メダカの学校
28. メダカの学校
鉄材納入業者の社員である安井親分は顔が利いたから、A重工業の広大な工場構内を隅々まで知っており、自由に動き回われた。ボルト作業のある部署へ、子分よろしく筆者を引き連れて行ったのである。
訪れた最初の部署で、筆者は前夜の猛勉強の成果を披露した。難しい説明は全て省き、技術屋が好きな数式の部分も飛ばして、易しい事ばかり語った。「トルク」とは言わずに「ねじる力」とか、「締め付け力」と言ってカタカナは避けた。
驚いた事に、相手は説明の易しさに感動してか案外熱心に耳を傾けたのである。ついには、身を乗り出して聞きほれ、鋭い技術質問さえ浴びせ掛けた。
腰が抜ける程の製品の値段を知らないから、相手は知らぬが仏で呑気なものだ。せいぜい3万円くらいと思っているのが、こっちには手に取るように分かる。300万円という値段を初回は言わないことにした。
予習がちゃんと行き届いていたから、相手からの質問へ打てば響くが如く明快に答えたのは言うまでもない。いや、本当を言えば知識に曖昧な部分があって、ウソも大分混ぜた。ウソを本当らしく見せる為に、はったりを利かせて断定的に答えたが、良心の呵責を感じるほどではなかった。
この体験から、入構時の「ウッス!」のたぶらかしの呪文も考え合わせて、筆者は実用的な定理を一つ発見した。
◎販売方程式解法の定理1:「ウソを付くなら、いっそ徹底している方が良い。知らなくてうろ覚えで自信がなくても、曖昧な言い方をせず断定的に物を言え!その方が騙しやすい」
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横に一緒に座って、客の鋭い質問や筆者の受け答えの一部始終を聴いていた安井親分は驚いた。「どこぞのバカが、こんな高い物を買うかいなーーー」と信じ込んでいたのに、「構内には、ひょっとしたら他にも未だ、話を聞くバカが居るかも知れんな」と、思い直した。この部署だけで終わりにする積りだったのに、親分は急きょ考えを変更した。
親分は、もう一人のバカ (=彼の内心の言葉を借りると)が居そうな、別の部署へ筆者を引き連れて行って、再度しゃべらせたのである。こっちは一番目の時より滑らかに同じ話を繰り返して、もっと確定的にウソをついた。 良心というのはウソを繰り返している内に麻痺してしまうから、こんな時には便利だ。
その後も次々回って、四~五部署目くらいになると悪事もやり慣れる。祭りの時の夜店のオッサンみたいに手振り身振りも混ぜてやるから、こっちの説明は熱を帯び、混ぜるウソはついにリアルになった。嘘も百っぺんつけば、本当になる。
何せ首になる寸前で崖っぷちであったから、こっちには後が無い。死刑にならない程度なら、何でもやるという心境。ウソでも騙しでも相手への説得が過熱するのは当然で、過熱の温度は軽く千度を超えていた。
そんな切羽詰まった調子だったが、他人が見る目は少し違ったようだ。筆者の過熱振りを眺めて、安井親分は見直したのである: 近年珍しく高温で熱のある男や。これから冬場に向けて、一緒におれば暖房機器が要らんなーーー。
夕刻になり最後となった部署から通路へ一緒に出ながら、安井親分は低い声でささやいた:
「今日はご苦労はんやったな。 アンタは、よお頑張ったわ、感心や」
「ーーーー?」
「ほんまゆうたら(=本当を言ったら)、最初アンタをアホ(=ばか)やと思うとったんや。だけど、ワシはなーーー、アンタの熱意を見ていて気持ちがええんや。好きになったよ」
女からは愛されないのに、男から愛されたのは初めてであった。
こっちも感動の余りお返しに、「実は、私も貴方を心からーーー」と目をうるませながら、暖かい息に乗せてささやき返した。こうして、工場構内で親分・子分の師弟関係は怪しげな愛へと発展した。何よりの証拠に、別れ際に親分は男らしさを見せて、こう言い放ったのである:
「なあ、構内には関係ありそうな部署が、他にまだ沢山あるんや。明日も一緒に回ろうや。待ち合わせは、通用門前に今日と同じ一時半やで!」
親分と別れて事務所へ車で戻りながら、沈み行く秋の赤い夕陽を車窓から眺めて、「夜明けが近い」と感じた。車の中だからスキップを踏むのは止め、子供の頃好きだった「メダカ~の学校♪」を口ずさんだ。




