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再びの女騎士

 無人島の夜は静かだ。わずかな鳥や虫の鳴き声に囲まれながら、海辺の砂浜に座るキーランは夜空を見上げた。しばらく前まで降っていた雨は嘘であったかのように止み、無限の空には数え切れないほどの星が輝いていた。

 寄せては返す波の音にキーランの小さな溜め息も溶けて消えて行ってしまうようだ。夜が明けたら、彼はすぐにでも祖国の王都、アーディンに帰るつもりだった。本当ならば、今すぐ夜の内に帰還したかったのだが、相棒の事情により断念せざるを得なかったのだ。

 キーランが見に行った時、彼の騎竜であるイルティアは深い眠りに就いていた。大きな身体を丸めて眠り込んでいる姿を見たキーランは罪悪感を覚えた。大切な相棒の疲労にも気付けなかった自分が情けなく思えたのだった。


「はぁ……どうして俺がこんな目に遭うんだ」


 キーランは大きく溜め息をついた。先ほどからずっとこの調子である。彼は自身に降りかかった面倒な事態に頭を抱えていた。それも彼からしたら、当然のことだ。何せ、今日出会ってしまった相手は色々な意味で厄介過ぎる。

 本当なら、今頃は何も考えなくて済むはずだった。任務を終え、帰還したことを上官に伝えたら、その後は王城近くの自宅でゆっくりと休めたはずなのだ。余計なことなど何一つ考える必要も無い。

 それがどうだ。今、キーランは答えの見つからない思考の海に溺れて、ずっと悶々としている。小屋の中で炎の竜と水の竜、それから風変わりなエルフに聞かされた話が彼の頭の中をぐるぐると回っていた。

 伝説の炎竜イグニスが目の前にいるということだけでも信じられないことだったのに、その上でバルタニア王国を襲撃したのは彼ではなく、ただ単に利用されたなどという話までも聞かされれば、キーランが混乱するのも致し方無い。

 何を信じれば良いのか、自分自身でもよく分からなくなり、途方に暮れていた時だ。キーランの傍に一匹の竜蛇が舞い降りてきた。体色は艶のある漆黒。胴回りは細めだが、体長は成人男性のキーランの倍以上はある。八枚の翼をはためかせて砂浜に降り立つと、黒い竜蛇はキーランに視線を向けた。くりくりとした赤い瞳に若い竜騎兵の姿が映る。


「こら、ノワール! そんなにあちこち飛び回るなよ。俺だって疲れるんだぞ…………」


 突然、声が響いた。竜蛇を追うように海辺に現れたのは中性的な少年だった。銀色に光り輝く長い白髪が夜空の黒に映え、言い様もなく美しかった。瞳は黒い竜蛇と同じく、鮮血のような赤。肌は雪のごとく白かった。

 キーランは何か言葉を発するのも忘れて少年を見ていた。何故だろうか、その人間離れした美しさから目が離せなかった。男であるにしろ、女であるにしろ、未成熟とは言えその姿は美しく、夜闇の中でぼんやりと光って見えるようだった。


「……えっと、確か竜騎兵の人だったよな? こいつが何か迷惑かけなかったか?」


 甘える竜蛇をあやしながら、白い少年はキーランに目を向けた。思わず竜騎兵はびくりとした。


「ああ、いや。俺は大丈夫だ。その竜蛇は君が飼ってるのか?」


「あぁ、こいつのこと? まぁ、そうだよ。飼ってるというか、俺に勝手に付いて来たって感じだけど」


 そう言って、竜蛇の頭を撫でる少年は優しそうな笑みを浮かべていた。キーランはその笑顔を崩してしまうのはどことなく残念に感じたが、彼にはどうしても聞きたいことがあった。


「……なあ、バルタニアを襲った魔王が炎竜じゃないってのは、本当のことなのか?」


 すると、少年は途端に真面目な顔つきを見せた。


「信じられないのは分かるよ。けど、本当のことだ。イグニスは魔王なんかじゃないし、どこも襲ってない。むしろ、バルタニアを助けたんだ。あいつを魔王に仕立て上げた奴が他にいる。それが誰だかは……まだ分からないけどさ」


 赤い瞳の少年はそこで言葉を区切った。そして若い竜騎兵に目を合わせたまま、なぜかふっと短く笑った。


「……あいつは確かに凄く強い魔物ではあるけど、俺に言わせればなかなか良い奴だよ。人間のことだって、そんなに悪く思ってるわけじゃないしな」


 キーランは少年の言ったことが分かる気がした。考えてみれば、彼の言う通りかもしれない。小屋の中で炎竜はキーランのために食料も分けてくれたし、寝床まで用意してくれていた。脅して強引に情報を聞き出すなんて真似は無かったし、とにかく終始笑っていた。確かに神話や伝承で伝えられているような冷徹な面も凶悪さも、彼には感じられなかった。

 そこまで思いを巡らせた後、キーランは再び目の前の少年に視線を戻した。キーランとイルティアをこの小島に招いた炎竜を始め、彼の連れであるリューディアという少女も水竜だったし、サネルマという女もエルフだった。ならば、この少年は一体何者なのだろうか。恐らく人間でないことは薄々分かっていたものの、まだ名前も聞いていない。ちょっとした好奇心から、キーランは聞いてみることにした。


「俺はキーラン・ロウ。アスキア神聖王国の竜騎兵だ。君の名前も教えて欲しい」


「あぁ、俺の名前? そう言えば、まだ言ってなかったな。ミズガルズだよ。人間の街にいる時はリンと名乗ってる」


「ミズ……え? はぁ!?」


 唖然とするキーランを他所に、ミズガルズと名乗った少年は竜蛇を連れて去ろうとする。キーランはそれを見て、慌てて少年を呼び止めた。


「ちょ、ちょっと待てよ! ミズガルズって言ったら、アスキア神聖王国の成立を描いた古い伝記にも出て来るような魔獣だろう! まさか、君がそれだって言うのか?」


 ミズガルズは苦笑した。やはりそう簡単には信じて貰えなかったか。彼はノワールに先に小屋に戻るように伝えると、ゆっくりとキーランの方に向き直った。ちらっと背後を一瞥し、ノワールが素直に離れて行ったのを見届けると、ミズガルズは僅かに力を抜いた。


「良いか、キーラン。そこを一歩も動くなよ? 下手に動かれると、踏み潰しちゃうかもしれないからな」


 キーランは眉を寄せる。何を、と言う暇も無かった。辺りを一瞬、眩しい光が覆った。目を開けると同時にキーランは眼前の光景に驚愕した。


『……どうだ? これならさすがに信じてくれるだろ?』


 竜騎兵の青年が腰を抜かして、地面にへたり込む。キーランは脱帽するしかなかった。伝説の竜の次は伝説の大蛇だ。もう笑うしかないだろう、これは。乾いた笑い声が漏れ出て来るのを感じながら、彼は白銀の大蛇を見上げた。大きい。とにかく大きい。イルティアを十頭並べても足りないぐらいの大きさだった。空の上で見た炎竜も身震いを禁じ得ないほど巨大であったが、白蛇はそれを超えていた。


『そうだ。乗ってみるか? 空を飛ぶのは無理だが、お前を乗せて海原を泳ぐことぐらいは出来るぞ』


「え、いや……でも、竜騎兵は契約した騎竜以外に乗るのは……」


 伝説級の魔物から飛び出た思わぬ誘いに、キーランの目は点になった。ミズガルズはそんな彼を見て、可笑しそうに笑う。


『遠慮するな。それに俺は竜じゃない。見ての通り、あくまで蛇だ。問題なんて無いさ』


 地面に接するほど頭を低くするミズガルズ。おっかなびっくりしつつも、キーランは想像していた以上に軽くて人間味のある大蛇に跨がったのだった。



◇◇◇◇◇



「……何だか、遊覧船に乗っているみたいだ……」


『そうか。穏やかな夜の海も良いものだろ?』


 ほとんど波の立たない静かな海原。銀色の月と無数の星が海面に映っている。ミズガルズはその長大な体躯を存分に生かして、ある程度の長さを海中より出してゆっくりと泳いでいた。頭の上には角にしがみつくようにして、キーランが座っている。

 夜の海風は冷たいが、キーランはミズガルズの唱えた魔法のおかげで全く寒さを感じなかった。ふんわりとした優しい暖かさが逆に心地良いぐらいだ。目の前に広がる絶景の素晴らしさと相まって、キーランは感激していた。太古から語り継がれる魔物に乗せて貰い、友好的にされることは、普段から竜に乗るキーランにとっても夢のような体験だったに違いない。


「一つ聞いて良いか? ……どうして、たかだか人間なんかにここまで良くしてくれるんだ?」


 それは心の底からの疑問だった。ミズガルズは世界中の誰もがその名を知るような、神話級の魔物だ。それほどの魔物からすれば、人間など矮小で下らない存在以外の何者でもないはず。だというのに何故、ミズガルズはキーランにこうして気軽に接してくれているのだろう。ただの演技なのか、それとも生来の気質なのか。何にせよ、若い竜騎兵は分からなかった。


『じゃあ、逆に聞くけど……良くしてはいけない理由はあるのか?』


 蛇神の返答にキーランは虚を突かれた。何か言おうとして、何も言えないことに気付く。確かにミズガルズの言ったことは正論だった。そんな理由など無い。


『初対面の相手に向かって威圧的な態度を取っても、良いことなんか何も無いだろ? 印象は悪くなるし、相手との距離もその時点で遠ざかる。それが分かってるんだから、俺はわざわざそんなやり方をしようとは思わない。人間同士だって、同じだろ?』


 それからしばらくは互いに無言だった。ごくごく小さな波の音や海鳥の鳴く声のみが響き渡る。黒い海はどこまでも続き、果ては無い。久々に本来の姿で伸び伸びと泳ぐことが出来て、ミズガルズも満足していた。そして、そろそろ戻ろうと身体の向きを変えようとした時、キーランが短く叫んだ。


「待ってくれ! 向こうに船がいる! あの旗は……エラーティエ帝国のものか?」


『……エラーティエだって? ここはアスキアの領海内じゃないのか?』


 突然、小島の沖合に現れた小型の軍艦を見て、キーランとミズガルズは仲良く混乱した。彼らが漂っているのは明らかにアスキア神聖王国の領海であり、本来なら遠く離れたエラーティエ帝国の軍艦がいて良いはずがない。だが、暗い赤色の地に黄色の横線が平行に二本描かれている旗は、その軍艦がエラーティエ帝国のものであることを表していた。


「いや……ちょっと待て……もう一隻、別の船が……」


 キーランの言葉尻は突如炸裂した爆音に奪われた。銀色の月明かりの下、エラーティエ帝国の小軍艦の他に別の大型船がゆらりと姿を見せた。闇夜に負けない黒い帆を幾つも張った帆船だ。一番大きな帆には白い塗料で頭蓋骨と砂時計が描かれている。不敵にほくそ笑む髑髏が不気味さを醸し出していた。

 どうして良いか分からずにその場に留まるミズガルズとキーランだったが、彼らの困惑などお構い無しとばかりに事態は着々と進む。髑髏を掲げた海賊船から雄叫びが上がり、再び大砲による砲撃が始まった。エラーティエ帝国の軍艦も負けじと撃ち返す。

 たちまち夜の海で海戦の火蓋が切って落とされた。砲撃音が絶え間無く鳴り響き続ける。互いに交戦している船乗りたちはまだミズガルズの存在に気付いていないようだ。視力の良いミズガルズには、軍艦の甲板の上でエラーティエ軍の兵士たちが乗り込んで来た海賊の一味と殺し合いをしている光景がよく見えた。


(……ん? あの女は……まさか)


 剣を抜いた海賊と兵士が入り乱れて争っている中、見覚えのある女がいた。血の付いた金色の甲冑に深緑色の長い髪、それと同色の瞳。間違いない。帝都エルタラで出会った、衛兵隊の副隊長だ。ミズガルズはミネルバ・セルフォードという名を思い出したが、どうして彼女がここにいるのかさっぱり分からなかった。兵士と一緒に軍艦に乗船しているところを見ると、ただのアスキア観光だとはとても思えなかったが。


「あぁ、くそっ! イルティアが起きていれば助けられるのに……。なぁ、すまないが急いで島まで戻ってくれないか?」


 キーランの言葉を聞いたミズガルズはついつい苦笑してしまった。この竜騎兵は焦り過ぎて今の自らの状況が見えていないらしい。海賊を沈めるためにイルティアをわざわざ起こして戦ってもらう必要は無い。今この瞬間、キーランが股がっているのは誰だというのか。


『少し潜るぞ、キーラン』


「え? 潜るって、一体何を……」


 竜騎兵が最後まで言い終わらない内にミズガルズは海中へと身を沈めた。目を瞑る暇も無かったキーランの周りを厚い空気の層が覆い、海水を押し退ける。水中で呼吸が出来ていることに彼が驚くのも束の間、ミズガルズは凄まじい速さで前へ前へと泳ぎ始めた。先ほどまで、ゆっくりと泳いでいたのが嘘であったかのような速度だ。

 振り落とされないように必死でしがみつくキーラン。彼が細めた目を開けば、頭上に二隻の船底が見えた。海面はゆらゆらと揺れる炎を映しており、橙色に染まっていた。海に投げ出された船乗りたちの姿も見上げることが出来た。


「ど、どうするんだ?」


『簡単なことさ。船の底に穴を開けてやる。そうすれば、どんな船だって沈むじゃないか』


 早速、有言実行。ミズガルズは長い尾を揺らめかせると、鋭利に尖った先端を勢い良く海賊船の船底に突き刺した。たちまち見事な大穴が生まれた。それを何度も繰り返した結果、海賊船の底は穴だらけとなってしまった。

 複数の穴から船の中へ海水がどっと入り込む。船内に残っていた僅かな海賊たちも異変に気付いたが、時既に遅し。穴が一つだけだったならばともかく、それが複数個あっては塞ぎようが無い。努力も虚しく彼らは侵入して来る水の激流に押し流され、船体は徐々に傾きながら沈み始めた。



◇◇◇◇◇



 それから、さほど時間がかからない内に海賊船はその九割方が海中に没してしまった。もちろん船内に待機していた少数の乗組員たちはほとんどが沈む船と共に溺死した。軍艦の甲板上で熾烈な白兵戦を続けていた者たちは一人残らず動きを止めていた。自分たちの船が何の前触れも無く沈没していく光景を見せられてしまっては、さすがの海賊一味も呆然とするしかなかった。一方、軍艦に乗るエラーティエ帝国兵たちも困惑していた。当然だった。目の前でいきなり敵船が沈んでしまったのだから。


「嘘だろ……俺の船が……」


 やや肥満体で立派な顎髭を生やした海賊の船長が力無く呟いた。彼はアスキア周辺ではそれなりに名前の知られた海賊だったが、この時ばかりは威厳を保てなかった。普段の彼であればこのまま軍艦の乗組員を皆殺しにして、船を奪うぐらいのことは実行に移しただろう。けれども、今の彼にはそのような気力は無かった。

 海賊の船長に向かい幾つもの白刃が突き付けられた。船長は反射的に剣を取り落とし、両手を上に上げた。海賊たちの負けを意味する光景だった。他の海賊船員たちも次々と武器を捨てた。エラーティエ帝国の兵士たちはさぞかし安堵しただろう。これでようやく終わりだと感じたに違いない。しかし、海賊というのは予想不能で恐ろしい生き物であった。


「畜生っ! てめえも道連れだあ!」


 甲板の縁に立っていた女騎士に向かって、体格の良い海賊の船員が駆け寄る。そして、誰も止めない内に彼女を甲板の外へと突き飛ばし、そのまま取っ組み合いをしながら二人とも海へと落ちて行ってしまった。


「おい、誰かロープを持ってこい! 彼女を助けろ!」


 上等兵の一人が叫んだ。しかし、海面を覗き込んでいた若い兵士から返って来た応えは弱々しいものだった。


「で、ですが……浮かんできません……」


 ついにミネルバ・セルフォードが兵士たちの手で救出されることは無かった。



◇◇◇◇◇



 水が冷たい。


 次第に黒く塗り潰されていく意識の中、ミネルバはそんなことを考えていた。海中で息も出来ない。苦しくて、手足も上手く動かせない。今も笑いながら細い首を絞めてきている下品な海賊の顔もぼやけてきた。死ぬんだ。ミネルバは漠然とそう思った。

 ごぼり、と、口から気泡が漏れ出た。海賊は笑い続ける。ミネルバは悔しい思いでいっぱいだった。平凡で誰かにこき使われて、挙げ句の果てに捨てられるような人生など送りたくなかった。だから彼女はひたすらに立身出世を求めた。そのせいで周りから陰口を叩かれようと、白い目で見られようと、気にせずに前へ進み続けた。彼女が勝ち組になるためには他人を蹴散らしてでも成り上がるしかなかったのだから。

 今回のミグラシア王国を巡る戦争に、エラーティエ帝国からの派遣兵として参加することを決めたのも、全ては出世を叶えるためだった。戦で華やかな戦績を築けば富と名声が付いて来る。誰も馬鹿にする者などいない。貴族出身の無能な軍の上官、嘲笑ってきた大人の群れ、後ろ指を差した意地の悪い元同僚……どいつもこいつも見返してやれるはずだった。


(……任務を終えるどころか、始めることも出来ず……こんな海賊に殺されるのか……)


 いよいよ、意識が消え去りそうになった刹那であった。ミネルバの視界にとてつもなく大きな何かが映った。彼女を絞め殺そうと躍起になっている海賊の後ろに現れたもの。それは尋常でなく巨大な蛇だった。青と紫の複雑な曲線模様が描かれた白銀の胴が水中でもキラキラと光っていた。真っ赤な瞳は身震いするほど鋭い。何故だか知らないが、頭部には角にしがみつくようにして若い男が乗っている。

 驚くミネルバの前で大蛇は大きく口を開いた。鋭利な牙が何本も見えた。そのどれもがギラギラと鈍く危ない輝きを放つ。何に食らい付こうとしているのかは、一目瞭然であった。

 そこまできて、ようやく海賊の男も背後に迫った巨大な存在に気付いた。目を見開き、ミネルバの首から両手を離して、慌てて振り返る。彼の失敗はミネルバを殺すのにこだわったことだろう。最初から女騎士になど目もくれないで、海に逃れると同時に近くの小島まで泳いでいれば良かったのだ。そうしていれば彼は悲惨な死を迎えることは無かったに違いない。


『……キーラン、目は瞑っていた方が良いかもしれない』


 大蛇が人間の言葉を発した。その事実に驚く暇も無く、海賊は鋭い毒牙に身体を深く貫かれた。凄まじい激痛。顔が歪み、声にならない悲鳴を上げる。肺に溜めていた空気がごぼごぼと抜けて行った。毒牙が抜かれると、海賊は急いで距離を取り、酸素を求めて海面に向かおうと試みた。が、その時に彼は異変に気付いた。

 まず、手足に力が入らない。強力な麻酔をかけられたかのように麻痺してしまっていた。完全に身体が動かなくなっていた。筋肉が硬直し、呼吸もままならない。涎を垂らしながらか細く喘ぐと、海賊の肺に大量の海水が流れ込んできた。その時点で彼の命運は尽きた。すぐに溺死体となるだろう。


『キーラン、彼女を拾ってやってくれ』


「あ、あぁ、分かった」


 その後のことをミネルバははっきりと覚えていない。キーランと呼ばれたなかなか男前な青年に腕を掴まれて引き寄せられた時に、彼女の意識はゆっくりと暗転してしまったからだった。

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