四話 私が人間じゃなかったら
黒いコートの男は、動かなかった。
地下通路の奥。
崩れた非常灯の赤を背負ったまま、ただそこに立っている。
顔は見えない。
けれど。
“視線”だけは分かった。
真っ直ぐ。
少女だけを見ていた。
掃除屋たちが再び銃を構える。
「対象を優先確保」
「抵抗した場合は四肢を破壊しろ」
冷たい声。
まるで人間を扱っていない。
グロウは舌打ちし、少女の腕を強く引いた。
グロウ「行くぞ!!」
少女は一瞬だけ抵抗した。
黒コートの男を見たまま。
まるで。
そこに置いてきた何かを見つけたみたいに。
銃声。
火花。
弾丸が鉄柱を抉る。
グロウは少女を庇いながら走った。
地下通路は迷路みたいに入り組んでいる。
だが探索屋時代に何度も通った。
地形は頭に入っている。
左。
崩落通路。
そこを抜ければ旧搬送路へ出られる。
グロウ「こっちだ!!」
狭い亀裂へ身体を滑り込ませる。
少女も続く。
直後、後ろで掃除屋の一人が叫んだ。
「待て!!」
だが通路が狭すぎる。
重装備の掃除屋は追えない。
グロウたちは闇の奥へ転がり込んだ。
静寂。
遠くで怒号が響いている。
グロウは壁へ身体を預け、大きく息を吐いた。
肺が痛い。
霧蝕が進んでいる。
咳。
赤黒い血。
少女の目が揺れる。
???「……ごめん」
グロウ「なんでお前が謝る」
???「私のせいだから」
グロウ「知らねえよ」
グロウは乱暴に口元を拭った。
グロウ「それより、あいつ誰だ」
少女は黙る。
長い沈黙。
地下水の滴る音だけが響く。
やがて彼女は、小さく呟いた。
???「……死んだ人」
グロウ「は?」
???「死んだはずだったの」
グロウは眉をひそめる。
少女の顔色はまだ悪い。
さっきまでの余裕が消えていた。
あの男を見た瞬間から。
グロウ「お前、何者なんだ」
また同じ質問だった。
けれど今度の少女は、少しだけ答えようとしていた。
???「……私ね」
その時。
通路の奥で、何かが軋んだ。
金属音。
グロウが即座に短刀を抜く。
だが現れたのは侵食体ではなかった。
古びた搬送用リフト。
停止していたはずのそれが、勝手に動き始めていた。
ギギギ、と鈍い音を立てながら。
下層へ。
暗闇のさらに奥へ。
少女の瞳が揺れる。
???「……うそ」
グロウ「なんだ」
???「動いてる……」
グロウ「動いちゃまずいのか」
少女は答えない。
ただ。
そのリフトを見つめる目が、妙に怯えていた。
まるで。
“開いてはいけない扉”を見ているみたいに。
リフトの扉がゆっくり開く。
中は暗い。
だが。
奥に、灯りが見えた。
青白い光。
古い電灯とは違う。
もっと柔らかい。
呼吸してるみたいな光。
グロウは警戒しながら近づく。
その瞬間。
少女がグロウの袖を掴んだ。
???「……行かないで」
初めてだった。
彼女がこんな弱い声を出したのは。
グロウは少し驚く。
少女は俯いたまま続ける。
???「そこ、駄目」
グロウ「理由は」
???「……戻れなくなる」
グロウは苦笑した。
グロウ「元からまともな人生じゃねえよ」
???「違うの」
少女は強く首を振る。
???「本当に、戻れなくなるの」
その声は震えていた。
グロウはしばらく彼女を見る。
この少女はずっと、何かを知っている。
だが全部は話さない。
いや。
話せないのかもしれない。
その時だった。
遠くで再び銃声が響く。
掃除屋たちが近づいてきている。
グロウは舌打ちした。
グロウ「選んでる暇ねえな」
少女の手を取る。
グロウ「行くぞ」
???「……っ」
少女は抵抗しなかった。
ただ。
リフトへ乗る直前。
もう一度だけ後ろを見た。
暗い通路。
その奥。
誰もいないはずの闇の中に。
一瞬だけ。
黒コートの男の影が立っていた気がした。
リフトの扉が閉まる。
重い振動。
下降。
地下深く。
深く。
深く。
アーテルの底へ。
沈黙の中。
グロウは壁へ寄りかかる。
少女は俯いたままだった。
やがて彼女が小さく呟く。
???「……ねえ」
グロウ「なんだ」
???「もし私が、“人間じゃなかった”らどうする?」
グロウは少し考える。
それから短く答えた。
グロウ「別に」
少女が顔を上げる。
グロウは続けた。
グロウ「妹を助けられるなら、神様でも化け物でも利用する」
その言葉。
少女はなぜか、少し傷ついたみたいに笑った。
???「……そっか」
グロウは気づかなかった。
その時。
リフトの最下層表示が、“存在しない階層番号”を示していたことに。
つづく




