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隣の部屋にはお姫様が住んでいる  作者: 満月すずめ
第一章・一学期

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「ここに帰ってきたかったから」

 空の色が茜から藍へと移り変わる頃。

 花火が行われる河川敷の周囲と近くの公園は、もう屋台と人で埋め尽くされていた。


 少し離れたところに神社もあって、そちらも屋台が並んでいる。どのみちどこもかしこも人だらけで、この町のどこにいたんだと疑問に思うほどの数だ。

 寄り添うように歩く二人――というか深夜――はやたらと注目を浴びたが、最早今更だ。直也も深夜も気にすることなく屋台を冷やかし、わたあめを食べりんご飴を食べ、水風船を掬った。


 二人ともあまり騒ぐ方ではないので、どちらかと言えば喧騒を見て楽しむところがあったように思う。

 何もせずとも、祭りの空気はそれだけで高揚するものだ。


 射的に挑む子供、キャラものの袋に入ったわたあめをねだられる親、友達同士できてわいわいと騒ぐグループに、チョコバナナを食べさせあうカップル。

 やきそばのソースの匂いと甘い香りが混ざり合って、祭りは色を増していく。


 人の波にのまれないよう気を付けていても、これだけ多いと思う通りにはいかないものだ。

 誰かの肩とぶつかり、履き慣れない下駄のせいもあって深夜がよろける。

 こけてしまう前に、直也の腕に抱きとめられた。


「ごめんね、ありがとう」

「いや、でもなんとかしないと危ねぇな」


 そう言って、彼は手を差し出してきた。

 それが何を意味するのか、深夜にだってわかっている。

 分かっていて、少しだけ躊躇した。


「ほら、あー……危ないからな」

「うん。ありがとう」


 重ねた掌は、祭りの熱気に負けないくらいに熱かった。

 離れないよう、ぎゅっと互いに握りしめる。指先がどくんどくんと脈打つ。

 掌に流れる血を、これほど意識したことは深夜の人生で一度もなかった。


 硬くて大きくて、優しい手。

 人とぶつかりそうな時はそっと引いてくれて、立ち止まる時や向きを変える時は握りこんで教えてくれる。

 花火が近づくに連れて人が多くなってきて、もう肩も寄せ合っているけれど、それよりも掌の熱さの方が深夜の意識に強く焼き付いた。


 夏の夜空が全て藍色に染まり切った頃、花火が始まると放送が流れた。

 寄り添ったまま河川敷の方へ移動し、なるべく人がいない方へと足を向ける。


 なんとかぎゅうぎゅう詰めからは卒業できたところで足を止め、花火が始まるのを待った。

 手はずっと握ったまま。

 せめて花火が終わるまでは、このままでいたかった。


「今日はさ、花火を見に来たのもあるんだけど」

「うん」


 周囲に聞こえないように、でも隣の深夜には聞こえるように、直也が話し出す。


 深夜とて、それは分かっていた。

 きっと何か話したいことがあるのだと。その為に祭りに来たのだと。

 それが何かは、想像することは止めておいた。


「話しておきたいことがあって」

「うん」


 花火はまだ始まらない。

 周囲の皆も藍から黒へと染まる空を見上げて、今か今かと待ち望んでいた。


 夏の夜に咲く、光る花。

 夏休みが終わる合図。


「実家に帰って、親と話したんだ。昔迷惑かけたことを謝って、わがまま言って一人暮らしさせてもらったことに礼を言って。そんで、先払いで三年分謝ってきた」

「先払い?」

「高校の間、ずっとこっちに居させてほしいって。一人暮らしなんて金もかかるし心配もかける。よほどの事情がなけりゃ、家から通う方がいいに決まってる。それでも、こっちで通わせてほしいって」


 掌を握る手に力がこもる。


 聞いて良いのだろうか、悪いのだろうか。

 結局、バイトのことは迷っているうちにタイミングを逃してしまった。

 だったら、後悔しても聞いた方が良いに決まってる。


「どうして?」


 直也が顔をこちらに向けた。

 その目があまりにも真剣で、綺麗な黒曜石みたいで、思わず見惚れてしまった。



「ここに帰ってきたかったから」



 花火が上がった。

 高く夜を切り裂く笛の音を鳴らし、轟音と共に火の花が咲く。


 ぱらぱらと散っていく様まで美しく、しかし残念ながら直也も深夜も見逃してしまった。

 残響のような火の粉が、二人の横顔を照らし出す。


「そっか」

「あぁ」


 それ以外、何を言えばいいのか分からなかった。


 体が熱くて、顔も熱い。夏の熱帯夜だからか、汗まで噴き出しそうだ。

 直也はいつもと変わらず見える。自分だけが、こんなに熱くなっている。それがなんだか、やたらと恥ずかしい。


 二発目、三発目と次々と花火が上がる。

 その綺麗さに見惚れている間は、何も考えずに済んだ。


 色とりどりの花が自然の暗幕を背景に咲き誇る。

 周りの歓声が環境音として意識に処理され、隣の人の息する音が妙にはっきり聞こえる。


 繋いだ手が、きゅっと握られた。


「一つだけ、後悔してることがあって」


 隣を見上げる。

 彼は眉根を寄せて、口惜しそうに言った。


「朝陽さんにどっちを名前で呼ぶか聞かれた時、姫野の方にしとけばよかった」


 反射的に手に力が入って、彼の掌の硬さを指の神経が伝えてきた。


 心臓って耳にあったんだっけ。

 そう思うくらい鼓動が煩くて、耳元でがなり立てられているようだ。


 夏の匂い、祭りの匂い、花火の匂い。

 頭がクラクラしてきた。


「姫野って、お姉ちゃんも呼ばれるって言ってたよね」

「あぁ」


 そう、確かに前に姉はそう言っていた。

 職場では私も姫野と呼ばれるよ、とかなんとか。

 今、姉のそんな軽口に心から感謝している。


「いいよ」

「ん?」


 彼の顔が傾いて、視線がこちらを捉えた。


 花火が上がる。

 色彩が彼の顔を半分だけ彩る。


 それが妙におかしくて、肩から力が抜けた。


深夜(みや)って呼んで。姫野じゃどっちかわかんないから」


 今度は自分の意思で、彼の手を強く握った。


 硬くて大きな手。

 多分頑張って力を込めても、びくともしないだろう。


 そのことに、何故か安心感を覚えてしまう自分がもう良く分からない。

 分からなくていいや、と思った。


「分かった」


 頷く彼に、クラクラする頭が命令した通りの言葉を口にする。


 普段なら絶対言えないこと。

 きっと、夏休みが終わるからだ。



 ――これはきっと、私の夏休みの宿題だったのだ。



「私も、直也って呼んでいい?」


「あぁ」


 味も素っ気もなく、彼が頷いた。

 胸の奥で、花火が咲いた。


 それと同時に、今日一番の大きな花火が空に舞って散っていった。

 その鮮烈さを、きっと一生忘れない。



 夏が、終わった。

 帰り道も、ずっと手を繋いでいた。


 マンションに着くまで、ずっと。

第一章、これにて終幕です。

第二章が書きあがるまで、今しばらくお待ちください。

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― 新着の感想 ―
第一章お疲れ様でした! 読み始めたのは最近ですが、初々しい2人にほっこりします。 直也も深夜も抱えるものはありそうですが、まずは直也は乗り越えた感じですかね。 第二章も楽しみにしています! これだけ良…
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