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非情の裏切り

 学院の全てを見渡せる塔の最上部、そこに学院長の部屋があった。今は部屋の主であるファリアスが床に倒れ伏しており、彼の他に二人の人影がいた。一人は眼光鋭い瞳の奥に狂気を秘めた老魔術師、もう一人は高級な服に身を包んだ、ブロンドの髪が美しい若い男だ。その二人を地べたから見上げる形となったファリアス学院長は悔しげに呻いた。


「ザムラス……貴様、生きていたのか。この、外道め……」


 力強く睨みつけてきたファリアスに対して、ザムラスは嘲笑をもって返した。


「おお、ファリアス。酷いではないか、実の弟に向かって、よりにもよって外道とは。とても悲しいぞ」


 冷たい笑い声を上げる邪悪な老魔術師ザムラス・リーワードは、シャターラ魔術学院の現学院長であるファリアスの実弟だ。もちろん、このことは当人たちしか知らぬ事実である。他に秘密を知る者はいなかった。彼らは若い頃に袂を分かち、別の道をそれぞれ歩き始めた。どちらが正しい道だったのかは、考えずとも分かるだろう。


「……お前の噂は耳にしていたぞ、ザムラス。救いようの無い悪党に堕ちたようだが……何故、戻って来た!? 貴様は自分のしでかしたことを分かっているのであろうな!?」


 声を荒げたファリアスが四肢に力を入れて立ち上がった。だが、同時に息も荒い。魔法の媒体となる、自慢の杖も既に折られてしまっていた。当然、学院長なだけあって、媒体無しでも魔法は行使出来るものの、今は分が悪かった。

 何せ長年デスクワークに従事してきたファリアスはここ最近のところ、敵との戦闘行為を行なっていない。つまりは実戦から長い間遠ざかっているということだ。さらに老体も祟り、もはやファリアスに激しい戦いは望めない。

 それに対してザムラスの方はどうだろうか。彼は今でも現役の魔術師である。加えて、彼の場合は日夜研究と称して、新しい魔法の習得に勤しんでいるのだから、ファリアスにとってはさらに都合が悪かった。学院長の彼でさえ知らない魔法をザムラスは会得しているかもしれないからだ。

 自らの圧倒的不利を自覚しているファリアスは悔しさのあまり、拳を強く握り締め、ぎりぎりと音が立つほど歯ぎしりをした。ザムラスはそんな実兄の姿を上からニヤニヤと見下ろすだけだ。彼なりに優越感を感じているのだろう。その老いた横顔は満足そうであった。


「……ザムラス。お前たちの兄弟喧嘩に俺は興味が無い。それより、本当に皆殺しに出来るのか? 邪魔など入ったりはしないんだろうな?」


「大丈夫ですよ、ジョナサン殿。誰一人として、手出しなど出来ませぬわ」


「なら、良い」


 自信満々に答えたザムラスを一瞥することもせず、悲運の貴族ジョナサン・ウェザリントンはガラス張りの大窓のそばに近寄る。その瞳には燃え尽きることのない激憤と積もりに積もった復讐の念が込められていた。端から見ると無表情だが、実際に目を合わせれば、ぞっとするほど冷たい。


(魔術師……選ばれた奴らだとでも言うのか? ……下らん、不愉快極まりない)


 ジョナサンは魔術師が嫌いだった。それに関連した全てが嫌いだった。奴らは魔法が使えない者たちを見下している。常人より優れているから、高い場所でふんぞり返っている。ジョナサンはそう固く信じていた。

 実を言えば、この世界において魔法の類が一切使えないという人間は全く珍しくない。魔法の才能にまるで恵まれない者はかなり多かった。それこそ町の裏通りに座り込む浮浪者から大都市の商人、田舎者の山賊や果ては一族の期待を一身に背負った大貴族の一人息子に至るまで、才能に恵まれなかった者はどこにでも、どんな身分階級にもいる。そういった者たちは魔術師になりたくても諦めるしかない。彼らは何か他のことで頑張るしかないのだ。圧倒的な劣等感に日々苛まれながら。

 かく言うジョナサン自身も、その劣等感に苦悩する一人だ。特に歳の離れた腹違いの弟、ウィリアムに対して凄まじいまでの劣等感を抱いていた。何も魔法の才能の面だけではない。一般の学業でも、父親からの待遇でも、果ては人間性の面でもジョナサンは弟に劣っていると、常々感じていた。

 ウィリアムは良い弟だ。そんなことはジョナサンだって承知している。幼い頃から父スチュワートの目を逃れて、兄のところに会いに来てくれた。ジョナサンは最初の頃こそ疎ましく思ったが、その気持ちも今となっては無い。今朝も屋敷の離れまでやって来てくれたほどだ。


「すまないな、ウィリアム……」


 だが、彼は今、優しい弟もろとも全てを破壊しようとしている。何故ここまで来てしまったのか、もはや分からない。理由なんて考えたことも無いし、もう忘れた。憎しみと怨念だけがジョナサンを動かしてきたのだ。


 夜景が美しかった。黒く染められた空に星の群れが浮かび、月も立派だった。立ち上る炎や煙がそこに何とも言えぬアクセントを加えていた。ジョナサンはただぼんやりとそれらの光景に見入っていた。真正面には白銀の星が浮かび、今まさに段々と。


「近付いて……?」


 瞬間。耳をつんざくような高音が響く。大窓は蹴破られ、無数のガラスの破片が空中に舞った。ジョナサンが倒れ込み、二人の老いた兄弟も思わず動きを止めた中、輝きの中から人影が現れた。


「取り込み中だったか?」


 やや高い、澄み切った声が響き渡った。


「一応、聞いとく。この騒ぎを起こしたのはお前らで間違いない、そうだろ?」


 白銀の長髪を夜風になびかせる少年が不敵に笑った。



◇◇◇◇◇



 最初に動いたのはザムラスであった。ローブの内側から杖を取り出すと、一切の躊躇も無く、ミズガルズに向けた。荒れ狂う炎の奔流が放たれる。直撃すればただでは済みそうに無い。ミリーザが反射的に目を瞑って、しゃがみこむ。けれど、ミズガルズは全く焦らなかった。片腕を前へ突き出し、防御魔法を展開する。淡い白に輝く光の盾が出現し、炎を受け止めた。直進を遮られた炎は四散して、天井を焦がした。

 ザムラスの攻撃の手は止まない。しゃがれた叫び声と共に杖が振られた。宙に幾つもの黒い雷の渦が生まれて、そのままミズガルズの元へと襲いかかった。少年は光の盾を解除して、裂帛の雄叫びを上げ、腕を振るった。黒々とした雷の一群が瞬く間に跳ね返される。それらは真っ直ぐにザムラス目掛けて飛んで行った。


「ぐぅっ!」


 反射された自身の魔法を当たる直前で消し飛ばしたザムラスが次の一手に出た。彼が杖を振るうと、部屋の床に飛び散っていた数え切れないほどのガラスの破片が舞い上がり、その鋭い無数の刃をもって対象を切り裂かんとした。そして、その対象とは。


「死ねぃ! 小娘!!」


 卑劣なことにミリーザであった。少女は悲鳴を発し、ミズガルズは自らの失敗を呪い、舌を鳴らした。だが、苛立ちも心配も次の瞬間には杞憂に終わっていた。ミリーザの周囲を強固な光の防御膜が覆っていたのである。驚いたザムラスが振り向いた先には魔法を行使するファリアスの姿があった。彼がミリーザを守ったのである。


「どこを見てる!? がら空きだぞ、ジジイ!」


 敵との戦闘中に愚かにも背を見せたザムラス。その代償は大きかった。慌てて振り返れば、もう目の前にまでミズガルズが迫り来ていた。両手でしっかりと握られているのは、青く透き通った氷の剣。もはや回避は間に合わない。そう判断したザムラスの取った手はまさに外道の手段だった。


「……! ぐ、がふっ……!?」


 確かにミズガルズの氷剣は人体を貫いた。だが、その相手は邪悪なる老魔術師ザムラス・リーワードではない。彼とミズガルズの間に立ち尽くし、剣で胸を貫かれているのは、今までまさに蚊帳の外にいたはずのジョナサン・ウェザリントンだったのだ。刺された彼自身も、刺したミズガルズも、はたまたミリーザとファリアスまでもが呆然とした表情を浮かべていた。ニヤニヤと笑うのはザムラスだけだ。彼は得意げに捨て台詞を吐いてみせた。


「悪いですな、ジョナサン殿。……私もまだ死にたくはないのでね……」


 そうして彼の姿は霧散して、どこかへと消えてしまった。誰も逃亡を止められなかった。それよりも残された者たちは皆、瀕死となったジョナサンの元へと駆け寄った。



◇◇◇◇◇



 自らの傍に駆け寄って来て、必死で声を掛ける三人の男女をやはりぼんやりと眺めながら、ジョナサンは実に不思議な気分でいた。どうしてこの見ず知らずの三人が自分のことを心配してくれているのか分からなかったからだ。敵が死にかけているのをわざわざ嘆くだなんて……ジョナサンには全く理由が分からなかった。


(……そういえば、この学院長、ガキの頃に会った気がするな……)


 次第に薄れ行く意識の中で、ジョナサンは少年時代の出来事を回想していた。確か、あれは十三歳になったばかりの頃のことだった。母は既に病が身体中に広がり、亡くなるのは時間の問題だったはずだ。そんな時である。ジョナサンがこの頭髪の薄い学院長と出会ったのは。

 もう朧気な記憶だが、スチュワートに魔術学院に連れて来られたのだと思う。恐らくは学院の見学という用件だったはず。それも案内役は学院長自らという特別待遇だった。

 もっとも、その結果は散々なものだった。学院長自らが指導しても、幼いジョナサンはとことん駄目だった。いくらやってもまともな魔法が使えなかったのである。今でもジョナサンは覚えている。苛ついた表情を終始見せていた父に対して怯えていた少年時代の自分の姿を。思えば、もうあの時からスチュワートのことは嫌いだったのだ。


「……はは、下らんことばかり……頭に浮かんで、くる。ま、ともな思い出が無いのも、悲しい、な……」


「おい、ばかっ! 無理して喋んな!」


 泣きそうな顔の美少年に、ジョナサンは腹違いの弟の姿を重ねていた。どことなく小さい頃のウィリアムと似ていたのだ。もちろん、口調はウィリアムの方が遥かに穏やかなものだったけれど、こうして自分のことを必死に気遣ってくれるところが何となく……そっくりに思えた。

 愚かだな。ジョナサンは自らを嘲笑った。弟ごと全てをぶち壊そうと企んでいたのに、逆に自分が死にそうになっている。弟よりも先にくたばる兄貴とは……何て情けない。結局、また失敗だった。また格好悪い姿を晒してしまった。馬鹿みたいだ。


「なぁ……あんたら三人のうち、誰でも、良い……。これを、弟に、ウィリアム・ウェザリントンに……渡してくれないか……?」


 ミズガルズがそっと受け取ったのはペンダントだった。鮮やかな桃色の瑪瑙で出来ているようだ。桃色の中に混ざる白色の縞模様が美しい。それはかつてウィリアムが偶然鉱山近くで拾って来た原石を、ジョナサンが職人に頼んで加工してもらった一品であった。完成したものを見せた時の、ウィリアムの嬉しそうな顔を今でもジョナサンは思い出せた。同じものをウィリアムのためにも作ってやったが、彼は今も大切に持ってくれているだろうか。

 そこまで考えて、ジョナサンは自分が涙を流していることに初めて気付いた。温かいものが頬を伝って流れ落ちていく。涙と一緒に今までの罪も洗われてくれれば良いのに。ふと、そんなことまで感じてしまった。


「……馬鹿だな、俺は、本当に。ウィリアムに、太陽に気付けなかった……。俺は、馬鹿だ……」


 視界が暗い。闇に塗り潰されていく。段々と呼び掛ける声も聴こえなくなってきた。静かだ。静かな世界だ。何故だか、心地よい。どうしてか、やっとゆっくり出来る気がする。だが、やはり最後に一目でも良いから、弟に会いたかった。


「……ウィリ、アム……」


 言葉はそれきり。開かれた瞳はもう何も映していない。脈など、測る必要も無かった。ジョナサン・ウェザリントンが若い命を散らせて、逝ってしまったのは、その場の誰の目にも明白だったのだから。

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