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1-5 ローズ





 見覚えのある景色が広がっていた。

 ライフルの発射音と、放たれた銃弾が跳弾する音が響く。

 裏通りを行こうとする敵兵と、両脇の建物を防御する友軍ハウンドが撃ち合っている。

 通りへとスコープを覗けば、そこには敵兵の姿。中央の通りに、敵の歩兵分隊。

 少し後方を見る。三階建ての建物の窓に人影がひとつ。持っている銃の種類などわからないが、あの位置に民間人も味方もいない。敵兵だ。そいつに、照準を合わせる。

 荒い息を抑えて、息を止めて、引き金を引く。

 銃声。

 そして、次弾を撃てるようにとボルトハンドルを掴み、回し、引く。

 排莢。そしてボルトを押し込み、装填。横に捻って、ロック。

 しようとしたが、ボルトハンドルは半端なところで止まる。多少力を加えた程度では動かず、苛立ちにボルトハンドルを殴って力づくで押し込んだ。

 ボルトアクションは、一発撃つごとにボルトハンドルを動かして排莢、装填を行う必要がある。照準がぶれないようにゆっくり動かせば連射性がさらに下がり、素早く行おうとすればスコープから目を離して照準を付け直す羽目になる。ことに操作に慣れていないエリーは、たどたどしい動きで扱わざるを得なかった。


「ボルトアクションなんて拾わなきゃ良かった」

「ご愁傷様」


 ボルトハンドルの操作に手間取る間に、脇から女性の声と単発の銃声。

 ローズ。

 自分のいる班のメンバーだ。

 ローズも拾った銃で撃っていた。ただし、こちらはセミオートだが。

 エリーは再び構えるが、スコープの先に標的はいなかった。人影は見えない。倒した、のだろう。

 代わりに街道上では、接近を試みてきた敵歩兵分隊が見えた。階下にいるリゼとクリスが、アサルトライフルでもってその侵攻を食い止めていた。両脇の建物に構える味方の射撃班も良く支えている。この分なら何とかなるだろう。

 敵歩兵に狙いを付けて、一発。それで人が、敵が倒れる。ボルトハンドルを操作して。

 手ごたえが弱いことで気づいた。

 弾がない。


「くっ」


 傍に置いていたリュックサックに手を伸ばし、ここに入れていたはず、との記憶を頼りにポケットを漁るが、目当ての弾倉が出てこない。別のポケットを漁ってようやく出てきたので、それを急いで摘み取り、マガジンをはめ込む。そのリロードすらうまくはまらず、操作に手間取る。

 その様子を横目で見ていたローズが、口を開いた。


「そっち多い?」

「まだいくらか」

「代わるよ。こっちはもう歩兵は見えない」


 言うとローズは自分のライフルを手に立ち上がる。エリーの肩を軽く叩きつつ脇にどかせると、ローズはその場所に収まってバイポッドを設置した。

 エリーはやっとマガジン交換と装填を終えた。しかし、自分がいた位置にはローズがいる。側面でも見ておこうかと腰を浮かしたところに、またローズが振り返って呼びかけてきた。快活に燃える、きれいなセミロングの赤髪。こんな時にも明るい、屈託ない笑顔。


「疲れたでしょ」

「別に」

「私は疲れた。交代で休もうよ。水でも飲んでゆっくりしてて」

「‥‥‥ありがと、助かる」


 礼を言って、エリーは奥の壁に寄りかかると、ヘルメットを脱ぐ。レバー操作ひとつうまくいかないだけで想像以上に荒れてしまったと、疲労で精神が参ってきていたのだと自覚する。断続的とはいえ、昨日の昼から夜通し戦いっぱなしだ。彼女の申し出はありがたかった。

 バックから水筒を取り出す。階下では連射音。リゼとクリスが何かを話し合っているようだが、エリーにはいまいち聞き取れない。

 目の前の戦友に、ぼけっと視線を送る。

 一応は戦線を押しているが、国の補給も信用ならなければ、中隊本部とも音信不通。小さな武器の集積地は砲撃され、なけなしの国支給の銃は瓦礫の下敷き、仕方なく民家や敵国の人間だったものから漁って銃と弾を抜き取る羽目になったが、手元にある銃も好きになれない。銃声と爆音しかないこの戦場。

 それでも戦うことが出来る。たとえ世界が敵になっても、戦える。

 ロースが発砲する。すぐに次が放たれないあたり、倒したのだろう。

 そんな後姿を、ぼんやりと眺めて。







 ローズの体が、小さく震えた。







 彼女は、糸が切れたように右側へと倒れていった。

 人の体が床に倒れる音。

 ライフルが床に転げる音。

 目の前で。

 なぜ倒れたのか、エリーはすぐに理解できなかった。いや、理解を拒んだ。

 それでも目の前の現実に、ローズの発した苦しそうな呻き声に、ようやくエリーは脳を回転させる。

 慌てて駆け寄る。被弾した箇所はすぐにわかった。表情を確認しようと彼女体を動かした時に、喉元と下顎にべったりと血がついていたのが見えたからだ。

 銃創だ。


「‥‥‥リゼ! リゼ!」


 真っ白になりそうな頭でエリーに出来たのは、別の仲間の名を大声で呼ぶことだった。すがれるものはほかに思いつかなかった。

 ローズを見る。

 脳と心臓は、生きている。彼女は苦しそうに喉を鳴らしている。あふれた血が、気道に流れていた。

 出血を止める為に、手で喉を押さえる。だが止まらない。首の圧迫を強めるわけにも行かない。彼女は衛生兵でも何でもない。医療についてはド素人だったが、この行為は無駄だと、エリーは一目で理解した。それでも、手を赤く染めながらも押さえる。

 赤い血が、彼女の赤い髪を汚していく。

 勢いが、止まらない。


「どうしたの」


 ようやくリゼと呼ばれた女性が、ライフルを担いで上がってきた。そして目の前の光景に息を呑むと、エリーよりは冷静に状況を理解して駆け寄り、自身のファーストエイドパックから包帯を取り出し腰を下ろす。

 だが、首にそれらの道具が使えるわけがなかった。

 クリスも上がってきた。他の仲間に下の守備を任せたのだ。そしてその光景を見て、床に沈むローズと、狼狽した様子で手を血に染めるエリーと、どうすることも出来ず包帯を握るリゼの姿に言葉をなくし、立ち呆けた。

 手の施しようがない。

 理解していても首元を押さえるエリー。

 その手に、ローズが自身の手を静かに載せた。


「ローズ」


 ローズは苦しそうにして、それでも何かをしゃべろうと口の端から血の泡を流して。

 そして。






 ―――。






 苦しそうな表情で、涙を浮かべた焦点の定まらない瞳で。

 虚空を見る。

 彼女の手は、力なく床に落ちた。


「ローズ」


 エリーが呼びかける。

 彼女の瞳孔は、大きく開かれていた。

 彼女は何も返さない。

 何も。

 クソみたいな世界で、それでも信じられたものが。

 たった一発。

 こんなに簡単に。

 飛んできた弾は一発。

 やったのは、スナイパー。

 歯軋りする。


「‥‥‥殺してやるっ!!」


 エリーは友の血に濡れた手で、友が置いたライフルに手を伸ばして。













「エリー」













 生々しい、知っている声。

 目を開ける。

 頭がぼんやりする。見慣れた天井が見える。それで、自分が今まで寝ていたのだと、あれは夢だったのだとエリーは気づく。

 カーテンを閉めている、薄暗いキッチンとワンルームだけの部屋。自室。その扉の傍に、クリスはいた。


「おはよ」

「‥‥‥。おはよう」


 エリーは身を起こし、まだ現実世界に戻ってこれていない頭を振る。

 クリスとエリーは同じマンションに住んでおり、お互いの合鍵を持っていた。プライベートを気にする間柄でもないから、というよりは、有事が起こった時に信頼している奴くらいは入れるようにと考えての合意だった。この場所はウルティスとしては破格の安全地帯だが、ウルティスの町自体が、一般的に見れば治安はないも同然だ。

 扉越しに呼びかけても返事がなかったので、クリスは鍵を使って入ってきたのだ。

 そのクリスは軽薄な笑みで。


「入るなり、寝ぼすけに殺されるかと思った」

「‥‥‥?」

「寝言」


 寝ながらあの台詞を口にしていたらしい。そうエリーは理解する。

 ふと、脇を見る。

 自身の寝ていたベッドのすぐ横には、大きな布。

 銃を包んでいる、布。

 それを見つめて、片手で顔を覆う。

 あの時。

 沸騰した頭が次に記憶していることは、リゼに後ろから羽交い絞めにして止められている自分の体と、自身の頬を殴って息を荒くしているクリスの姿だった。それでも自分が暴れたので、もう一発お見舞いされたことも覚えている。

 ローズが撃たれたという事は、敵に見られている。このまま出たらエリーまで撃たれる、と。二人は、理性で持ってエリーを止めたのだった。

 結局、仇は取れなかった。

 もしかしたら、自分が撃ち漏らした相手が、ローズの命を奪ったのではないか。狙って撃っていれば、ボルトアクションでなければ。

 当てていれば、ローズは死なずに済んだはずだ。

 場所を変わらなければ、自分が死ぬだけで済んだはずだ。

 すべては自分のミスと、甘えのせい。

 ローズが死んだのは、自分のせいだ。

 自分が、ローズを殺した。

 エリーがライフルに。長物で、スコープつきで、セミオートのライフルに固執し始めたのも、その後からだった。それはエリー自身もよく理解していた。

 それはエリーが、自身に課した罪。

 エリーは、顔を覆っていた手を伸ばす。布の上からその手触りを感じて、確かにそこにあるのだと確認する。

 そして静かに、わずかに取り払う。

 それはスナイパーライフルだった。一般的なスナイパーライフルからかけ離れた外見は、狙撃銃だと言っても信じてもらえそうもない。長方形の特異な姿をしていた。

 銃の名称をWS200と言うらしい、ということだけはエリーはクリスから聞いて記憶していた。それ以上のことは、エリーの心境を悟ってクリスも何も言わなかったし、エリーもまた興味などなかった。

 型式などどうでもいい。

 それは、ローズの銃。




 もう。

 もう二度と。




「飯、食べにいかない?」


 声に反応してエリーが顔を上げた。

 クリスは、いつものように笑っている。




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