24 こういうのもあるんだが
渉の父親方の伯父、榛名省吾は、教師らとの話を終えると、せめて、一泊でもと皆が引きとめる中、
「いや、東京は、苦手なので…。」
と、苦笑いしながら、観光もせず、夜行バスで帰って行ってしまった。
省吾をバスセンターで見送ったあと、渉は、車で送ってくれた恭平に告白した。
「伯父さん、すごい貧乏なんですよ。」
「え?」
確かに、着ているスーツは、よれよれしていて、靴も鞄も、どこかくたびれた感じで、安物っぽかったが。
「飛行機代が出せなくて、夜行バス使って、ここまで来て、泊まるお金がないから、そのままとんぼ帰りしたんだと思います。」
「俺が、部屋を明け渡したのに。」
「そういうこと、できない人なんです。」
渉は、笑った。
「僕も、好きだったけど、お父さんとお母さんは、あの伯父さんが大好きでした。」
「わかるよ。」
恭平は、省吾の素朴な優しさを、この数時間で十分に感じていた。
「伯父さんは、中学レベルの勉強ができたら、他は必要ないと考えている人なんです。」
「価値観が、違うんだろうな。 それも、わかる気がする。 若干、羨ましいくらいだな。」
恭平が、言うと、渉は大きくうなづいた。
「伯父さんの家にお世話になってる時、最初のうちは、正直、退屈でした。僕の気持ちを紛らわすものが何もなかったし、日常の会話もマンネリしていて、何の刺激もない生活でしたから。」
「田舎の生活だな。」
何となく、その情景が、恭平にも見えるような気がした。
「人のうわさ話や悪口なんか、一切言わない家族で、テレビもあまり見ないし、社会情勢なんかにも興味はないし、貧乏なせいもあったけど、お金だって使わない。正直、何が楽しいんだろうって思ってました。」
「都会から行けば、そうなるだろう。」
「農業しかできない伯父さんたちは、人生において、負け犬の側かななんて、バカなことも考えていました。」
恭平は、微笑んだ。
渉の、相手を馬鹿にしていた言葉は、すべて過去形だ。
「でも、何カ月もいるうちに、そこを心地よく感じてる自分に気が付いたんです。素朴だけど、美味しい食事、ゆったりした時間、計画のないのんびりした生活…。人もせこせこしてなくて、余裕があって、素直でまっすぐで、優しくて…。」
「わかるような気がするな。」
「お父さんたちは、成功した社会にいたけど、人と絡めば、傷つくことだってあるし、落ち込むことだってある。その頻度は激しかったと思います。けれども、伯父さんの周りの環境の中では、傷つくことを探す方が難しい。貧乏で、生活するには不便だけど、こんな競争のない穏やかに流れる時間の中で、ゆったりとした時をすごす人生もあるんだと、お父さんとお母さんが夢見てたそんな生活の価値に、初めて気づいた気がしました。」
「お前の価値観を変える程、いい伯父さんだったんだな。」
渉はうなづいた。
「僕には、大学の先が無かった。」
「大学の先?」
恭平は聞き返すと、渉は、ほんのり笑った。
「ゴールが大学入学だったから。」
「それは、学生にとっては、普通のことだぞ。」
恭平が、笑うと
「わかってます。けど…。」
と、渉も笑った。
「確執の原因の一因になってしまった受験を手放したかったという爽さんの言ったことは、間違ってはいなかったけど、受験をやめようと思ったのは、それだけじゃなかったような気がします。」
「そうか。」
「伯父さんの家に、あのまま、ずっと居たいという気持ちはあったけど、貧乏なあの家で、食い扶持が増えてることを考えると、ずっと此処に居たいとは言えませんでした。高校だけは、卒業した方がいいと、僕も思っていたから、仕方なく、こっちに戻ってきたけど、前みたいに、ただ大学に行くってことを目標にはできなくなってました。」
渉が、ここまで、話をしてくれたのは、初めてだった。
それが、恭平には、嬉しかった。
「道は一つきりじゃない。就職がイメージとして見えてこない受験をしたくないというお前の気持ちもわかるが、まだ、やりたいことが決まってないなら、時間をかけて決めた方がいいとも思う。先生たちが、何故、お前に進学を勧めるのか、それは、ただ、学校の成績をあげるためじゃない。大人として、そのアドバイスが正しいと思うからだ。何をしたいのかが、まだわからないなら、俺も、お前に、大学を勧めたい。今の成績もある。これからのばす才能もある。可能性を広げるための4年間は、お前にとって、意味がないとは思えない。」
渉は、何度もうなづいた。
「この前までは、就職しか見えてなかったんだけど、爽さんと会ったり、先生のマンションで暮らせることになって、何か、精神的に余裕が出てきたのかな。大学も悪くないと思えるようにはなりました。」
「そうか。遺産のこともあるし、お前は、お前のやりたいことが、何でもできると思っていいんだぞ。」
渉は、少し考えて
「遺産については、あまり考えないようにしています。それに頼る生活もしたくはありません。」
と、答えた。
省吾は、額をはっきりと、皆の前では言わなかったが、金額的には、何千万か、そうとう大きな保険金が掛けられていたようだ。
けれども、それに甘える生活は、渉自身を駄目にしてしまうかもしれない。
頼りたくないという渉の主張は正しいが、しかし、それでは、道は狭まってくる。
「防衛大学は、二階堂家を出るための口実だったが、これは、どう思う?」
恭平の問いに、渉は、小さく吐息をついた。
「最初は、全く問題外だったんだけど、勉強は、嫌いじゃないし、勉強する4年間、誰にも世話にならずに済むって点では、ここに勝るとこはないかなって、思うようになりました。ただ…」
「二階堂か?」
渉は、目をふせた。
渉にとって、二階堂岳は、まだ大事な従妹なのだ。
その岳が、渉が出ていく時に、自分も防衛大学を受けると言っていたと言う。
「あいつは、長男なんだけど、僕にくっついていたせいか、弟気質で、しつこいんです。あれくらいであきらめるかどうか…。」
別に、嫌いになったわけじゃない。
もし、同じ防衛大に、同期で入学したとしたら、どうやって、彼を引き離すことができるんだ?
恭平は、鞄から、パンフレットを取り出した。
卒業生の全員の進路について、5年前までさかのぼって調べたときに、一人、ここに進んだ生徒がいたのだ。
「お前、中学の時、水泳をやってたんだよな。」
「はい。柔道と一緒に小学校の時からやってたんですけど、中学では、水泳をとりました。両親が海が好きだったんで、よく泳ぎにも行ってました。」
「実は、こういうのもあるんだが…。」
そのパンフレットを見て、渉は、目を輝かせた。




