第22話 いってらっしゃい、無敵の騎士
スタンピードから、十日が過ぎた。
町の外では、朝から金槌の音が響いている。
壊された柵には新しい木材が打ちつけられ、踏み荒らされた街道では、騎士と住民が一緒になって土をならしていた。
腕を吊った騎士の横を、子どもたちが駆け抜ける。
「黄金の雨だー!」
木の枝を空へ向けた少年たちが、口々に光の音を真似しながら、地面の石を魔物に見立てて倒していく。
近くで見ていた騎士は、包帯の巻かれた頬を緩めた。
家を失った者はいる。
畑を荒らされた者も、しばらく剣を握れない者もいた。
それでも葬列は、一度も町を通らなかった。
人々は今日もパンを焼き、明日のために壊れたものを直している。
その光景を、ホムホムは屋敷の門前から眺めていた。
磨き上げられた銀色の鎧。
腰には主人公の剣。
背中には、旅立ちのためにまとめられた小さな荷物がある。
中には屋敷の料理人や侍女たちから渡されたパンが、少し多めに詰められていた。
「三か月分には足りません」
「というか十日も保たないだろ、それ」
隣に立つユークスが、赤くなった目を擦りながら言った。
「では、途中で新しいパンを獲得します」
「獲得って言うなよ。ちゃんともらえ」
「完璧に理解しました」
「それ、絶対わかってないやつだろ」
ユークスは口を尖らせたが、それ以上は何も言わなかった。
ホムホムの鎧へ手を伸ばし、胸当ての端を拳で軽く叩く。
「次に会う時は、もっと強くなってるからな」
「鎧に傷をつけられるほどでしょうか」
「それより強くだ!」
「それは危険です。冷静ではいられません」
「なんでだよ!」
いつものように声を上げたユークスは、途中で顔を伏せた。
握った拳が震えている。
「……絶対、また来いよ」
「はい」
ホムホムは迷わず答えた。
「ユークスが鎧に傷をつけられるようになったか、確認に来ます」
「そこは忘れろよ……」
ユークスが袖で顔を拭う。
そして、屋敷の扉が開いた。
アルルバとカテリーナが、並んで歩いてくる。
アルルバの腕には、まだ包帯が巻かれていた。
それでも背筋は真っ直ぐで、戦場へ立っていた時と変わらない。
「ホムホム」
呼ばれた少女は、二人へ向き直った。
アルルバはホムホムの姿をしばらく見つめてから、ゆっくりとうなずく。
「ゼグラント家は、これからもそなたの身元を保証する。この地へ戻りたくなった時は、いつでも戻ってくるといい」
「私は、戻ってもよいのですか」
「当然だ。ここは一度騎士となった者を、任が終わった程度で締め出すような家ではない」
アルルバはそう言うと、娘の肩へ手を置いた。
この先は、カテリーナ自身が伝えるべき言葉だった。
「ホムホム様。少し、よろしいでしょうか」
「はい。少しと言わず、いつでもどんとこいです」
二人は門から少し離れた場所へ歩いた。
修復されたばかりの柵の向こうでは、秋を迎える前の小麦が風に揺れている。
カテリーナは胸元へ手を添えた。
そこには、ホムホムが縫ったハンカチがある。
不格好なパンと、小麦と、大きすぎる剣。
あの日から、彼女は一度もそれを手放していなかった。
「私はもう、大丈夫です」
カテリーナが決意を宿した表情で、そう言った。
ホムホムは、すぐには答えなかった。
赤い瞳で、カテリーナの顔をじっと見つめている。
「以前も、カテリーナは同じことを言いました」
「ええ。あの時は、誰にも心配をかけたくなくて、そう言いました。自分さえ我慢すればよいのだと、思っていたのです」
小麦畑を渡ってきた風が、二人の髪を揺らす。
「今も、怖いことはあります。学園へ行けば、知らない人たちの中で失敗するかもしれません。カルア様と、また気持ちがすれ違うこともあるでしょう」
それでも、カテリーナの顔には穏やかな笑みがあった。
「けれど私は、もう自分の未来をなかったことにはしません。怖くても、迷っても、自分の足で前へ進みます」
ホムホムの赤い瞳が、静かに明滅する。
カテリーナの言葉に、嘘はない。
そこにいるのは、何も望まないことで傷つくのを避けていた少女ではなかった。
そして、カテリーナは姿勢を正した。
「ですから、ホムホム様。本日をもって、あなたを私付きの騎士の任から解きます」
「私は、カテリーナの騎士ではなくなるのですか」
「そうですね。……確かに、私のそばだけを守る騎士では、なくなります」
カテリーナの声が、わずかに震えている。
その言葉は大切な人に向けた別れの言葉でもあり、自らの力で未来を歩むと決めた、決意の表明でもあるからだ。
「本当は、ずっとそばにいていただきたいです。学園へも一緒に来ていただいて、困った時には助けてほしい。そう願ってしまう私もいます」
目元に浮かんだ涙を、カテリーナは隠さなかった。
だが、もう二度と俯くことはしない。
だってそれは、自らを信じてくれた全てと、この最高の騎士の旅立ちへ向けるものではないから。
「ですが、私はホムホム様から勇気をいただきました。今度は、その勇気を必要としている誰かのもとへ、あなたに行ってほしいのです」
カテリーナは、小さな布包みを取り出した。
開かれた布の中には、深い赤色のリボンが収められている。
端にはゼグラント辺境伯家の紋章が、銀糸で丁寧に刺繍されていた。
「少し、屈んでくださいませんか」
ホムホムは素直に膝を曲げた。
「これは配備ですか」
「いいえ」
カテリーナは笑いながら、流したままだった薄金色の髪を一房だけ手に取った。
「旅立つ騎士への、贈り物です」
柔らかな髪へリボンが巻かれ、最後にきゅっと結ばれる。
カテリーナは形を整えると、少し離れてその姿を眺めた。
「この紋章を見れば、ゼグラント家があなたの身元を保証していると分かります。もう、何度も名乗らなくても大丈夫なのです」
「ホムホムです、と言わなくてもよいのですか」
「挨拶としては、これからも必要だと思います」
やっぱり必要なのか~、なんだか難しい、と思いながらもホムホムは納得する。
そして髪へと手を伸ばし、結ばれたリボンへ触れた。
「カテリーナがいます」
その言葉に、カテリーナの目から一粒だけ涙が落ちた。
「はい。どこへ行っても、少しくらいは」
カテリーナは自分の胸元にあるハンカチを握る。
「私はこれを持って、学園へ行きます。ですからホムホム様も、そのリボンを持って旅をしてください」
そして……、とカテリーナは続けた。
「まだどこかに、明日を諦めかけている人がいるのなら、その人のもとへ行ってください」
カテリーナは涙を流したまま、晴れやかに笑う。
いままで助けてくれてありがとう。
私の心を支えてくれてありがとう。
みんなの未来を守ってくれて、ありがとう、と。
「……ですから。私の信じた無敵の騎士に、その人たちの未来も救ってほしいと、そう願っています」
ホムホムは胸の前へ拳を当てた。
それは、かつて主君の命令を受けた時と同じ姿勢だった。
「御命令、確かに承りました」
けれど続いた声は、あの時よりもずっと柔らかい。
そしていままでのどんな姿よりも、人間らしい笑顔だった。
「カテリーナ。……あなたが前へ進むことは、とても嬉しいです。ですが、ここを離れることを考えると、胸が少し苦しくなります」
「それはきっと、寂しいということです」
「そう、ですか。……これが、寂しいという想いなのですね」
ホムホムは新しく知った言葉を、胸の中へしまうように繰り返した。
「人は、嬉しい時にも苦しくなるのですね。こんな感情を、私は制御できる気がしません」
「ええ。とても不便でしょう?」
「いいえ」
ホムホムは首を横へ振った。
「とても、良いものです。だって、これはあなたという存在が、私に与えてくれた、人の想いですから……」
門の前へ戻ると、アルルバとユークスが待っていた。
屋敷の使用人や騎士たちも、少し離れた場所から少女を見送っている。
ホムホムは一人ずつ顔を見た。
ここにはもう、明日を諦めている人はいない。
だから、次へ行くことができる。
ホムホムは門の外へ一歩踏み出した。
古い騎士から受け継いだ剣。
この時代の人々から与えられた鎧。
薄金色の髪には、カテリーナが結んだ赤いリボン。
そして胸の中には、初めて仕えた主君から与えられた想い。
「行ってきます、カテリーナ」
カテリーナは胸元のハンカチを握り、まっすぐに顔を上げた。
「はい。いってらっしゃいませ、私の信じた無敵の騎士」
ホムホムは片手を上げ、歩き出した。
朝の風が小麦畑を渡り、髪に結ばれたリボンを揺らす。
まだどこかで、明日を諦めかけている誰かのもとへ。
無敵の騎士は、再び旅を始めた。
というわけで、これにて一章完結となります!
いかがでしたでしょうか?
もし楽しんでいただけたのなら、作者冥利につきます!
次回からは、二章へと向かう準備をしようと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!




