見上げた人物
22.見上げた人物
会社には筆者を入れて販売員が7-8名居た。粗末な剝げちょろけのカバンしか持っていないくせに、彼らは月間で平均2-3セットの製品を機械工場などへ販売していた。これが筆者の目には、マカ不思議に思えた。どうやって売っているのか不審であった。「安物のカバン」と見えたのはこっちのヒガ目であったろうか。
そんな同僚の中で筆者は最下位。最下位と順位付けをすると、間違えてでも1セット位は売れたのかと思うかも知れないが、パーフェクトにゼロ。延々とゼロが毎月続き、やがて10ケ月目に入りつつあった。
数ヶ月に1セットでも売るなら、「不良なアカンタレ!」と言われても、まだ救いがある。が、10ケ月間「坊主」(=業界用語で売上ゼロの尊敬語だが、蔑称だという見方もある)は犯罪で、安月給とはいえ給料泥棒である。
世の中にはたまに呑気な客もあって、売ろうと思わなくても、間違えて勝手に売れる場合もあるのだから、他の営業員らは筆者の「完全なるゼロ」を不思議がった。これは筆者が長期間に渡って、絶対に売れないように人知れず特殊な工夫をしているせいだと同僚達は考えた。そんな工夫は常人には到底出来ないから相当の人物と見られて、彼らはすれ違う時は何時も一歩下がって筆者へ静かに黙礼を送った。売り上げゼロも道を究めると人の尊敬を呼ぶものだが、無論悪いのは筆者ではなく図書館のせいだった。
流石にその頃になると何時クビになるかと内心ビクビクしながら、伏目勝ちに日を送った。夏の終わりも近い夕暮れ、図書館から駐車場へ戻る薄暗くなった帰り道を歩きながら、足取りは重く気分は寒い。上を見れば空は暗く下を見ると侘しいが、外に見るべき処も無かった。
その後も「売れ」なかった。いや、毎日ドライブと図書館へ出勤だから、正しくは「売らなかった」と言うべきか。誤魔化しの営業報告書を書き続けたが、そんな筆者を一年近くも辛抱強く飼い続けてくれた当時の社長は、実に忍耐強く見上げた人物である。と、今も見上げている位で、彼の人の忍耐無くして今の筆者は存在しない。
うじうじと筆者は何故一所懸命にならなかったろうか? 不向きな職業だとしても、覚悟を決めて飛び込んだ筈であった。今になって偉そうな事を言っても、根は矢張り根性の無いアカンタレで、今思い出しても恥ずかしいと思うばかりである。人生の最大の恥部であるから、読者はこの部分を完全に忘却するか、どうぞ読まなかった事にして欲しい。