ると同時に、部屋のドアが勢いよく開いた。
「邪魔するぜよ~」
天然パーマがチャームポイントと自称する、丸い目をした雲雀 飛香がバットを担いで入って来る。
「雲雀……。本当に邪魔ね、3人もいると部屋が狭くなるの」
「おや、お取込み中だったぜよ? これは参った」
「何が、「参った」よ! てかアンタ、素振りした直後じゃない。汗臭いわ」
「流石に拙者も、臭いと呼ばれるのは傷付くぜよ」
雲雀はわざとらしくしょんぼりすると、天ノ川の方へ近づいていく。
「天ノ川~、空見が虐めるぜよ」
「少し汗の匂いはするが、臭いという程ではないな」
それを聞いた雲雀は上機嫌になり、空見へ向けてどや顔を披露する。
空見は何故だか、無性にムカついた気分になった。
「で。アンタは何しに来たの」
「それが聞いて欲しいぜよ。同居人のブラジャーを冗談で着けたら破れて、怒って拙者を追い出したぜよ。素振りも疲れたから立ち寄った」
「……あたしもアンタを追い出していいかしらね」
雲雀は空見の怒りを涼しい顔で流し、天ノ川の将棋盤を覗き込む。
「おお、将棋ぜよ! 拙者も一局嗜んでもよいか?」
「お前はルールを理解していないから駄目だ」
天ノ川に門前払いされた雲雀は頬をくらませる。
空見は満足げに笑みを浮かべ、雲雀はさらに頬を膨らませた。
「ま、いいぜよ。……しっかし、天ノ川はどうして将棋を始めたぜよ?」
「あ、それあたしも気になるかも」
しかし天ノ川はすぐには答えない。
将棋盤を俯瞰して、一手指したところでようやく口を開いた。
「そう言えば話していなかったな」
天ノ川は寡黙である。
野球のことでさえ、自分からは滅多に話さない。それがプライベートのこととなれば、なおさらだった。
「始めたのはそもそも野球をやる前だ。祖父が大の将棋好きだったからな。だが今でも続けている理由は、楽しいという事の他に、野球でも応用が利くからだ」
「野球に?」
空見が疑問に思ったのも無理はない。
野球と将棋、一体どこに接点があるのか分からない。
「配球は詰将棋と似ている。まあ詰将棋は一本道のみが正解で、野球は違うがな。だが、その思考を養うのが重要だ。相手を最も詰みに近い形に持っていくのが捕手の役割だからな」
そう言って天ノ川は手を進める。
パチン、パチン、パチン、パチン、パチン、パチンと。
空見は天ノ川の凄さを誰よりも身近で感じ、誰よりも知っていると思っていた。
しかしそれでも驚愕せずにはいられない。
空見も遊びで詰将棋をやったことはある。3手、良くて5手先の問題しかできなかった。
だが天ノ川のそれは、複雑な盤面の上で優に20手以上進めている。
「なぜだか、初めて天ノ川と出会ったころを思い出すぜよ」
雲雀は、そもそも中学までは神奈川にいなかった。
高校入学と共に神奈川に越してきたが、天ノ川との初対面は中学だった。
全国大会で敗北を決した時の記憶が、未だに雲雀の中で鮮明に残っている。
中盤まで優勢に進めていたはずの試合を、後半で天ノ川にひっくり返された。
今から思い返してみれば、中盤までも天ノ川の掌の上で転がされていたのではと思うほどに、鮮やかな逆転負けを喫する。
それは、高校で天ノ川と同じチームになり確信に変わった。
試合すべてを支配しているかのような卓越した読みは、プロ野球選手ですら舌を巻く。
「……そうね。小・中学校からそうだったわね」
中学の頃、天ノ川と空見、そして斡木クラブの霊山は神奈川BIG3と呼ばれていた。
そして今は、斡木クラブの高嶺や、翔和女子の海乃、大田原クラブの大和など、神奈川BIG3は誰かとアンケートをとれば確実に票は割れるだろう。
しかし必ず、野球に造詣の深い人ならば天ノ川の名を入れる。
そして立浜クラブに天ノ川がいるからこそ、今の神奈川BIG3は天ノ川・空見・雲雀と言われている。
運動能力だけではない。
しかし、だからこそ空見は思う。
天ノ川の背中が遠い、と。
人は誰かの背中を追いかけて成長するものだ。
例えそれが、届かぬものと感じていても。
しかしそれは、一転して挫折に繋がっていく。
「そう言えば、相模南女子高にはよからぬ話があるらしいな」
「よからぬ話?」
空見はオウム返しで天ノ川の言葉を返す。
「空見も雲雀も、口が堅いという事を信用して話すが……どうやら、秋の県予選で負ければ廃校になるらしい」
「廃校!? そんなこと……っていうか、なんで雫が知っているの」
「廃校になれば男子校と合併することになるらしいが、その合併先で教師をやっている人と知り合いでな。偶然、小耳にはさんだ」
「まさか雫……」
わざと負けたりしないでしょうね、なんて言葉を空見は飲み込んだ。
天ノ川はそんなことを絶対にしない、そう確信していた。
そして天ノ川もそれに呼応するように。
「詰みだな」
33手目、天ノ川は玉を詰ました。
「潰す気で倒せ、ということぜよ」
なぜ、天ノ川が急にこんなことを言い出したか。
空見は何となくわかった。
悪役になってでも勝つ気はあるか? という意思確認だ。
当然、ある。
元々、優勝候補筆頭なんてのは悪役だ。
対戦相手どころか、チームメイトにだってそうしてきた。
プロ野球選手を目指す先輩から、エースの座を実質的に奪った。
陰で泣いていることを知っても、何とも思わなかった。
だって、この世界はプロへと通じ、そこは強いものしか生き残れないから。
いいだろう、その高校を廃校にするべく、私が息の根を止めてやる。




