13話 監督が来たよ!
朝に弱いからか、余裕はあるとはいえ、学校に着くのは友希が一番遅かった。
小鳥遊、熊捕、投山の3人はすでに集まっており、昨日のバイトの話で盛り上がっている。
「桜の料理は見た目こそグロテスクじゃが、味はなかなかどうして、美味じゃったのう」
「ふっふっふ、我の料理にはある魔力が込められているのだ。不思議と体に力が湧いてくるだろう!」
「それは特にないがのう……。みずきは書店でバイトすることに決まったんじゃな」
「うん。駅ビルの中だから、知り合いにたくさん会いそうで恥ずかしいけどね」
「へぇ~そうなんだ! みんなのとこにも遊びに行くから待っててね!」
予鈴が鳴って、担任の鈴木先生が入って来る。
「はいー、じゃあHRを始めますよー」
睡魔が襲う授業を何とか耐え抜き、昼休みがやってくる。
友希の提案で、部室で昼ご飯を食べることとなった。
「……それでさー、昨日見たグローブに運命を感じたんだ! これはまさしく恋だね!」
「ふふっ、友希ちゃんらしいね。それにしてもグローブか、僕も自分のが欲しいな。中学の時のグローブとか、使わないけどまだ手入れしてたりするしね」
「そうでしょー! そう言うと思って持って来たんだー、これ!」
友希がお弁当と共に取り出したのは、昨日のバイト中に貰った店のカタログだった。
店の全商品が載せられているカタログは厚く有料だったが、特別にタダで店長から貰ったもの。
「へぇー。硬式用だと、やっぱり少し変わってくるんだね」
小鳥遊がペラペレと捲るページに、熊捕と投山も覗き込む。
「グローブにも色々と種類があるんじゃのう。というても、わしはミットじゃが」
「投手と野手でもわかれてるのだ! だけど、どれがいいのか分からないぞ……」
弁当を食べながら、友希はグローブの特徴について解説する。
「でもやっぱり、自分の感性に合ったものが良いよ! 使っているうちに自分に合ってくるからね」
「ううむ、ならこの赤いミットがええかのう。レッドスナーパーのチームカラーじゃし、何と言うても赤は人を興奮させる色と言うしのう。これで桜もマウンドで奮起するじゃろう」
「わ、我は闘牛とは違うのだ! ……な、なら我は、この黒のグローブが良いのだ。大魔王サタンの象徴とも言うべき、宵闇に溶けし漆黒こそ我に相応しい!」
弁当を食べ終わると、昼休憩の間、軽くキャッチボールをする。
「そう言えば今日の練習に監督が来るんだってね! 一体どんな人なのかなー?」
「じゃが、あまり期待はせん方がええじゃろ。今まで野球部がなかったことを鑑みりゃあ、野球に傾倒しとる人がおるとは思えん」
「そうかなー? みずきはどう思う?」
「うーん。まあ優しい人ならいいかな?」
「グラサンをかけた厳つい人だったら困るのだ」
「桜ちゃん、それはアニメの見過ぎだと思うよ……」
……そして午後の授業が終わり、放課後になる。
部室で着替えていると、遅れて二年生の4人がやって来た。
「ニノ先輩、監督ってどんな人なんですか!?」
「耳が早いねぇ。でもそれは来てからのお楽しみだよぉ」
着替えが終わり、グラウンドに整列してミーティングをしていると、校舎の方からジャージ姿で野球部の方へ向かってくる人が見えた。
帽子を深くかぶっており、誰だか分からない。だが、とても小柄な人だった。
部員の直前まで来て、ようやく帽子をとる。
「みなさーん、今日からよろしくお願いしますねー」
「す、鈴木先生!?」
一年生の4人にとっては、担任が監督だという事を知って驚きの声を上げた。
知っていた上級生はそれを見て笑みをこぼす。
「みなさん、驚いてますねー。こう見えて私はー、高校まで野球をやってたんですよー?しかもー、ハマスタにも行ってるのですー」
ふふん、と鈴木先生は自慢げに胸を張る。
「三咲コーチ、もとい三咲さんの母親にはとてもお世話になりましたからねー。あなたの母親からもー、よろしくと頼まれてるのですー」
鈴木先生は高校の頃、友希の母親にコーチングされていたことを明かす。
現在友希の母親が監督をやっている斡木のクラブチームだ。
「あれ、でも斡木のクラブチームが最後にハマスタに出たのは最短でも8年前だったような……」
「年齢のことは言わないでくださいねー。三咲コーチには高校の頃にー、とってもしごかれましたからー。今度は私の番ですねー。うふふ」
笑顔で睨まれた友希は背筋に寒気が走る。
「ではではー、ランニングとストレッチをしてくださいねー。怪我は一番困りますからー」
ランニング中に、友希は二宮にこっそりと聞いてみる。
「ニノ先輩、鈴木先生が野球やってたのって、有名なんですか?」
「別にそういうわけじゃないけどねぇ。鈴センセはね、あたしの店の常連だからねぇ。ああ見えて、意外と酒豪なんだよぉ、にひひ」
それを聞いて、友希はちらりと鈴木先生を見る。
コンビニで酒を買おうものなら、絶対に年確されるだろう。
「人って、意外な一面があるんですね」
ランニングとストレッチを終え、再び鈴木先生の前に整列する。
「今日もですねー、バッテリーは投球練習ですけどー、他は守備練習をしますよー。鬼の千本ノックをしますからー、覚悟してくださいねー」
そう言って、鈴木先生はバットをぶんぶんと振り回す。
小柄だがスイングは鋭く、全国大会に出たと言うのも伊達ではない。
「外野のお二人はー、危ないので落下地点まで行ったら捕らなくても大丈夫ですー。今日はー、外野フライの距離感覚を掴んでもらえればいいのでー」
……そうして、真中との勝負までの4日間、守備練習のみが続けられた。
練習は日を追うごとに厳しくなり、勝負の前日である木曜日にいたっては、練習後で立ち上がっているのは最も体力のある投山のみだった。
「うう、なぜキャッチャーのわしまで、こんなに走らされにゃならんのじゃ……」
キャッチャーマスクやプロテクターは剣道で慣れていたが、レガースまではしたことがない。
その防具をつけた熊捕は、投山の投球練習のキャッチングに加え、座ったまま自分でボールを転がしては捕球してネットに向け送球する、また自分で空に向かってボールを思い切り投げ、キャッチャーフライの練習をするという、地味な作業を延々とさせられていた。
熊捕だけでなく、内野陣は延々とノックと守備を交代しつつ、比喩でなく千本ノックを打つ側と受ける側の両方を体験し、ダイヤモンドに横たわっている。
そして外野陣も、硬式ボールの外野フライが何とか取れるようになり、怪我しないと分かった瞬間から監督の指導が一変し、延々と飛球を追いかけ続けた。
右京と左門は水筒の中身が即座に空になったのか、水道水を美味しそうに飲んでいる。
「ふいー、先生もいい汗をかいたのですー。こんな日はやっぱりお酒ですねー。これからニノさんのお店に行くのでー、いっぱいサービスしてくださいねー」
二宮はうずくまったまま返事とも呻き声とも取れる声を出す。
野球の練習に耐性のあった友希と小鳥遊も、受験勉強のせいで体がなまっていたのか、座り込んで空を見上げている。
「……化け物だ」
監督も休まずノックを続けていたはずなのに、何食わぬ顔で帰り支度を始めている。
まさか、10Kgにも満たない教科書を運ぶために、台車を転がしてきた人と同一人物だとは思えない。
「おい紅葉、早くしないとバイトに遅れてしまうぞ!」
「わ、分かっとる……。あと少しだけ休憩じゃ」
「むー! 我は待ちくたびれたぞ! このままでは、汗だくの身体で接客することになるのだ!」
「た、確かに、一回帰らなくてはのう……。あと一時間半、ギリギリじゃな……」
もぞもぞと立ち上がる熊捕と一緒に、友希と小鳥遊も立ち上がった。
「はあ、はあ。じゃあ、私たちも、ニノ先輩のお店で、夕ご飯にしよっか」
「もう、僕も、お腹が減って、倒れそう……」
友希と小鳥遊は、息が切れ切れになりながらも帰り支度を始める。
それを聞いた二宮を除く上級生3人も、ゾンビの様に立ち上がると、腹の虫を鳴かせながら賛同した。
「うふ、ふ。わたくしも、働くニノを見ながら美味しいご飯をたくさん食べてやりますわ」
「うち、こんな運動したんは、生まれて、初めてや。家にご飯あるけど、足りひんやろし、うちも行かせてほしいわ」
「腹と背中がくっつきそうデス! もし死んだら、骨は海に流してほしいネ……」
もちろん、それを聞いたバイトの3人は面白い気はしない。
結局二宮の親が気を利かせて賄いを最初に食べた3人だったが、食べ物の恨みは怖いと身に染みた野球部の面々だった。
……そして、真中との運命の勝負は、明日。
人物紹介⑨
鈴木 奈々(すずき なな)
相模南女子高等学校 教師
監督 元ショート 右投げ両打ち
149㎝ 45Kg 茶髪
出身:神奈川
好きな球団:スターオーシャンズ
好きなこと:教育




