96.俺の信念であり、誇りだった
「理由を聞いてもいいだろうか?」男は、俺が断ることを、ある程度予想していたようだ。全く動揺せずに、そう聞いてきた。
「ああ……別に、断る理由はないんだけどね。ただ、俺は今、こいつとの契約を優先させてもらっている」
俺は、聖女の方を見て、肩を竦めた。
聖女は、ビクッと肩を震わせた。俺の言葉が、彼女を敵に回す可能性もあると察したのだろう。だが、それ以上に、俺の返答に、驚きを隠せないようだった。
(きっと、今の状況を考えれば、裏切るのが一番だと……)
聖女は、そう考えているに違いない。
確かに、今の状況を考えれば、俺が裏切るのは、合理的な判断だ。敵対する勢力を減らし、安全な場所を確保できる。
まあ、俺自身がすでに悪名高い暗殺者だから、今さら評判を気にする必要もないのだが……。
それに、もしここで聖女を裏切った場合、その罪を全て吸血鬼になすりつけることもできる。成功率は非常に高いだろう。そもそも、この場所に誰が来たのか、誰も知らない。吸血鬼と暗殺者が一緒に姿を消せば、教会は、聖女が闇の勢力と戦い、壮絶な最期を遂げたとでも発表するだろう。
……いや、さすがにそれはまずいか。
俺は、最強の暗殺者と呼ばれるまでになった。それは、単に腕が立つというだけでなく、依頼人の信頼を裏切らないからだ。
一度引き受けた依頼は、必ず遂行する。
それが、俺の信念であり、誇りだった。
俺の言葉を聞いた男たちは、少しだけ驚いたようだったが、すぐに理解を示してくれた。……ように見えた。オシアーナは、相変わらず無表情で、何を考えているのかさっぱりわからない。聖女は、複雑そうな表情をしているが、何も言わない。そして、男は……呆れたような顔をしている。
「……なるほど、わかった。だが、もし君が我々の仲間になれば、そんな危険な契約を続ける必要もなくなるのだがね」
「そうだな……ところで、一つ聞いてもいいか? 君たちは、ドラゴンの呪いを解く方法を知っているか?」
「ドラゴンの……呪い?」
男は、怪訝そうな顔をする。俺の顔をじっと見つめ、嘘をついていないことを確認すると、ため息をついた。
「ライト君、君が過去に何があったのかは知らないが……我々が知る限り、ドラゴンが他の種族に呪いをかけるなどということは、あり得ない。彼らは、自分たちを非常に高尚な存在だと考えている。そのような下劣な手段を使うことなど……」
「それは、俺も知ってるよ……多分、あいつが、ちょっとだけ、心が狭いだけなんだ……」
俺は、苦笑しながら、自分の腕を見た。呪印は、すでに肘の近くまで広がっている。このまま心臓まで達したら……。
「……君の要求は、非常に難しい。ドラゴンがかけた呪いを解く方法など、聞いたことがない。だが、もし時間があれば……」
「俺は、あと二年しかない」
俺は、ゆっくりと広がっていく呪印を見ながら、そう言った。
ロアによると、ドラゴンの呪いを受けた者は、長くても三年しか生きられないらしい。
二年で、呪いを解く方法を見つけるのは、不可能だろう。男も、そのことを理解しているようだ。
「……では、君は、やはり我々の誘いを断るというのか?」
「……君たちは、自分たちの仲間が、命令に背いて、他の種族と勝手に手を組むことを許すのか?」
俺は、ズボンの埃を払いながら、立ち上がった。
「……!」
その様子を見たオシアーナも、杖を突いて立ち上がる。
「もう一体、遠く離れた場所に隠れているわ」
オシアーナは、【精神感応】で、そう伝えてきた。
「そっちは任せた」
場の空気は、一変した。ピリピリとした緊張感が、辺りを包み込む。
男は、俺を試しているのだ。もし、俺が仲間になる意思を示せば、話はそこで終わりだろう。だが、もし断れば……。
男は、突然、俺に向かって突進してきた。どこから取り出したのか、巨大な剣を振りかざしている。
「おいおい……暗殺者に続いて、今度は大剣かよ。君たち、本当に、やりたい放題だな……!」
男は、漆黒の大剣を軽々と振り回している。禍々しいオーラを纏ったその剣は、一目で只者ではないとわかる。
俺は、聖女を抱え上げると、オシアーナと共に後退し、男の攻撃をかわした。二人を安全な場所に下ろすと、異次元ポケットから聖剣を取り出した。
「……!」
男の表情が、一瞬にして固まった。吸血鬼にとって、聖剣は天敵ともいえる存在だ。その力は、吸血鬼の再生能力を無効化し、かすり傷一つで致命傷になりかねない。
「闇の力を持つ者が、なぜそんなもの……!?」
「使えるものは、何でも使う主義なだけだ」
……まずい。大剣への対処法を、すっかり忘れていた。
男は、俺に近づくことを躊躇している。俺もまた、不用意に突っ込むわけにはいかない。
こうして、戦いは膠着状態に陥った。
(……やっかいだな)
俺は、内心、焦っていた。
一方、オシアーナは、余裕綽々といった様子だ。相手の吸血鬼は、姿を隠していたようだが、オシアーナには通用しなかったようだ。あっさりと居場所を突き止められ、広場の中央へと引きずり出されている。




