小躍りさせる
29. 小躍りさせる
事務所に戻って報告書を上役に書いた。これまでのように、もう創作の苦労は要らない。真実を正直に述べればよいだけだから楽なもので、フィクションではなくドキュメンタリータッチになった。訪問した部署毎にA4一枚づつに纏めた。「序でに」お礼の積りで、報告書の写しをS工業の安井親分へもファクスで送信した。
ずっと後になって判ったのだが、親分も自分の上役へ営業報告書を提出しないといけなかったのだ。筆者と行動を共にした日は、親分は手抜き工事が出来た。何故なら、自分の報告用紙に「昨日(或いは、本日)の営業報告:添付の如し」と一行だけ書いて、その裏に筆者からのファックス数枚をホッチキス止めしたから、たった十秒で仕事が片付いた。
後日そんな親分の手抜き工事のクセを知った筆者は、手助けしてやろうと思った。安井親分の上役が読めば「小躍りして歓ぶ」(=親分の言葉によれば)表現を工夫して、報告書を作成するようにしたのである。その意味では又「創作が挿入」された:(120万円と言う代わりに)来月380万円の受注が期待出来ますーーー、という具合に書いてやったのだ。
二割のマージンが懐に入るのだから、欲張りのS工業の上役にすればウハウハで、当然安井親分も上役からの受けが良くなる筈だ。筆者がたぶらかしの術に長じるようになったのは、この辺りが発端である。
話を戻す:さて、二日目になって、またもや 「ウッス!」の呪文で門番を痺れさせて構内へ入り込み、一緒にあちこちで一席ぶって回った。翌々日も、その次の日も繰り返した。親分も「トン五万円」の決まりきった仕事に飽いていたのか、それとも時間的に案外ヒマだったのかも知れない。
隅々まで見ると、造船所構内は広い。何故なら部の中には沢山の課があり、課の中には係があり、係はニ~三班に分かれ、一つの班には製品を紹介すべき班長や職長がそれぞれに居たからである。締め付けられるべき太いボルトは、けつまづく程あちこちにゴロゴロあった。
訪問を繰り返して関係部署を回り切るのに殆ど一ケ月を要した時、「流石に大きな工場だーー」と、感じ入った。これは新たな定理を筆者に教えた:
販売方程式解法の定理2:
「物を売るのに大手工場一つをやっておれば、他の中小工場(=中小企業)はやらなくてもよいーーー位だ。肝心なのは、構内を隅々まで熟知している親分の手下に付き、親分・子分の愛を育むのが一番」
何かを学んだ時この好機をどう生かすか、これが飛躍の鍵である。先の定理は、後年起業して資金不足な状態でスタートした時に、特定の大工場へ集中する効率的な営業活動を展開する上で役立った。お陰で起業するや否や会社は急速に基礎を固めて成長出来たからだ。
今でも 「重点工場政策」と称して新たなアイデアを盛り込んで進化させている。「ウッス!」の実体験は、図書館で何冊もの本を読むより役立ったのである。
そうする内にも、PR済みの部署から 「アノ名調子をもう一席聞かせてくれ」とか、「実際に機械の作動を見たい」というお声掛りが向こうから出て来て、同じ部署を再訪する機会も増えた。こういうのは有望という訳になる。2ケ月もすると、信じられない事だったが、訪問した中からぼつぼつ注文が決る気配を見せて来た。
ついに最初の一台数百万円が受注となった時一番驚いたのが、「何処ぞに買うバカがーー」と言っていた安井親分であった。とても信じられんと言う風に、頭を振ってうめいた:
「世の中には、案外バカがいるもんだーーー。同じ値段でトン五万円が、百トンも買えるじゃないか!」
二番目に驚いたのは、(こんなもん、売れる筈が無い)と内心で密かに確信していた筆者。首をひねってうめいた:
「世の中は、案外たぶらかし易いーーー」