玖 流李、偉門の信頼を見る
結局、双園への使いは欧練よりもさらに柄の悪い、そして縦も横も偉門の二倍はありそうな無口な男に託された。恐らくは欧練と同じく偉門の昔馴染みなのだろう。
それよりずっと先に、裴敦は隼王府とやらに出立している。流李は場所を知らないが、恐らくは双園よりは近いのだろう。
その頃になって、ようやく寝ぼけ眼を擦りながら初老の薬師が幕舎にやって来た。流李、というか娘がいることに驚いたようだが、偉門に睨まれると無言で流李の左肩と右足の具合を見る。
「おい、お前が脱出してきた場所、正確にわかるか?」
膏薬を塗って貰い、やっと人心地付いていた流李は、その質問に答えるのが一瞬遅れた。
「どうなんだ?」
「あ、はい! 暗い内は無理ですが、場所は大体わかりますし、私が落ちた跡も残っていると思いますから」
「朝になるか……」
なるほど翠燕の救出を考えているらしい。偉門はしばらく逡巡しているようだったが、思い切ったように、
「よし、お前もう寝ろ。いや、飯食ってから寝ろ」
人を指さしながら命令する偉門だったが、背の高さもあって子供がだだをこねているように見えるから、あまり腹も立たない。それともこれは疲れているせいなのか。
流李を睡魔が襲う。
しかし、流李はこのまま目を閉じるわけにはいかなかった。というか、このままで眠るに眠れない心配事が流李にはあるのだ。
「でよ、兄貴。一体どうするつもりなんだ?」
未だ幕舎に残っていた欧練が、偉門に尋ねる。
「どうやって三千で三万の騎馬を抑えるんだ? まさか一斉に突撃して、後は野となれ山となれじゃねぇだろうな」
「やっぱりまずいか?」
流李の心配事はますます大きくなっていく。
そう、いったい三千でどうやってあの圧倒的な鉄騎を抑えればいいのか。流李は武将ではないので具体的なことはわからないが、あの迫り来る鉄騎の光景は目に焼き付いている。
「生き残るんだろう? こりゃどう考えても策がいるぞ」
まるで今まで策を使ったことがないような欧練の口ぶりに、流李はどんどん眠れなくなっていく。
「じゃあ、仕方がねぇ。兵ども騙して穴でも掘らせるか。あと砦だな」
「兄貴、何言ってんだ?」
「別に勝たなくてもいいんだ。それなら相手の嫌がることをすればいい……って翠燕が言っていたような気がする」
「どういうことだ?」
「騎馬の最大の脅威はその速さだ。と言うことは自由に走り回らせないようにすればいいとは思わないか?」
これはもしかしたら、頭がいいと思われたいのだろうか。
流李は他人事のようにそう思ったが、偉門の言葉の向こうに、あの生意気な翠燕の猫目を見たような気がして――
――流李の瞼は落ちた。
どれほど眠ったのか。
目を覚ました時に、流李がまず考えたのはそれだった。目を覚ますたびに天井が変わっているのにはもう慣れていた。雲の形は一つの形で留まることがないからだ。
幕舎のたるんだ布とはいえ、天井がある場所で眠るのは随分久しぶりだった。
左肩と右足が痛む。一晩経って腫れてきているのかも知れない。包帯の感触があるから、治療はしてくれているようだ。寝台に半身を起こして周囲を見渡すと水差しと、一切れの布がある。さらに首を巡らせてみると、傍らに杖が置いてあった。
布は腕を吊すための物だと考えると、怪我人を安静にさせておこうという発想はないらしい。それならいっそのこと槍を用意して欲しかった、などと思いながら流李は寝台を降りる。反射的に調べてみるが着衣に乱れはなかった。
そこで思い出した。翠燕を助けに行かねばならない。安静にしている場合ではなかった。腕を吊し、杖を手にとって幕舎を出る。幕舎の中に他に人はいなかった。
夜は明けていたが、空気は身を切るように冷たい。まだ朝と呼んでも差し支えない時間らしい。息も白い。痛みを無視して偉門の姿を探す。が、そう簡単に見つかるはずもない。
意を決して、流李は見張り台のある丘の上へと登り始める。高いところから見渡せばきっと見つかるだろう。
そんな流李の考えは、別な形で的を射ていた。丘の上に偉門が居たからである。櫓の下に立って、班等魏礪が現れる方向をじっと睨んでいる。流李が来たことには気付いたようだが、視線を向けてくることはなかった。
「まだ寝てていいぞ。飯は食ったか?」
何だかそればかり聞いてくるような気がする。
「将軍、そんなことより翠燕は?」
「もう行かせた。明るくなってすぐにな。が、入れなかった。お前の言う“不思議な力”とやらがあるらしい。どうやら塞がれたようだな」
「場所が違って……」
「残念だが、お前の落ちてきた跡は間違えようがない。俺も行ったが場所に間違いはないな。城壁の上に登って、城の中に誰もいないのを確認できたのが成果と言えば成果か」
そこまでやってくれているかと、有り難くも思ったが、逆に言うと翠燕を救出するのは非常に困難であると保証されてしまったような物だ。
「おい、流李とか言ったか。妙な感じがしないか?」
「妙……ですか、将軍」
「将軍は……俺の字は仲大だ」
いきなり自己紹介された。つまりは将軍と呼ぶなと言うことか。
「隼王府に行った方が裴敦公嵯。逃げろと言った方が馬欧練究志」
ついでに部下の紹介までしてくれた。
「で、仲大殿。妙とは?」
「これは気分の問題なんだがな。どうも誰かの思うがままに操られている気がする。俺は馬鹿だからよくこういう事をされるんだが、それと似ている気がする」
「はぁ……」
何と答えればよいものか。
「お前が都合良く逃げて来られてのも甘いような気がする。が、お前のことは向こうにしてみれば予想外だったはずだ。じゃあ俺たちが今有利なのかって言うとそうでもない。邪仙が絡んでるだったな」
「はい……仲大殿はそういったのとは面識が?」
「俺はねぇ。が、翠燕を助けたのが仙人だって言うじゃねぇか。じゃあ邪仙だって信じないわけにもいくまいよ。となると、俺たちがこうして右往左往してるのを雲に乗って見物している奴が居ても不思議はねぇ」
思わず流李は天を仰ぎ見る。
「……が、そんなに焦る必要はねぇ。どんな奴が絵を描いているのかは知らねぇが、俺たちがここで班等魏礪を食い止めるなんて絵は描いてねぇはずだ」
偉門はそこで初めて流李を見た。
「翠燕も今は誰かの絵図面通りに動いてるみてぇだが、あの女はそんなに簡単じゃねぇ。だから向こうは向こうで勝手にやらせる。俺は馬鹿だからやんねぇけど、最後には帳尻も合わせてくるだろう」
つまりは翠燕を放っておくと言うことか。一瞬反発しかけた流李だったが、偉門の浮かべるいささか品のない笑みを見て、言葉の矛を収めた。
なぜなら偉門の目に浮かぶのは、信頼。
おおよそ、天華の地で女性に向けられたことのない感情がそこにはあったからだ。




