黄飛竜と竜騎兵
その日、ケントラム中央大陸に位置するアスキア神聖王国は領地のほぼ全域が悪天候に覆われていた。朝から続く雨が誰もを憂鬱な気分にさせる。
今この時も小型の飛竜に乗って嵐の空を飛ぶ男にとっても、それは例外ではなかった。簡単な魔法を用いて体温を上げるも、止まない雨は彼の身体を打ち付け続ける。思わず舌打ちしながら、男は早く王都であるアーディンに到着することを願っていた。
キーラン・ロウは生まれも育ちもアーディンで、二十歳を迎えた今は竜騎兵として母国の軍隊に所属している。彼は今、とある任務の帰路の途中であった。ミグラシア王国で起こっているディレンセンとバルタニアの同盟軍とアスキアを筆頭とした世界連盟軍の戦争に味方してくれるよう、東のオリエンシア大陸の各同盟国の指導者たちに国王の文書を届け、協力を要請してきたのだ。
雨粒に濡れるキーランが乗る愛竜のイルティアは、竜種の中でもかなり小柄な種類だ。彼女は黄飛竜と呼ばれる黄褐色の鱗を持った竜で、主にケントラム大陸の高山地帯に棲息する。昔から人間にもおおむね協力的な種族であり、アスキア神聖王国の竜騎兵と契約を結んでいる個体も多い。
イルティアもその内の一頭だ。彼女はキーランと五年前に契約を結んだ。それ以来、主を背に乗せて様々な場所へと飛んだ。戦地に赴き、実際に敵と戦ったこともあれば、海賊の対策のために王国の領海上を日暮れまで飛び続けたこともある。今までキーランとは沢山の苦楽を共にしてきた仲で、互いに嘘をついたり、無理を隠したりしないようにやってきた。だから、今回もイルティアは我慢せずに言った。
『……キーラン、さっきから言おうと思ってたんだけどー。あのー、どうも疲れが取れてないみたいでー……少し翼が重いかも』
「馬鹿、何でもっと早く言わなかったんだよ。どこかの小島で少し休むか?」
キーランは呻いた。確かに愛竜の飛行速度はいつもより遅かった。一時的に休息出来る場所は無いかと眼下を覗いたが、そこでキーランは舌打ちした。周囲の三百六十度全てが灰色の雲で覆われてしまっている。何も見えやしない。降下して雲の中から抜け出るしかないか。相棒に指示を出そうとした、その瞬間だった。咄嗟にキーランの本能が告げた。自分たちのすぐ近くに、得体の知れない何かがいると。
若い竜騎兵は激しさを増す雨に打たれながら、周囲に首を巡らした。雷鳴と雨音に混じり、大きな羽音が聞こえた。やはり近い。本当にすぐ傍にいる。何者かが確かに至近距離に存在していた。同じアスキアの竜騎兵か、それとも何らかの敵か。前者ならば良い。だが、後者であった時は……非常に不味い。連日飛び続けていたせいもあって、イルティアの状態はあまり良くない。戦闘になれば、勝てるかどうか怪しかった。
「何者だ! 姿を見せろっ!」
張り上げた声に返事は無かった。その代わりに次の瞬間、キーランとイルティアのすぐ近くの雲間を切り裂くように、鮮やかな赤い翼が現れた。力強く、あまりに大きな巨竜の翼だった。
騎竜のイルティアは無意識のうちに空中で羽ばたきながら静止していた。キーランもそれを注意することを忘れていた。そして雲が流れ、途切れた。灰色の空に巨大な赤竜が姿を見せた。灼熱の火炎の色を宿した竜はじっと竜騎兵と騎竜を見つめている。自らの六、七倍はありそうな相手を前に、イルティアはただただ呆然とする。
『同族の気配がしたからな。ついつい近づいてしまったが……驚かせたらしいな。すまない』
キーランの頭の中に赤竜の声が響く。意外にも優しげな声音で、敵意は感じられない。だが、それでもキーランは警戒心を解けなかった。軍人の端くれであるが故に、いかなる場合でも油断してはいけないと知っていたからだ。
「……お前は誰なんだ? 名はあるのか?」
キーランの問いかけに、竜はくつくつと低く笑った。
『ここで名を名乗れば、オマエたちに逃げられるだろう。……そんなことより、そこの竜は疲れているようだ。付いて来い。近くに小島を見つけてある』
そう言うと、巨大な赤竜は身体を翻し、ゆっくりと降下し始めた。キーランは大いに困惑していたが、相棒のイルティアが酷く疲れているのも事実だ。数秒迷った後にキーランはイルティアに指示を出した。謎の赤竜に付いて行くことにしたのだった。
◇◇◇◇◇
大海原に浮かぶ、ごくごく小さな無人島。どこかの誰だかが残して行った海岸の掘っ建て小屋の中から、一人の少年が出て来る。真紅の目を細め、雨に打たれつつ、彼は空を見上げる。灰色の空に赤い点が動いていた。次第にそれは大きくなる。
海辺の砂地の上に巨大な炎竜が降り立った。そして、瞬く間にその身を人間の青年のものと変える。燃え盛る炎の色をした髪と服。眼光鋭い黄金の双眸。少しも疲れた様子の無い彼の背後に、やや小さい黄褐色の飛竜が着地した。背には見たことも無い男が乗っている。
赤髪の青年のもとへ駆け寄ろうとした少年だったが、不意に足を止めた。予期せぬ来訪者を見て、警戒心が生まれたのだ。
「イグニス! そいつらは一体どこの誰だ?」
イグニス、という名を聞いて、即座に反応したのは飛竜のイルティアだった。主のキーランの横で身を硬くし、ぎこちなく翼を畳む。そして、怯えたように後ずさった。
『イグニス? ……イグニスって……嘘。え、だって、その名はあの伝説の竜の……』
釈然としない表情で佇んでいたキーランも、ようやく自分たちを先導した巨竜が何者なのか、悟ったらしい。顔を強張らせて、警戒心を剥き出しにする。腰に提げていた剣を彼は抜き放った。切っ先はもちろん赤毛の青年に向かっている。
「くそっ、悪名高い炎竜だったなんて。イグニスと言ったら、お伽噺に出て来るような怪物だろう! それがどうして、こんな場所にいるんだ!?」
完全に怯えている黄飛竜と震えながらも剣を握り締めている竜騎兵を見て、イグニスは苦笑した。
「……ま、とりあえず剣は仕舞ってくれ。オレは確かに悪名高い炎竜イグニスだけど……オマエたちを取って食うつもりなんか無い。少し弱った同胞の気配を感じたから、試しに近付いてみただけ。本当にそれだけだよ」
さすがにそんな言葉だけでは信じられないのだろう。未だに警戒心を解かないキーランと今にも飛んで逃げそうな黄飛竜。この状況だと、一向に話が進みそうにない。そう感じたのは白銀色の長髪と赤い瞳を持った少年、ミズガルズだった。短く嘆息すると、彼は赤髪の青年に声をかけた。
「なぁ、イグニス。今のお前は魔物の群れの指導者だって、でっち上げられてるんだ。そりゃ怖がられるに決まってる」
あぁ、確かにと頷く炎竜の姿に、ミズガルズはやはり嘆息を重ねた。それから今度はキーランとイルティアの方に向き直った。彼らは事態に付いて行けていないようで、混乱状態に陥っていた。
そんな彼らは未だに雨に濡れていた。このままでは寒いだろう。ミズガルズはひとまず彼らを屋根のある所に案内しようと決めた。竜騎兵の男の方は後ろの小屋に入れてやれば良いだろう。少なくとも雨風は防げるし、暖も取れる。飛竜の方は人化の術を会得していないなら、近くの洞窟で休んでもらえば良い。
「名前、教えてくれないか? あと人の姿を取れるかどうかも」
『あ、えっと、名前って、私の?』
少年が頷くと、飛竜は居住まいを正した。
『あー、私は黄飛竜のイルティアです。横にいるキーランと一緒にアスキアの軍隊に入ってますねー。えーっと、人化の術は欠片も習ってないんで、人間の姿には流石になれないです』
それを聞いた少年は竜騎兵の男をイグニスに任せ、自分は飛竜を洞窟に導くことにした。相棒の炎竜が何を思って、この一頭と一人を連れて来たのか分からないが、何か有益な話が聞けるかもしれない。今、世界で何が起きているのか、情報は少しでも多い方が良いに決まっていた。
「……じゃあ、イルティア。雨の当たらない所に案内するよ。一緒に来てくれないか?」
『はぁ……よく分かんないけど、濡れなくて済むなら良いですよ』
そう言って、ちらっと主を見るイルティア。仏頂面のキーランも首を縦に振っていた。恐らく彼の方も炎の竜に聞きたいことがあるのだろう。それも当たり前だ。イグニスと言ったら、竜種の間でさえも伝説の存在なのだから。竜神や炎竜帝とも呼ばれる神話に登場するような生命体が何故このような場所にいるのか。それを疑問に思わないはずが無い。
そうしてイルティアはキーランに背を向けると、ゆっくりと歩く白髪の少年の後を追うのだった。
◇◇◇◇◇
小屋の建っている砂浜からしばらく歩くと、岩だらけの海岸に辿り着いた。波打ち際から少し進んだ所に椰子の林が繁り、その奥には大きな洞窟があった。洞窟と言うよりは巨大な岩壁の窪みと言った方が正しいかもしれない。天井も高く、奥行きも十分にある。七、八メートルほどのイルティアなら、存分に翼を広げて休息出来るだろう。
早速、長時間の飛行で凝り固まった両翼を伸ばして、地面に寝そべるイルティア。彼女は大きくあくびをして、少しだけ眠ろうとしたが、その前にふと白髪の少年を見た。彼女は今更だが、少年の名前を聞いていないことを思い出した。
『……あのー、さっきから何となく感じてたけどー。あなたも魔物だよね? そうでしょ?』
「俺? その通りだよ。俺もれっきとした魔物だ」
『私と同じ竜種だったりする?』
「いや。残念ながら俺は竜じゃない。見せた方が良い?」
『うん、是非とも』
即答だった。少年は身体の力を抜く。確かに正体を見せた方が、互いに信用出来るだろうし、込み入った話もしやすくなるかもしれなかった。己の本来の姿を顕現させるため、少年は人化を解いた。
瞬間的に目映い白光が一帯を覆った。黄飛竜イルティアは自らの目を疑うと共に、思わず息を飲んだ。彼女の眼前には、途方も無く大きい白蛇が佇んでいたのだ。炎竜の倍はあると思われる長大な体躯は、当然窪みの中には入り切らず、その半分以上が小雨の降りしきる外に投げ出されていた。
イルティアは呆然と大蛇を見上げた。鮮血のような赤色の瞳、白銀に輝く鱗、竜の如く伸びる頭部の角。飛竜は目の前に顕現した魔物の名を知っていた。竜神と呼ばれた炎の巨竜イグニスと互いに背中を預け、その力を持ってして、かつて世界を席巻した魔物。挑みに来た名だたる強者たちを薙ぎ払い、幾人もの勇壮果敢な人間の命を奪い取り、史上最悪とまで謳われた蛇の神。
『……ミズガルズだ。改めて初めまして。よろしく、イルティア』
名を呼ばれた飛竜は今にも目眩を起こしそうだった。先ほどの炎竜イグニスといい、信じられないことばかりが起きていた。
『ひゃー、伝説の魔物に立て続けに会うなんて……もー信じられないや。どうなってるのかな、今日は……』
尊敬と畏怖が込められた視線を向けられて、ミズガルズは居心地を悪くした。彼は未だに他者からのそういった視線に慣れなかった。
『あのー、聞きたいんですが。……あなたほどの方々がどうしてここに? まっ、まさか、私の故郷を滅ぼしに来たとか?!』
冗談で言っているのかなと思って蛇神が見れば、黄飛竜は割と本気で怖がっていた。どうやら、この黄飛竜は思い込みが激しいらしい。第一、連れが竜なのだから、同じ竜の里を襲いに行くはずなどないだろうとミズガルズは思った。
『おいおい、物騒なことを言うな。俺はただバルタニア王国に行きたいだけだ。アスキアにはその途中で寄るだけのことだよ』
そこでミズガルズはイルティアに理由を話した。バルタニアに助けたい人がいるはずだから、何としてでも潜入したいのだと。それを聞いたイルティアは地に寝そべったまま、苦い声を出した。
『……西のバルタニアですか。こんなこと言うのは恐れ多いけど……今、バルタニアというかそもそも西大陸に行くのはお勧めしません。ディレンセンの兵士がどんな武器を使うか、知ってます?』
『……いや、まだ見たこと無いな。教えてくれるか?』
イルティアはポツポツと少しずつ話し始めた。まるで、嫌な記憶を一つずつ思い出していっているかのようだった。
彼女曰く、ディレンセン帝国とバルタニア王国の混成軍は、アスキア神聖王国を筆頭とした連盟軍と、ミグラシア王国を巡って大規模な戦闘を行なっていた。五つの島の内、三島は既に陥落し、ディレンセンとバルタニア軍に占領されている。王都サン・ミグリアを抱えるミグリア島を含めた残りの二島を連盟軍が必死に守っているという状況だった。
サン・ミグリアが落城すれば、連盟軍側に対する被害は計り知れないものとなるだろう。何故なら、ミグリア島陥落はアスキア本土への爆撃が可能になることを意味するからだ。
そして、彼らが制空権を握るべく使っているのが、巨大な飛行船であった。大人数の人間を乗せることが可能で、大砲も多く揃えている。帝国の科学技術を結集させて造った強力な兵器であり、今まで何頭もの竜と竜騎兵が撃墜させられたか、正確な数は分からない。それに加え、帝国の歩兵たちは金属の弾丸を放つ銃器類で武装する。連盟軍の兵が魔法を唱えるよりも早く、正確に頭を撃ち抜くことも可能だ。
そうやって話している内にイルティアの心持ちは暗くなっていった。戦場で死んでいった仲間の竜たちのことを思い出してしまったのだ。その上、ミグラシア王国を巡る攻防戦では連盟軍側の敗戦の色が濃厚だ。連盟軍を構成する各国の兵隊たちの中に、ディレンセン・バルタニア軍の用いる銃器を知っているという者がどれだけいるのだろう。
きっと、そんな者はいないだろう。彼らは魔法や剣、弓矢などに寄り添って生きてきたのだから。知らない方が普通だし、対処出来ないのも当然である。ディレンセン帝国が異常なだけだ。魔法を完全放棄して科学技術の発達を推し進めたのは、世界広しと言えども、ディレンセン帝国しかない。
『……私とキーランもいずれは駆り出されるはず。並みの竜なら簡単に撃ち殺せるような飛行船が飛び交ってる戦場に……。私が炎竜様くらい強い竜だったら、良かったのに』
悲しげに竜が独りごちる。弱々しい声音だった。
『……そう言えば、お前はイグニスのことをどう思ってるんだ? あいつは今、バルタニアを襲った犯人に仕立て上げられてるけど』
閉じた瞳をそっと開けて、イルティアは半身を起こした。彼女は何故だか少し怒っているようにも見えた。眠たいところを邪魔しているからだろうか。そして、飛竜は不機嫌そうな調子で言った。
『その話なら私も聞いてますよー。バルタニアの王がそう言ったんでしょ? 炎竜が魔物を引き連れて、王都を襲撃したが、それを防いで見事に追い払い、勝利したって……』
馬鹿馬鹿しい、と、イルティアは吐き捨てた。その様子はどこか心底呆れているようにも見えた。不思議に思い、ミズガルズが聞いてみれば、これまた呆れた風に応えが返ってきた。
『だって……そうでしょう? あなたや炎竜様は誰よりも遥かに強い。自覚してらっしゃるんじゃないですか? 私なんかじゃ相手にもならないくらい……あなた方は格が違う。それをたかだか人間たちが追い払って勝利するなんてこと、絶対に有り得ない。そんな話、真っ赤な嘘に決まってるじゃないですか』
言いたいことは言い終えたのか、イルティアは大口を開けて、あくびをした後、目を閉じた。すぐに寝息が聞こえてきた。余程疲れていたらしい。
瞬く間に眠りの世界に羽ばたいて行った飛竜を見下ろしながら、ミズガルズはじっと考え込む。どこもかしこも敵だらけというわけではないらしい。このイルティアのように嘘に惑わされない者もいる。それは蛇神にとって、とても安心出来ることだった。
外を見れば霧のような小雨はまだ止みそうになかった。雨粒が地面を叩く音が延々と続く。イグニスたちの方は一体、何を話しているのだろうか。もう少し経ったら、見に行ってみよう。ミズガルズはそう決めると、飛竜と同じように目を閉じた。




