エピローグ
数か月が過ぎた。
王宮では、リーアの死について語られることも少なくなっていた。
新しい出来事が起きれば、人の関心はそちらへ移っていく。
季節も変わった。
庭に咲いていた花は散り、葉を落とした木々の枝には、冷たい風が吹き抜けるようになった。
あれほど長く感じられた事件の日々も、今では過去の出来事になりつつあった。
けれど、エレノアにとっては、完全に過ぎ去ったものにはならなかった。
時折、あの温室を思い出す。
リーアが倒れていた場所。
最初に彼女の死を見つけた場所。
そして、すべてが始まった場所。
その日も、エレノアは一人で温室へ向かっていた。
扉を開ける。
冷たい空気が頬を撫でた。
以前は花の香りに満ちていた場所だった。
今は季節のせいもあり、以前ほど多くの花は咲いていない。
それでも、庭師たちは手入れを続けていた。
新しい苗が植えられ、古くなった鉢は片づけられている。
リーアが死んだ場所だからといって、永遠にそのまま残されるわけではない。
生きている人間は、そこでもまた日常を続けていく。
エレノアはゆっくりと歩いた。
あの日、自分が立っていた場所まで来る。
足を止める。
以前なら、ここに立つだけで胸の奥が重くなった。
血の跡を思い出した。
倒れていたリーアを思い出した。
偽りの遺書を思い出した。
そして、父の顔を思い出した。
今でも、何も感じないわけではない。
けれど、以前とは違っていた。
リーアの死を、ただ事件として思い出すことはなくなった。
彼女が最後に何を望んでいたのか。
何を恐れていたのか。
何を選ぼうとしていたのか。
そういうことまで考えるようになった。
エレノアは温室の奥へ目を向けた。
そこには、以前リーアがよく座っていた椅子があった。
誰かが片づけることもなく、今もそこに置かれている。
エレノアはその椅子を見つめた。
「……本当に、いなくなったんですね」
返事はない。
当然だった。
死んだ人間は、返事をしない。
それでも、エレノアはしばらくその場に立っていた。
事件が起きた直後は、リーアのことを考える余裕などなかった。
どうして死んだのか。
誰が殺したのか。
なぜこんなことになったのか。
そればかりを追いかけていた。
犯人が分かれば、何かが終わると思っていた。
父が罪を認めれば、すべてが片づくと思っていた。
けれど、実際には違った。
父が捕らえられても、リーアは戻らない。
真実が明らかになっても、あの日をやり直すことはできない。
それでも、真実を明らかにしたことを後悔はしていなかった。
リーアは、自分で生き方を変えようとしていた。
そのことを知らないまま、父は彼女を危険な人間だと決めつけた。
過去のリーアだけを見て、最後に選ぼうとしていたリーアを見なかった。
その結果が、彼女の死だった。
エレノアは、静かに息を吐いた。
父のことを許したわけではない。
今でも、許すことはできないと思っている。
けれど、父がなぜあんなことをしたのかは分かる。
それは、許すこととは違う。
分かることと、許すことは同じではない。
そのことを、エレノアは事件を通して知った。
温室の窓から、淡い光が差し込んでいる。
エレノアはその光を見上げた。
セレーネは、今も王妃の座にいる。
自分の過去をすべて公にしたわけではない。
けれど、もう過去から逃げるつもりはないと話していた。
エドワードも、それを変わらず支えている。
父は牢の中にいる。
罪を償う時間は、これからも続く。
そしてエレノア自身もまた、事件の前とは違う人間になったように思う。
何かを守ることについて、以前よりも考えるようになった。
誰かを心配することと、誰かの人生を決めることは違う。
相手のためだと思っていても、その人自身の意思を奪えば、それは守ることとは呼べないのかもしれない。
答えは、まだ分からない。
きっと、これからも簡単には分からないだろう。
エレノアは椅子のそばまで歩いた。
そこに手を置く。
冷たい木の感触が掌に伝わってくる。
「リーア」
名前を呼んだ。
それだけだった。
何かを伝えようとしたわけではない。
謝りたいわけでも、許しを求めたいわけでもない。
ただ、名前を呼んだ。
それで十分なような気がした。
エレノアは目を閉じた。
あの日、リーアはここで死んだ。
けれど、彼女が最後に選ぼうとしたものまで死んだわけではない。
姉と話すこと。
脅すことをやめること。
自分のこれからを、自分で選ぶこと。
それらは、もう本人の手には戻らない。
けれど、残された人間の中には残っている。
セレーネの中にも。
エレノアの中にも。
きっと、父の中にも。
それぞれが、違う形で抱えて生きていくのだろう。
エレノアは目を開けた。
温室の中には、静かな時間が流れている。
事件が起きた場所なのに、今はただの温室に見えた。
花が咲き、葉が揺れ、人が手入れをする。
季節が巡れば、また別の花が咲く。
死んだ人間の時間は戻らない。
けれど、生きている人間の時間は続いていく。
エレノアは扉へ向かった。
振り返る。
椅子は、何も言わずそこにある。
彼女は小さく頭を下げた。
それから、今度こそ振り返らずに歩き出した。
温室の扉が閉まる。
外には、冷たい風が吹いていた。
エレノアはその中を歩いていく。
もう、リーアの死の理由だけを追いかけることはない。
彼女が最後に何を選んだのか。
その選択を、自分はどう受け取るのか。
それを忘れずに生きていけばいい。
そう思いながら、エレノアは王宮の中へ戻っていった。




