第十四話:終末の淵での妻の誓い(ザ・ウィーヴァーズ・セヴァランス)
#第14話: 妻の誓い。アカリは呪いを受け入れ、夫を闇から引きずり出す。
アカリにとって、世界が緩やかに流れていくように感じられた。目の前では、自分の人生を狂わせ、同時に今や唯一の呼吸の理由となった男――エドが、古の糸の触手によって暗闇へと引き摺り込まれようとしている。
痛みが襲い始めた。限界の十メートルだ。
アカリの顳顬こめかみの血管が、破裂せんばかりに脈打つ。首の皮膚は強く引き絞られ、酸素を吸い込むことすら困難だった。しかし、アカリは自分だけ助かろうと逃げ出す代わりに、崩落しつつある桟橋へと飛び戻った。
「アカリ……逃げろ……馬鹿な真似を!」エドは喘ぎながら叫んだ。その体はすでに桟橋の残骸の裂け目に半分宙吊りになっていた。
「約束したじゃない、エド!」アカリは叫んだ。その声は嗄れていたが、かつてないほどの力に満ちていた。「私たちが一つだって言ったのはあなたよ! もしあなたが地獄に引き摺り込まれるなら、私はその地獄を自分の元へ引き寄せてやるわ!」
【決死の抵抗】
アカリは刃物を使わなかった。自らの手を用いたのだ。闇の力に抗うため、水島家の血に宿る力を振り絞り、エドに絡みつく『大いなる織り手』の黒い糸を掴み取った。
刹那、糸からは激しい衝撃が走り、アカリの掌を焼き焦がすような痛みが襲った。しかしアカリは決して離さなかった。それどころか、古の糸を自らの腕に固く巻き付け、自分の体重を錨いかりとした。
「私の命を捧げるわ! 私を連れて行きなさい。でも、夫は放して!」アカリは暗闇に向かって絶叫した。
彼女の手から流れる血が古の糸に触れた瞬間、激しい拒絶反応が起きた。――『純粋』な性質を持つ水島の血が、闇の存在にとっての毒として作用したのだ。黒い糸は、熱を浴びたかのように激しく震え、霧となって消え去っていった。
【切なく悲劇的な光景】
その隙を突き、アカリは渾身の力でエドの体を引き寄せた。エドの体が解放された瞬間、二人は朽ち果てた桟橋の木材の上に投げ出された。アカリはすぐにエドを抱き締め、涙と血に塗れた顔を夫の胸に押し当てた。
「行かせない……絶対に行かせないわ」アカリは激しい嗚咽の中で囁いた。彼女はエドの冷たい唇に口付けし、自らの温もりを分け与えようとした。「あなたは私の網なのよ、エド。あなたが受け止めてくれなきゃ、私は飛ぶことさえできないんだから」
エドは、満身創痍になりながらも驚嘆の入り混じった眼差しで妻を見つめた。かつての無垢なアカリはもういない。執念に近い愛のために全てを投げ出す覚悟を決めた女性がそこにいた。
「君は……本当にどうかしてしまったね、アカリ」エドは弱々しく微笑み、震える指でアカリの頬を撫でた。「僕の可愛い奥さん……。君はもう、ただの守られる存在じゃない。この場所の主だ」
残された力を振り絞り、エドはわずかな力を使い二人の体を固く結びつけた。もし水に落ちても、決して離れないように。二人は、桟橋が荒れ狂う海へと完全に崩れ落ちる直前、モーターボートへと転がり込んだ。
アカリは、傷ついた震える手でボートのエンジンのレバーを引いた。――ヴン!
エンジンが咆哮を上げ、息を吹き返した。ボートは、ゆっくりと巨大な黒い影の中へ沈みゆく端島から猛スピードで遠ざかっていく。背後に「コンクリートの墓標」を残して。ボートの上、一九九一年の最後の雨が滴る中、アカリは気を失ったエドの体を抱き締め、まるでその男が世界で最も尊い宝物であるかのように、守り続けた。




