18 ひとつずつ
渉が席につくと、爽は、その表情を和らげた。
渉は、恭平に説得されて、席についたものの、警戒心を全面に出している。
席に座ったのは、恭平の言葉に従った為ではない。
爽の言葉が、渉を引き留めたのだ。
渉にとって、聞きたくないけど、気になる言葉を爽が言ったからだ。
巧は、黙って、その様子をカウンターから見ていた。
爽は、渉の様子を見ながら、
「ひとつずつ、いきます。」
と、優しい声で言った。
「ひとつずつ?」
猜疑心むき出しで、渉は爽を睨む。
爽は、渉を見ながら、渉を見てないような、焦点のあってない表情で、静かに話しはじめた。
「あなたのご両親は、あなたの性格を、理解できてはいなかったようですね?」
「?」
思わぬことを言いだした爽に、渉は虚をつかれ、その攻撃的な視線が少し緩んだ。
「競争世界を良しとしない、あなたのご両親は、あなたの人並みはずれた才能を、特別に生かそうとはせず、自然に任せて、のびのびと育ってほしいと考えていました。ゆったりした健康的な子供時代を、ご両親は、あなたに望んでいましたが、実際のところ、あなたの周りの環境は、向上心の強い、大人びたあなたの性格にはあわない、子供っぽい、少し荒れた環境だったようですね。」
そばにいる恭平が、寧ろ驚いた。
凛が、友達の有村から聞いたことと同じことを、爽が語っているからだ。
「それでも、あなたは、あなたのやり方で、自分で環境を選ぼうと考えた。それが、有名私立高校の受験でしたが、運が悪く、失敗し、今の高校に入らざるを得なくなったことで、入学当時は少し荒れていた。」
「何で?」
そんなことが、わかるんだ?
恭平と同じ疑問を、渉が爽に投げかける。
それに関しては、爽は、笑顔を返すしかない。
恭平にも、ソースは、爽自身もわからないと言っていた。
恭平も、今回ばかりは、話が、現実のものであり、何より、当事者の渉が、目を見開いているのを見て、その情報の確かさを実感した。
「半ば、やけくそで、今の高校に入学したあなたは、部活にも入らず、しばらくはくさっていましたが、元々は、自分で、道を切り拓くことのできる、前向きな性格です。受験環境のレベルの低さも、あなたにとっては、発奮する材料になったでしょう。目的の大学を設定し、そのために必要な準備をすすめていきました。高名な塾に入ったのも、そのひとつですね。」
渉は、口を少しあけたまま、声を出せずにいる。
爽は続けた。
「でも、ご家族については、素直になれなかった。ご両親の信念で、自分がどれだけの負担を強いられることになったか、ご両親の信念を理解できないあなたにとっては、夢物語のこだわりにしか思えず、反発する気持ちの方が上回り、いい関係を持てずにいました。」
渉は、爽から視線を落として、うなだれた。
反論しないのは、それが、間違ってはいないからだろう。
「けれども…」
爽は、淡々と渉に伝えた。
「それは、反抗期というものです。」
「は?」
「反抗期です。早い子は、中学くらいで終わっている子もいるでしょうが、榛名君は、高校に入ってからだったんですね。」
「反抗期?」
こんな間の抜けた渉を、恭平は初めてみたような気がする。
「そうです。あなたのご両親に対する怒りは、あなたの自立する心が、招いたものです。あなたの親を一個の人間としてとらえられるようになった、大人になりかけのあなたが、ご両親に対して、対等の立場になろうとする自我が、自分の考えを持ち、反発したくなる年ごろだったというだけの話です。」
「…。」
「受験の失敗について、あなたは、そんなに尾をひいてはいませんでした。けれども、親に対する反発から、いい関係に戻れなかった自分を、あなたは責めています。」
「…。」
「あなたのご両親は、あなたの受験のあと、あなたが、どんなに努力していたのかを、回りの人から聞きました。若干、世間知らずのご両親は、あなたが、回りから褒められるほど、努力し、頑張っていたこと、尊敬されていたことを、この時点で、はじめて知りました。第一子のあなたが、何でも出来過ぎるんで、それが、普通だと考えていたようですね。そして、自分達こそが、色々見えていなかったと、自分達の信念を押し付けていたのではないかと反省し、あなたの意思を聞き、あなたと仲直りしたいと思って、家族旅行が計画されたんですね。」
渉は、テーブルに視線をおとした。
「あなたには、旅行の意味はよくわかっていました。反抗期のせいで、素直にはなれなかったけど、一緒に旅行に行くことを決めたのは、反抗期でありながら、家族との仲を修復したい気持ちが、あなたにもあったからです。心の中では、受験の傷は癒えているのに、それを、ずっとひきずったままだと思い込まれている家族に対して、あなた自身も、困ってたんですよね。だから、面倒だと思いながらも、旅行に行くことを、承諾したんですね。」
「…。」
「けれども、その仲直りするはずの旅行で、あなたのご家族3人は、事故にあい、亡くなりました。あなたの中には、あなたの為に計画してくれた旅行だったのに、あなたは、ご家族と和解できずに生き残ってしまったという罪悪感が残りました。」
渉からは、もはや、反抗的な態度は消えていた。
それは、爽の語ることが、渉を納得させたものだということ、大きく間違ってはいないのだということを、恭平は悟った。
「いいですか?」
爽が、確認するように、渉の顔をのぞいた。
渉が、視線をあげる。
「あなたが、家族と上手くいかなくなったのは、誰もが通る反抗期のせいです。誰に責任があるわけではありません。ほおっておいたら、数年でおさまる類いのもので、これについて、あなたが罪悪感を感じる必要は一切ありません。」
「…。」
「事故についてもです。」
渉が、ギクリと身体を震わせた。




