side01 変わり果てた
カランカラン―――
「ああ、いらっしゃい……あれ?君どこかで会ったかな?」
店の扉を開けると、くたびれたようなおっさんが俺に話しかけてくる。
まあ、くたびれたというより腑抜けた?
とにかく接客業をやっているとは思えないほどの態度だ。
だが、常連はそれでもついているのか、客はちらほら見かける。
これは、あれだろう。どうやって延命しているのかわからないタイプの喫茶店だ。たまに話で聞く奴だな。
くたびれたおっさんに適当に誘導されて、適当なテーブルに座るのだが、しばらくするとパタパタと慌てた様子の会長がこちらに向かってきた。
「す、すまない―――少し洗い物がたまってしまっていて。注文は決まったか?」
「コーヒーで」
「……やっぱりそれしか頼まないか。だがわかった。心を込めて淹れるさ」
そう言うと彼女は店の奥へと消えていく。
カタカタとあわただしく動くような音が聞こえて、カウンターに疲れたようにしてなにもしていないおっさんに違和感を覚えるものの、特に気にしないようにする。
あれが彼女の父―――妻と会長の妹の行方不明によって、かなり気が滅入っているらしく、魂も抜けた状態とのこと。
昼の営業は基本的に彼が行っているものの、会長が家に帰ってきてから、それ以降は基本的に置物状態になる。
そう考えるとすごいな、会長は。
昼は学業に生徒会。夜は喫茶店―――そんなに忙しくないだろうが、それでも材料等のやりくりは大変なものだろう。
彼女への評価を少し上方に修正しておくか。
そんなことを考えていると、俺の目の前にコーヒーが提供される。
「注文のコーヒーだ。一応、追加の注文はないな?」
「ああ、これ以上は店の迷惑になる」
「そうか―――一応聞いておきたいんだが、ピザとか形のある物が食べられないんだよな?みかんとか噛めば液状になるのもだめか?」
「試してないから知らん」
「そうか……わかった。まあ、ゆっくりしていってくれ。ほかの客の対応が終わって、めどがついたらまたこっちに来る」
「お気になさらず……」
できるだけ関わらないで―――というのは酷。
彼女の店である以上、ここは彼女のテリトリーだ。なら、彼女の好きに動いてもらうしかない。
というより、俺が口を出す理由がない。
出されたコーヒーのカップを手に取り、様子を眺める。
この黒い液体、実は昔に一度だけ飲んだことがある。
初めてコーヒーを飲んだ時の感想は、単純に不快な苦み、というものだった。
口の中に広がっていくあの不快感は言葉にしがたい。その時の両親の会話も覚えている。
「この苦さがわからないか。本当にお前は子供舌だな」
「あなた、当たり前でしょ?まだまだ子供なんだから。いつか分かるわよ、ここのマスターのコーヒーの良さが」
そんなまだ仲睦まじい頃の、俺が普通であれたころに思いをはせる。
今は、苦みの良さをわかるどころか、苦みそのものを感じられなくなっているけどな。
いい思い出がないコーヒーだが、ようやく覚悟を決めて一口だけ流した。
二度目のコーヒーは無味無臭。当たり前だが、完璧に予想通りだった。
さすがにここまで黒々としてるのに、味がないなんてことはないだろう。ましてや、あの完璧主義の会長がこんな不完全なものを出すとも思えない。
そう、会長に思いをはせていたら、察知されたのだろうか?
すぐに彼女が飛んできた。
「飲めたか……味はどうだった?」
「わからん。俺からしたら、水と何も変わらない。まあ、成分は体に染みていくだろうから、これから数時間は眠れないだろうな」
「言い方……まあ、いつか私の淹れるコーヒーをおいしいと言わせて見せるさ」
「難しいんじゃないかな」
そもそも、味を感じないのはもちろん。
感じた時に飲んだそれも、おいしいとは思えなかった。人はそう簡単に変われない。
俺の味覚も、蘇ったところで、大して成長していないだろうからな。
「私もまだまだ腕を上げる必要があるからな。たまには練習したい。こうして、たまに顔を出してくれるだけでもうれしい。サービスはするぞ?」
「俺は実験台か?あまりいい気分はしないな」
「別にそう言うのならそうだが、ただ食いできるのなら悪くないと思うのだが……」
「味も感じないんじゃなあ……まあ、暇があれば来る」
「あ、そうだ……」
「どうした?」
「里中は―――連れてこないで……いや、なんでもない」
美晴が、なんだ?
最後のほうが少しだけ聞こえず、美晴の名前しかわからなかったが、特に気にする必要もないだろう。
ただ飯食らいができると言っても、人数が多いと彼女の店の経営に悪影響だろう。
基本は一人で来るつもりだ。
「そうだ、これはサービスだ」
そう言うと、彼女は俺の前に皿に乗ったソフトクリームを出す。
飾り気のないシンプルかつ真っ白なソフトクリームだ。こんなのは頼んでいないが……
そんな俺の表情を察したのか、俺がなにかを言う前に会長が口を開く。
「一応、コーヒーとかは飲めるみたいだから、アイスとかくらいなら食べれるかなって―――専門店みたいに、こだわりの牛乳で手作り―――とかではないが、コンビニよりはおいしいはずだ」
「だから、味は評価対象にならないとあれほど言っているだろう」
「それでもだ。腹を満たすことくらいはできるはずだ。無理そうだったら、私がすぐに下げるから」
彼女がそう主張するものだから、俺も渋々彼女の出したそれを口に入れる。
当たり前のように味は感じないが、ひんやりとした冷気は口の中に広がってくる。
これは幾分か食べやすい。
流動性は液物よりはないが、冷たい分、口の中に運ぶという意思が続く。
これは発見だな。しかも、吐き気も起きない。
「どうだ?気持ち悪くなったりしてないか?」
「問題ない。むしろ、ここまで食べやすいものもなかった。ありがとう。これはいい発見だ」
「そ、そうか?それはよかった」
会長が若干引くが、俺はお構いなしにソフトクリームを食べる。
だが、そんな状況ながらもカウンターにいる彼女の父親の姿も目に入ってしまう。
本当に魂が抜けている。あれが「誰も認めるコーヒーの巨匠」だと、そう言われていたとは思えない。思わせてくれない。
ゆえにこそ、俺もよくよく考えてしまうのだ。
ああ、この店も変わったな、と。




