36話 プロ野球!
試合終了後、『シーユーアゲイン~』と軽く掌を振りながら去って行った高嶺の姿が、まだ瞼の裏に残っている。
動画では見ていた。
しかし、実際に目の当たりにすると、全く違った。
高校生の、全国レベルのプレー。
「……負けたわね」
「そうじゃの」
月曜日に学校に行くと席替えがあり、熊捕と真中が傍の席になり、友希と投山と小鳥遊が固まった。
窓の外を眺める真中と熊捕に昼休み、友希たちが近づいていく。
「ねえ紅葉ちゃん、雨音ちゃん。今週の木曜の夜って空いてる?」
「わしはバイト入っとらんしのう。部活の後は空いとるが」
「自分も特に予定はないわね」
その言葉を聞いて、友希はポケットから封筒を取り出す。
「実はお母さんからプロ野球の観戦チケットを譲ってもらってね! みんなで見に行こうよ!」
差し出されたチケットには、オーシャンズVSラビッツ、ハマスタ18:00開始、内野自由席という文字がある。
「部活はちょっと早めに抜けることになっちゃうけど、監督も許してくれるよ!」
「……そうじゃのう。わしは生でプロ野球を見たことがないけん、一度行ってみたいのう」
「別に自分も良いけど、チケット6枚あるわよ? ラビッツファンの一之瀬先輩や二宮先輩を誘った方が喜ぶんじゃないの?」
「……いや、なんか喧嘩になっちゃいそうで」
友希は目を逸らしながら小さな声で答える。それを見て、真中は合点がいった。
「分かったわ。相手が首位のラビッツなら、みんなオーシャンズを応援するだろうっていう魂胆でしょう? まあ、そのカードなら自分もオーシャンズを応援してあげるけど」
「……ぐっ。なんかすごいムカつく!」
「ふふん。それで、もう一枚はどうするわけ?」
「うーん、海乃さんでも誘うかなあ」
高校は違うが、同じくオーシャンズファンである海乃葵。
しかし、それを知っているは友希と一之瀬だけで、他の一年生は誰も知らない。
「僕たちは別に大丈夫だけど。それで、その海乃さん? 誘うなら早くした方が良いんじゃない? 向こうにも予定があるだろうし」
「おっけー!」
友希は携帯電話を取り出し、以前聞いた海乃の電話番号にかける。
『もしもし』
「海乃さん、お久しぶりです! 今大丈夫ですか?」
『ええ、昼休みですので。大丈夫ですよ』
「実は、木曜日にオーシャンズ戦を見に行こうと思ってるんですけど、チケットが一枚余ってまして。よかったら一緒に行きませんか?」
『木曜日のオーシャンズ戦、ですか? 実はその日のチケットをすでに持ってまして。……え、なんですか?』
電話の後ろで、海乃ではない声が響いている。
海乃は少し待ってください、と電話口から離れる。
そして一分ほど経って、海乃が戻ってきた。
『すいません、私の友達でもう一人行きたいという人がいまして。もしよろしければ、譲ってもらえるとありがたいです』
「もちろんです!」
6月の終わり、プロ野球の観戦日は運よく快晴となった。
部活を早めに切り上げさせてもらい、電車に乗ってハマスタに向かう。
最寄駅から交差点を渡り、ハマスタのある公園の入口につくと、海乃ら3人はすでに到着していた。
「すいません遅れちゃって!」
「いえいえ、私たちも今来たところですよ」
友希もオーシャンズのユニフォームは持ってきているが、海乃は既にオーシャンズのユニフォームに着替えてメガホンを首にぶら下げている。
そして、海乃の傍にいた女子高生2人のうち、1人が声を出した。
「いやー、ありがとうな、チケットを譲ってくれて! 葵は俺のことを無視して行こうとしやがってさ!」
黒くて短い、硬質な髪を携え、程よく日焼けした女子。一人称からも、男勝りな性格が伺える。
「あなたを誘わなかったのは再来週の定期テストが心配だったからですよ。ちゃんと宿題はやりましたよね?」
「そうだ、自己紹介がまだだったな! 俺は火野茜っていう翔和女子の2年生だ、よろしくな!」
話題を変えられた海乃は頭を抱えながら溜め息を吐く。
火野は相模南の1年生5人と握手を終えると、もう一人の紹介を始める。
「それでこのちっこいのは1年の松葉翠だ!」
火野は松葉の頭をポンと叩いたが、松葉はそれを嫌そうに振り払う。
体は海乃や火野と比べて小さいが、金髪の髪をツインテールに纏めたその女子は性格が厳しいのか、先輩に向ける目つきは強いものがあった。
「わたくしは葵お姉さま以外からは触られたくないんですの! せっかく火野さんがいないと思ったのに……」
松葉はぷくーっと頬を膨らませながら火野を睨む。
そしてそれは、火野のチケットを持って来た相模南の5人にも向けられた。
「なによ。せっかく自分達が善意で渡したっていうのに」
「雨音ちゃん、チケットを手に入れたのも渡したのも、全部友希ちゃんだけどね」
しかし松葉は海乃と2人きりで観戦するのをとても楽しみにしていたのか、機嫌は悪いままだった。
「ああ、すいません。この子にはちゃんと言っておきますので」
海乃がそう言いながら松葉の頭を撫でると、心底嬉しそうに笑顔を浮かべる。
「……どうでもええが、もう試合は始まっとるんじゃないんか?」
試合開始時刻は20分ほど過ぎており、スタジアムからは歓声が聞こえてくる。
「そうじゃん! 話はスタジアムに入ってからにしましょう!」
友希は皆の手を引っ張ってスタジアムの中に入る。
チケットを入場口で見せて、内野席に入る。しかし。
「……まばらじゃな」
まだ試合が始まって間もないという事もあるが、内野席は空席の方が目立っていた。
友希の母親が在団していた頃と比べると、見る影もない。
晴れているはずなのに、どんよりとした空気がスタジアムを覆っている。
「はいこれ、譲っていただいたチケットのお礼です」
お手洗いに、と言っていたはずの海乃と火野が、食事を持ってきてくれた。
「ありがとうございます!」
席に座り、スコアボードを見上げる。
ちょうど2回の表が終わったところで、スコアはまだ0-0だった。これから、オーシャンズの攻撃が始まろうというところ。
さっそく友希はオーシャンズのユニフォームに着替え、メガホンを手に取る。
それに続いて投山も、グローブを取り出した。
「ボールをゲットするのだ!」
「おっしゃ! 俺も負けないぜ!」
そして火野もグローブを取り出し、まるで守備についているかのように、こっちにこいと催促する。
「ボールを追いかけるのはええが、怪我だけはせんでくれ」
ラビッツの投球練習の間、真中や小鳥遊はスタジアムを見渡す。
オーシャンズのホーム球場だというのに、オーシャンズファンよりもラビッツファンの方が多いんじゃないかとさえ感じる。
当たり前といえば、当たり前なのかもしれない。
反感びいきというのもあるにはあるが、やはり強いチームの方にファンは自然と増えるものだ。
ラビッツの本拠地がハマスタからも近いという事もあるが、現在首位と最下位のチームでは、やはりファンの数にも差が出てしまう。
だがそんなものを友希は気にしない。
そしてそれは、海乃も同様だった。
……いや。海乃の方が、上だった。
応援にかける声量が、他の皆とはもちろん、友希とも桁違いだった。
今まで精悍な女子だと思っていた相模南の5人は、あっけにとられたように海乃を見つめる。
「海乃さんも凄い応援ですね! 私も負けませんよ!」
友希は海乃につられて声を大きくするが、それでも海乃には敵わない。
しかし、二回裏のオーシャンズの攻撃は三者凡退で終わってしまう。
オーシャンズの投球練習中、その声量に疑問を持った真中が海乃に尋ねる。
「海乃さんは、どうしてオーシャンズファンになったのかしら」
「……それは地元だから、という理由もありますが―――」
海乃は遠い目をしながら真中の質問に答えた。
友希にはその答えが、何故だかとても羨ましく思えたのだった。




