第三十七話 哀れな者
「姫様、ちょっと待った!」
扉を開こうとする姫様の手を、俺は慌てて掴んで止めた。
突然のことに、彼女はぎょっと目を見開く。
「何ですの、いったい!」
「この扉、どうにも嫌な感じがします。開いたら何か出てくるかもしれませんよ」
『そうじゃの。扉から妙な魔力が発せられておる。触れぬ方が良かろう』
俺に続いて、リーフォルスもまた注意を促した。
やはり、扉の向こうに良くないものを感じ取ったらしい。
彼女の強い警告を受けて、姫様はスッと一歩下がった。
それを見たガディウスさんは、おいおいと困った顔をする。
「そんなこと言ってもな。この場にじっとしてたら危ないぜ、早く避難しねえと」
「大丈夫じゃないですか? だって、地下への入り口はあんなに狭いんですよ。図体の大きな魔物たちがそうそう入ってこれませんよ」
「言われてみれば、そうねぇ」
ポンッと手をつくリーシャさんたち。
地下洞窟自体はそれなりに広いが、そこへと続く通路は大人一人が通り抜けるのがやっとだ。
とてもあのドラゴンやオーガが入ってこられる大きさではない。
他にも入り口があるのかもしれないが、それにしたってそこまで大きくはないだろう。
そんなものがあるなら、とっくの昔に有名になっている。
「急いで避難する必要、ないですよね」
「あ、ああ……そうだな。ここまでくれば、もう安全か」
ガディウスさんの言葉が、嫌に遅れた。
痛いところを突かれて、すぐに反応できずにいるかのようだ。
たちまちリーシャさんたちは、彼に疑いの目を向ける。
「何か怪しいわね……」
「胡散臭い」
「おいおい、ちょっと待ってくれよ。なぁ、姫様も何か言ってくれねえか? 長い付き合いだろう?」
そう言うと、ガディウスさんは助けを求めるような視線を姫様に向けた。
すると姫様は、おもむろに腕組みをして尋ねる。
「……では、私が前に飼っていた猫の名前は何だったかしら? ガディウスならば、わかるはずですわよね?」
「ルノアールだ」
「あら……」
意外そうに口元を抑えた姫様。
もしかして、間違っていたのか?
俺たちがそれぞれ武器に手をかけると、ガディウスさんは心底驚いたような顔をする。
「ま、待ってくれ! 合っているはずだ!」
「ええ、合ってますわ。だからいけませんの」
「はぁ? 何だよそりゃ!」
「姫を姫とも思っていないガディウスが、私が昔に飼っていたペットの名前なんてすぐ思い出せるわけありませんわ」
腰に手を当て、自信満々に告げる姫様。
確かに、ガディウスさんの性格なら猫の名前なんて憶えていなさそうだよな。
適当なことを言ってごまかしそうだ。
「ちっ! あの男のいい加減さまでは、再現できなかったか……」
明らかにガディウスさんの物とは異なる、低い声。
地鳴りのようなそれは、およそ人間の物ではなかった。
俺たちはすぐさま武器を構えると、姫様を後ろに下げる。
「お前、何者だ!」
「我が名はロズウェルト。魔族だ」
「やはり……!」
何となくそのような気はしていた。
しかし、最悪の展開だな。
魔物たちに襲われ、その上、ガディウスさんまで偽物だったとは。
『ノエルよ、油断するな。こやつ、以前の魔族よりも格上だぞ!』
「当然だ。やつは下級魔族だったのだからな」
自信満々に答えるロズウェルト。
それと同時に、彼の身体が変化を始めた。
ガディウスさんの姿から、本来の姿へと戻ろうとしているらしい。
「ウオオオオッ!!」
全身の筋肉が膨れ上がり、服が裂けた。
頬骨が隆起し、口の端から牙が伸びていく。
やがて背中から二対の黒い翼が生えて広がった。
先日遭遇した魔族よりも立派で、まがまがしい気配に満ちている。
「これが私の真の姿だ!!」
「なかなか強そうじゃない! でも、ノエルに勝てるかしら?」
「ノエルはあなたには負けない」
「これを見ても、そんなことを言えるかな?」
パチンッと指を鳴らす魔族。
それと同時に、どこからかカツコツと足音がしてきた。
どうやら、俺たちが入ってきたのとは別の入り口があったらしい。
それも二か所から、別々に音が聞こえてきている。
やがて俺たちの前に姿を現したのは――。
「伯爵!」
「学園長!」
伯爵と学園長。
彼ら二人は俺たちの前で並んで立つと、ケタケタと気味の悪い笑みを浮かべた。
その目は白く、黒目がない。
肌も土気色で、およそ生気が感じられなかった。
生きているのか、それとも死んでいるのか。
それすらも定かではない状況だ
「ロズウェルト! お前、二人に何をした!」
「僕になってもらっただけだ。こいつらの願いをかなえることと引き換えにな」
「願いをかなえる? あんたが?」
「心外だねぇ、魔族は契約には厳格だ。もっとも、こやつらの望み通りかは知らんがな」
そう言うと、ロズウェルトはニタァっと嫌らしい笑みを浮かべた。
彼はそのまま両手を広げると、芝居がかった仕草で言う。
「この男、アルバロス伯爵の願いは息子の解放。叶えてやったさ、じきに魔獣の餌にでもするがね。こちらの男、ラグーナ学園長の願いは姫のフェルマ魔法学園への入学阻止。こちらも今から叶えてやるさ、姫はこの場で死ぬのだから」
『さすがは魔族、歪んどるのう』
「二人ともいい人ではないけど……さすがにこれは、嫌な気分になるな」
恐らく、今の二人に感情なんてものはないだろう。
魔族の下僕――いや、人形として。
その肉体が滅びるまで戦い続けるだけだ。
俺は改めて魔族の顔を見やると、決意を新たにする。
「お前は俺が倒す」
「出来るか? 言っておくが、下僕どもも下級魔族程度の力はあるぞ?」
「そんなこと、関係ない!」
返事をすると同時に、魔力を高める。
いよいよ戦いが始まった――!




