第二話:痛みの境界と誓いの儀(テン・メートル・アゴニー)
#第2話: 十メートルの限界。逃げようとするたび、骨が軋む音がした。
一九九一年の太陽が、灰色の光を伴って端島の上に昇った。六十五号棟の狭い部屋の中で、エドは非常に優しくアカリの髪を梳かしていた。遠目から見れば、穏やかな新婚旅行を楽しむ若夫婦のように見えただろう。
しかし、櫛は時折、アカリの項から伸びてエドの左手に直結している透明な糸に引っかかった。
「今朝の君の髪はとても柔らかいね、アカリ」エドが囁いた。彼は妻の肩にキスをし、安物の石鹸の香りと錆びた鉄の臭いが混ざり合った空気を吸い込んだ。「かつて教会でした誓いを覚えているかい? 『死が二人を分かつまで』。僕はただ、死が僕たちの間に割り込む勇気を持てないように確かめているだけだよ」
アカリは答えなかった。舌は強張り、昨夜の儀式の余韻で神経がまだ脈打っている。彼女はただ、壁に貼られた色褪せた一九七四年のカレンダーを見つめていた。エドが机の上のカメラを取るために背を向けたとき、アカリはわずかな隙を見つけた。
蝶番の壊れたアパートの扉が、わずかに開いている。
(逃げて)
その思考は、乾燥した藁に火花が散るように現れた。アカリは残りの力を振り絞り、身体を跳ね飛ばして立ち上がると、外へと走り出した。
「アカリ? 愛しい人、どこへ行くんだい?」エドの声は穏やかで、まるでからかっているかのようだった。
アカリは構わなかった。湿ったコンクリートの廊下を駆け抜ける。裸足がガラスの破片や瓦礫を叩くが、アドレナリンのせいで痛みは感じない。彼女は狭いコンクリートの階段を駆け下り、六十五号棟と校舎を繋ぐ広場へと向かった。
一メートル……三メートル……五メートル……。
「そんなに急がないで。転んでしまうよ」エドの声が上の階の窓から響いた。ゆったりとして、慈愛に満ちた声だ。
アカリは瓦礫の山が重なる中庭に辿り着いた。遠くに海が見える。自由だ。桟橋まで辿り着きさえすれば。
八メートル……九メートル……。
アカリの足が唐突に止まった。疲れたからではない。胸の奥に奇妙な感覚を覚えたからだ。まるで心臓に釣り針が引っかかり、それが油圧式の力で突然引き絞られたような感覚。
「う、ぐ……ッ!」
九・五メートル。
「エ、エド……やめて……」アカリは膝から崩れ落ちた。背中の皮膚が不自然に引き伸ばされ、その下に埋め込まれた神経の糸が浮き上がる。
そして、彼女はその境界を越えた。――十メートル。
「あ、あああああああッ!!!!」
アカリの絶叫が端島の静寂を切り裂いた。上の階では、エドが窓際に立ち、指先から伸びる神経の糸を人形遣いのように握りしめていた。
その効果は即座に、そして凄惨に現れた。神経が繋がっているため、その牽引は皮膚を引くだけでなく、内臓までをも引き摺り出した。アカリは肋骨が軋む音を聞いた。まるで強制的に縮められるかのように。乾いた破壊音が響く――無理やり爪弾かれたギターの弦のように張り詰めた神経の圧力で、彼女の鎖骨が砕けたのだ。
黒い液体――『織り手』の穢れに侵された血が、アカリの毛穴から滲み出した。彼女は目を見開き、眼球の血管が弾けて、白眼は一瞬で血に染まった。
「言っただろう?」エドがバルコニーに現れ、作り物のような悲しみの表情で見下ろした。「とても痛いね? 僕も感じているよ、アカリ。胸が苦しくて、骨が疼く……。これは君が、自分の魂の半分をここに置いていこうとしたからだよ」
エドは指に糸を巻き取り始め、瓦礫の上に倒れたアカリの身体を、肉袋を引き摺るように手繰り寄せた。アカリは呻き、鋭い石に寝巻きを引き裂かれながら引き摺られていくが、皮膚の裂傷など神経の内側から来る「引き抜き」の苦痛に比べれば無に等しかった。
エドは階下へ降り、血とコンクリートの粉にまみれたアカリの傍らに跪いた。彼は妻の顔を持ち上げ、血の味の残る震える唇にキスをした。
「もう逃げないで。いいかい?」エドはこの上なくロマンチックな声音で囁いた。「君が逃げるたびに、僕は君を縫い直さなければならない。そして縫い目が増えるたびに……僕たちはさらに引き離せなくなるんだ」
エドはアカリを御姫様抱っこで抱え上げ、アパートの暗闇へと戻っていった。地面には血の跡と、引き摺られた際にコンクリートを掴もうとして剥がれ落ちたアカリの爪が一枚残されていた。
エドのポケットの中で、ウォークマンはまだ回っていた。骨の砕ける音とアカリの喘ぎを、二人の子守唄として記録しながら。




