21 他に行くところがありません
恭平は、車の中で黙り込んでいる渉を見やった。
渉は、沈黙しているが、その様子は、あきらかに、病院に行く前とは違っていた。
全てを拒絶するような、とがった雰囲気は消え、どこか思慮深い、深さを感じさせる沈黙だった。
車を校舎裏の駐車場に止めた恭平は、渉に尋ねる。
「二階堂家から出ないか?」
渉は、少し考えて、寂しそうに答えた。
「僕には、他に行く所がありません。」
恭平は、しばらく考えて、思いついたように提案した。
「俺のマンションにしばらく来ないか?」
「先生の?」
「ルームシェアしてた奴が、外国に語学研修にいっちまったんで、部屋が、一つ空いてるんだ。場所がいいんで、引っ越ししたくなくて、迷ってたんだけど、お前が、その気なら、片桐先生と話し合って、二階堂家には、俺達から上手くかけあってやる。」
「…。」
渉は、大人びた視線を、もう、既に、説明会の終わった体育館の方に向けた。
「岳のことは、僕の責任でもあるんですよね。」
「お前のせいじゃない。」
「僕から切るべきですね。」
「離れるべきだと、俺も思う。」
渉は、じっと考え込んだ。
「お前が、そばにいて、二階堂の衝動が、抑えられると思うか?」
「…。」
「自己制御ができなくて、お前を階段から突き落としたんだろ?」
渉は、恭平の顔を見た。
何も言わなかったが、それは、渉の肯定だった。
「既に、エスカレートしてるんだ。とにかく、お前と二階堂は、すぐにでも引き離す。それは、お前の為であると同時に、二階堂の為でもあるんだ。」
「わかりました。」
渉は、決意を固めたようだった。
「先生のところへ、お世話になります。」
恭平は、渉を車から降ろし、教室で待つよう指示して、その足で、担任の片桐の元へと向かった。
すでに、父兄との説明会を終えていた片桐をつかまえた恭平は、渉自身が、階段の事故の件では、二階堂の悪意に気が付いていたことを話した。
爽の話をそのまま伝えて、信じてもらえるわけがないので、話は少し脚色した。
岳は、基本的には、悪い奴ではないが、1組の中では、常に下位の成績で、志望大学の判定も低い。
ストレスが溜まっているところへ、渉を引き取ることになり、簡単に成績のあがる渉に対して、余計なストレスを感じたのではないかと。
岳に、渉を虐めているという自覚はなかったようだが、彼のストレス発散につきあった柔道でも、渉にとっては、一方的で激しいものであり、身体があざだらけになったが、それを、居候の身として、拒否することができなかったと。
渉自身は、岳に対しての恨みなどはなく、階段の件では、驚いたが、それも、彼の抱えたストレスだからと納得している。
そのあとの、真摯なケアには感謝しているし、彼との関係も壊したくなかった為、渉は、岳をかばってしまったが、恭平に、このままではいけないと諭されて、二階堂から離れる決意をしたと。
話を通りやすくする為の方便だったが、岳のためにも、こっちのレッテルを張られた方が、まだましだと思えた。
それを聞いた片桐の行動は早かった。
元々、埜々下の話を聞いた時から、渉の身の危険を、担任としても、一常識人としても、案じていたのだ。
渉が、助けを求めるなら、教師として、どんなことでもする覚悟があった。
けれども、渉が、その助けを拒否し、二階堂をかばうことで、片桐は、動きたくても動けなかったのだ。
渉が、二階堂の非を認めたのなら、片桐は、いくらでも動ける。
まず、校長に、事の次第を伝え、1組担任で、学年主任の島にも、同じ事情を告げる。
1組担任の島は、岳がわざと階段から渉を突き落としたことについては懐疑的ではあったが、目撃者がいたことで、渋々納得した。
岳の性格が、受験のストレスのために、歪んだものとして報告されたが、それはいたしかたないことだった。
恭平は、岳のサディスティックな性癖については、片桐にそれとなくは伝えたが、あえてはっきりとは口に出さなかった。
片桐は、何となく察していたようだが、根が、普通の常識人なので、何となく以上のことは、考えられないか、考えたくなかったようだ。
そこは、自分の中でも曖昧にしたままで、校長にも、島にも上手く説明した。
そして、その日のうちに、根回しをしききり、二階堂家に、待たせていた渉と恭平と一緒に赴いた。
片桐は、車中で、作戦を考えていたらしい。
岳の母親である二階堂沙智子が、なかなかのつわものであることは、前回、渉が、骨折して、それを報告しに行った時に、把握していた。
まず、まだ、渉には未確認だったが、防衛大学に受験したいと言ってきたと、これを理由にあげた。
そして、渉の家族の不幸な事故は、学校側も熟知しており、おととしまでの成績の優秀さも教師たちの知るとこだったこと。これで、渉が立ち直ってくれたらと、教師たちも応援していること。
けれども、防衛大学の受験は、日程もせまっており、特殊な受験環境が必要であること。
幸い恭平のマンションの一部屋が空いており、受験環境としては適切だと、校長をはじめとする教師たちも賛同していること、などを、早口で説明した。
二階堂家にとって、渉は、目の上のたんこぶのような存在だった。
居なくなってくれた方が、楽だとは思うし、この申し出に異論のあろうはずはないのだが、あまりに唐突で、あまりに学校が渉を贔屓していることを、二階堂の母親は訝しがった。
いくら、渉が気の毒な家庭環境を持っていたとしてもだ。
親戚の自分達が、渉の面倒を見ているというのに、受験前だからと、わざわざ親戚でもない、教師の家に住まわせるというのは…?
あまりに、不自然すぎる。
二階堂の母親沙智子は、頭をめぐらせた。
「大変、ありがたい話ですが、それは、うちが、渉の受験環境を考えてないとおっしゃりたいのでしょうか?」
人を不快にさせるへりくだった言い方をする。
下から見上げるような表情だ。
「うちは、狭いながらも、渉には、一室を与えています。確かに、その部屋には、エアコンはついていませんが、空いている部屋はそこしかありません。それが、いけないとおっしゃりたいのですか?」
この時期に、受験のために、孤児の従妹を追い出すなんて、外聞が悪いと思ったのだろうか。
「それに、受験なんて、はじめて聞きました。渉は、就職するって言い張ってたものですから。確かに、冷暖房は完備してませんが、就職するのなら、あえて、受験環境を整える必要がないと考えるのは、悪いことだったんでしょうか? それとも、渉が、こんな家だから、就職しかできないなんて、言ってるんでしょうか?」
けたたましく、まくしたてる沙智子に、片桐は、少しひるむ。
けれども、ここで折れるわけにはいかない。
「二階堂君と榛名君が、この前接触した階段の事故についてですが…。」
いきなり、話題が変わったので、沙智子は、何を言いだすのかと警戒する。
「生徒が一人その場を目撃しているのですが、二階堂君が、榛名君を、わざと突き落としたと言っているのです。」
沙智子の顔に赤みが差した。
「うちの子が、渉を、わざと突き落としたと言ってるのですか? 渉が、そう言ってるのですか?」
「違います。」
片桐は、血相を変えた沙智子に、あえて冷静に伝えた。
「榛名君は、そんなことは言ってませんが、実際に、ふざけたにしろ、わざとにしろ、つきとばされた時の状況は、あまり覚えていないようです。また、彼の身体中にある痣のことを聞くと、何でも、二階堂君と柔道をしてできた痣だとか…。」
「柔道?」
「その痣のあとも、相当ひどいもんでした。二階堂君は、ストレスがたまってるんじゃないでしょうか?」
「岳が、渉をいじめてると言うんですか?」
おそらく、二人が柔道をしていることは知っていたが、渉のダメージについては、気が付いていなかったのだろう。
渉自身が、隠していたのだから、当然だ。
ヒステリックな声を出す沙智子に、片桐は、あくまで冷静だった。
「二階堂君に、悪気はなくても、一方的に投げられる相手が、楽しいとは限りません。」
「渉が、そう言ってるんですか?」
「榛名君は、事実しか言ってません。」
「事実?」
「二階堂君が、榛名君をいじめているとは言ってません。けれども、こんなことが続くと、あと数ヶ月しかない受験にもっていくのは難しい状況なので、たまたまあいていた榊先生のお部屋に
受験のため、彼を住まわそうと思います。」
問題は、二階堂の暴力なのだとほのめかしながら、表向きの理由は、事故で家族を亡くした不幸な生徒に同情し、学校をあげて、受験に協力する体制をとる為だと言っているのだ。
「それが、一番得策だと思います。」
問題にしないかわりに、いう事を聞けと、そうするのが、二階堂家にとっても、好都合のはずだと、片桐は、暗に脅しをかけていた。
その意図に気が付いた沙智子は、ほとんど、しゃべることもできずに、片桐に押し切られた形になった。
「じゃ、行くわよ。榛名君、荷物をまとめてきて。」
片桐の決断は早かった。
「今からですか?」
沙智子が、燃えるような目で、反撃のチャンスをうかがっているのはわかっていた。
彼女の舌鋒が火をふくまでに、ここを立ち去りたかった。
「受験まで、時間がないんです。」
渉は、片桐と恭平に追い立てられるように、部屋に荷物をまとめに行った。




