九話 馬里贈言
人気が無く、深い霧と生い茂る草木に覆われた山の奥。
其処に、山を貫く様にして延びる道が有る。
片側には崖が有り、反対側には森が広がる。
視界も利き難く、熊等も出て来る事が有る為、安全だとは言い切れない。
それでも、その道を使う者は少なくはない。
遠回りをすれば安全だが、十日は掛かる。
危険だが、この道を通れば早ければ半日、遅くても一日で山を越える事が出来る。
その違いは大きい。
生き急ぐかの様に、人は安全よりも、時間を選ぶから。
今もまた、その道を行く一団の姿が有る。
馬ではなく、牛が荷車や馬車を引いているのは勾配の為。
馬でも行けない事は無いが、馬だと頭数が必要になる。
用途に則したのが、馬ではなく牛だった、というだけ。
だったら、馬車ではなく、牛車ではないのか?
そう思わなくも無いが、細かい事は気にしない。
そんな事よりも山を越える事が大事なのだから。
山を行く道は、道幅こそ有るが、人や牛や荷車が踏んで、土が固まっただけのもの。
その為、雨が降ったりすると直ぐに弛み、泥濘む。
天気と時期によっては霧が出ただけでも、そうなる。
整備などされてはいないから、荷車や填まる事も有る。
酷いと牛でさえも脚が抜けなくなる場所も有る。
そんな不便で大変な道であっても。
半日から一日で山越えが出来る事は魅力的なのだ。
だからこそ、こういった場所には危険が伴う。
「──うわあぁああっ!?」
それは商隊の先頭で生じた。
突然、牛が立ち上がった為、御者の男性が声を上げた。
此処は静かな山道である。
その為、後続にも直ぐに何か起きたのだと伝わる。
詳細は判らない。
しかし、場所が場所である。
こんな場所で生じる問題など限られている。
それ故に、商隊の護衛をしている者達は身構えた。
「──動くんじゃねえっ!!」
──が、直ぐに牽制する様に大声が響いた。
何処から聞こえたのかは谺して判り難いのだが。
その偉そうな命令口調からして立場が上の者。
指揮官相当の立場である事が予想される。
脚を止めた商隊は、気付けば囲まれていた。
囲んでいる者達の身形からして賊だと判る。
況してや、こういった場所には、よく出没する。
どんなに駆除しようとも、何度でも新たに現れる。
まるで、黒い彼奴の様に。
だが、それも仕方が無いと言えば仕方が無い事。
こういった場所は整備され難く、常に警備するという事も困難である為、どうしても隙が生じる。
それ故に、一種の稼ぎ場として知られている。
まあ、「判っているのなら使うな」と言いたい所なのだが現実的には様々な理由から利用する者は減らない。
個人で、という事は滅多に無いのだが。
主に商隊──商家にとっては、こういった場所は重要。
“時は金なり”ではないが。
物資の輸送は出来るだけ、早く行いたい。
それが商売にも反映──いや、直結する為に。
「大人しく荷を置いていけば命だけは助けてやる」
そういった事情も理解している為、賊も殺しはしない。
生かしておけば、次回が期待出来る。
また、商隊の方にも「荷を渡せば助かる」と刷り込める。
これも一種の成功体験。
上手く行くからこそ。
最悪を想像出来る事だからこそ。
一度の経験でも大きく、深く、強く刻み込まれる。
──とは言え、そんな事は珍しくもない話。
はっきり言えば、人ではなくても遣っている事。
一度でも獲物を仕留めた場所を覚えている様に。
前に来た時との変化に敏感に気付く様に。
人に限らず、獣や鳥、魚や虫までもが。
あらゆる動物が、そういった学習をしている。
そして、それを記憶し、比較を行う。
だから、この程度は知性と呼ぶには拙い。
寧ろ、この程度の事を考えなければ出来無いのだから。
人は、人が思う程には賢くはないのかもしれない。
何故なら、人以外であれば警戒する所で、人は警戒よりも自らの欲が勝り、都合のいい考え方をするのだから。
「おいっ! 聞こえてんだろうがっ?!
さっさと其処を退かねえかっ!」
そんな状況にも関わらず、商隊に動きが無い。
怖れ戦き、足が動かない、という事は考えられる。
だが、誰一人として荷から離れようともしない。
その状況に、賊徒の一人が苛立った様に声を上げた。
判り易い威嚇──脅しだ。
手にしている剣の切っ先を向ければ更に威圧感は増す。
しかし、それでも誰も──目の前の商隊の者は動かない。
声を上げた賊徒以外も同じ様に苛立ち始めている。
──が、流石に一党を率いる頭目だけは違った。
この状況が可笑しいと疑問を懐いた。
そして、その疑問は直ぐに一つの結論を導き出す。
「────っ、…………ぁ゛?」
「手前ぇ等っ、さっさとズラかるぞっ!」と。
そう叫んだつもりだった。
いや、叫ぼうとしたが──出来無かった。
何かが声を出すのを邪魔したからだ。
それが何かを確かめようとした時、頭目は自身の違和感に気付く事になる。
視界の真ん中に線が有る。
──否、それは線などではなく──
自身の首から突き出した矢を認識しながら。
頭目は薄れゆく意識と共に力を失って崩れ落ちた。
「……あん? ──か、頭?」
その音に、近くに居た者が気付き──動揺する。
無理も無い。
何しろ、いきなり、一党の頭目が倒れたのだ。
勿論、急病等による急死の可能性も有り得るが……
その首に後ろから刺さった矢を見れば判る。
頭目が射殺されたという事は。
「────て、敵じゅ゛ぅ゛っ?!」
その者は慌てて声を上げたが、頭目と同様に射殺される。
それを目の当たりにして──賊徒達は怯えた。
同時に、指揮官を失い混乱する。
首という的にし難い場所を、態と狙う事によって。
その射手は、たった二射で賊徒達を恐怖に陥れた。
「──さあっ、狩り尽くせっ!!」
そして、商隊から目を、意識を背けた賊徒達に。
背後から叩き付けられたのは号令。
振り返った賊徒達が目にしたのは武器を握った商隊。
──否、商隊ではなかった。
初めから荷など積んではいなかった。
荷馬車の木箱や木樽から飛び出したのは兵士達。
次々と無防備な賊徒達に襲い掛かかって行く。
その先頭で舞うのは孫策。
握る剣を閃かせ、血花を咲き散らしてゆく。
「逃げようとする奴だけを狙え
一人も討ち漏らすな」
そう冷静に指示を出すのは、森の中に陣取る周瑜。
彼女こそが賊徒を混乱に陥れた射手である。
持ち前の器用さと冷静さが有ればこその技功。
孫策も下手ではないが、こうはいかない。
一撃の精度という意味では、周瑜の方が上。
威力なら孫策が勝るのだが。
こういった芸当は苦手としている。
弓を得意とする黄蓋としては教え甲斐の無い娘だ。
その為、つい、周瑜の方に熱心になってしまう。
そうなると、構って欲しくて悪さをするのが孫策。
結果、問題児化していったのは余談である。
今回の作戦は単純。
商隊に扮して賊徒達を誘き寄せ、挟撃し、殲滅する。
少数精鋭の弓隊を周瑜が率いて背後に回り込み仕掛ける。
その後、孫策が率いる商隊に擬装した部隊が襲い掛かる。
言葉にすれば、それだけの事なのだが──それが難しい。
しかし、こうして実際に成している。
それは間違い無く孫策と周瑜の存在が大きいと言える。
「まだ三度目だが、最早、賊徒では物足りぬな」
「まあ、予想内と言えば予想内か……」
夏侯淵の報告を聞きながら韓浩は苦笑する。
結果自体は良い事なのだが、悩ませる内容でもある。
何事も思い通りにはいかないものだが。
自分達の経験を尺度にしても、早過ぎる。
これでは成長というよりも、飛躍だ。
だが、韓浩の、夏侯淵の脳裏には思い浮かぶ姿が有る。
「龍の子は龍で、その番も龍って事か……」
言わずもがな、韓浩達にとっての龍は曹晧と曹操だ。
その子供である曹丕も次代を担う龍である。
本人にそういった意識が有る無しに関わらず、その血が、時代が、そうさせ、そう成らせる。
そして、それは曹丕だけではない。
曹丕と共に在ろうとする孫策と周瑜もまた龍である。
そう韓浩が比喩すれば、夏侯淵は小さく溜め息を吐く。
「他人事ではないだろう?」
「いや、半分、他人事だけどな」
夏侯淵からすれば娘の夏侯雲も、其処に含まれる。
当然、韓浩達の娘の韓羽も同様にだ。
だから、親としては頭が痛くなる。
孫策程ではないにしても、問題児が増えては困る。
困るが──どうしようもない事だとも言える。
それを察しているから韓浩は他人事の様に言った。
まあ、韓浩からすれば、それは曹丕の問題である。
曹晧と曹操が、自分達がそうである様に。
夫婦で支え合うべき事に口出しはしない。
──という建前で関わらない様にしたい。
下手に関われば睨んでくる娘達が恐いのだから。
その辺りを察しているから、夏侯淵も追及はしない。
自分達も夫婦間の愚痴を溢したりはするのだが。
曹晧を含め、夫達の方が愚痴は少ない。
彼是と気にし過ぎてしまうのは自分達の方が多いから。
それを理解しているから。
それが、夫達への信頼であり、甘えなのだから。
「はぁ……それで、次はどうする?
流石に他領の賊を討伐させるのは危ういだろう?」
「そうだな……」
切り替えた夏侯淵に合わせ、韓浩も思考を合わせる。
夏侯淵の言う様に、あの二人に経験を積ませる為なのだが賊が相手では好ましい成果だとは言えない。
弱い相手に慣れ過ぎてしまう事は悪手だ。
だがしかし、二人にとって、良い経験になる相手など──
「──あ、居た」
「そんな都合の良い相手なんか……」と。
そう韓浩自身も思っていたのだが。
唐突に、その相手が思い浮かんでしまった。
ただ……物凄く面倒臭い。
主に政治的な手続き等が。
だから、正直、遣りたくはないと思う。
個人的な意見・判断としては遣らないの一択だ。
しかし、これも二人の為と思えば……
「……いや、何で俺が?」と思ってしまう。
思ってしまった。
「その苦労は俺ではなく、朋炎様達がするべきだろ?」と言い訳をして無かった事にしたくなる。
──が、そんな思考を手に取る様に理解する夏侯淵。
韓浩の肩を掴み、言外に「言え」と笑顔で要求する。
夏侯惇が相手なら、誤魔化す手段は幾つも有る。
だが、夏侯淵が相手では御手上げである。
諦めた様に苦笑し、韓浩は溜め息を吐いた。
「洛陽には何度か行った事が有ったけど、長安は初めてで期待していたのにねぇ……」
「御前は長安に何を期待していたんだ……」
「えー、だって、厄介事が有りそうじゃない」
「はぁ~……そんな事を笑顔で言い切るな、馬鹿者」
孫策の言葉に右手で顔を隠す様にして溜め息を吐く周瑜。
それが冗談で言ってはいない事が判る。
付き合いの長さが故に判ってしまう。
だから、困る。
しかし、どうしようもない。
諦めて、溜め息を吐くしかない。
誰か、どうにか出来るのであれば、して欲しい。
誰でも構わないから。
「皇宮って思っていたよりも普通だったわね~」
「いや、普通の皇宮とは何だ?」
曹忠の感想に、韓羽がツッコミを入れる。
聞いている方も「確かに……」と思いながら。
同時に、曹忠の感想にも納得してしまう部分も有る。
「いえ、そういう事ではないと思いますが……」と。
ツッコミたい気持ちを抑えるのは楽進。
別に言っても問題にも為らないのだが。
あまり、その話題を広げたくはないのが本音。
如何に関係者枠に入っていても、楽進は平民。
今の生活環境が特殊なだけで、生まれ育ちは一般的。
それこそ、何処にでも居る様な普通の平民の少女だ。
だから、皇宮など普通は一生踏み入れる事が無い場所。
勝手に想像し、彼や是やと話をするだけで。
実際に目の当たりにする事など有り得ない。
──筈だったのだけれど。
其処に、お邪魔する事になった。
今、思い出しても記憶が曖昧な位に緊張した。
もう兎に角、緊張した事しか思い出せない位にだ。
だが、それが普通の反応だと思う。
そうだと思いたい。
だから、楽進は、この話題には触れたくはなかった。
「恋、寝るんだったら此方においで」
「……んにゅ……ん……分かった……」
馬車に揺られている以上に頭を揺らす呂布を見て、曹丕は自分の左足──太股を軽く叩いて招く。
その曹丕の右肩には夏侯雲が寄り掛かっており、右の太股には馬岱が頭を乗せて眠っている。
今更、一人増えたところで曹丕は気にもしない。
そんな柔な鍛えられ方はしていないのだから。
各々が各々の過ごし方をしている馬車の中。
その様子を見詰めているのは、馬尚を腕に抱いた馬超。
「……なあ、翔馬、アタシの気の所為かな?
今、物凄い面倒な状況じゃないか?」
「言うな、そして考えるな
気にしたら負け──と言うか頭が痛くなるから」
馬超の言葉に、馬洪は「視線も意識も向けるな」と言外に返すだけで聞かなかった事にする。
そんな馬洪の姿に「そうだよな~」と納得。
眠っている馬尚の顔を見て、癒される。
出来れば、この平穏が長く続く事を願いながら。
さて、今、どういった状況なのかと言うと。
曹丕達は馬洪達と共に洛陽・長安を経由して西涼に向かっている。
洛陽では曹丕にとっては大叔父になる劉宏達に会った。
勿論、疾うに面識は有るのだが。
皇宮に入る事は曹丕以外には初めての経験。
馬洪達でさえ、何度目かでしかない。
曹丕と、付き添う韓浩の回数が群を抜いているだけで。
──とは言え、曹家の屋敷では何度も会っている。
優しい小父さん。
それが大半の者にとっての印象でしかない。
ぶっちゃけ、皇帝という立場を理解している周瑜や楽進も劉宏達を相手に緊張はしない。
緊張したのは、皇宮という場所に対してだ。
だが、知らない場所だから、という訳ではない。
迂闊な言動は自分達の首を絞める事に繋がるから。
劉宏達は気にしなくても、その周囲の者達は違う。
余計な敵や怨恨・嫉妬を生まない為には要注意。
……まあ、そんな事を気にもしない者も居る。
誰とは言わないが。
──とは言え、洛陽では親戚の家に遊びに来た感じで。
周瑜や楽進も緊張しっ放しだった訳ではない。
楽しむ時には楽しんでいた。
問題らしい問題も起きなかったから。
それから西に向かい、訪れたのは長安。
馬洪も馬超も若い時に見た長安の姿が今でも印象強い為、子供達を近付けたくはなかったのだが……
表向きには、過去の悪印象が払拭された。
だが、人気の無い通りや夜になると話は変わる。
やはり、未だに長安に蔓延る闇は根深いと言えた。
それを孫策と周瑜だけは聞かされ、注意されていた。
孫策としては、「何それ面白そう!」なのだが。
流石に曹丕達を巻き込む事を考えれば、自分から飛び込む様な真似は自重した。
……曹丕達が居なければ?
人は、そう簡単には変わりはしないものである。
ただ、そうは言っても何も見えない訳ではない。
況してや、観察力や勘の良い曹丕達である。
長安の奥に潜む──漂う不穏な気配や雰囲気を感じ取り、洛陽ではしていなかった警戒をしていた。
その様子には馬洪達も感心したのだが……
やはり、何事も起きないという事は不可能だった。
勿論、子供達──孫策や周瑜にも気付かせずに、こっそり処理したのだが。
二人が愚痴を溢したくなってしまう位には、あの頃の様に長安は長安のままだった。
──という事が有り、今朝、長安を発った。
体調等に問題は無し。
護衛の同行者が二十名居るが、皆、状態は良好。
まあ、この程度で体調を崩す様な者は居ない。
そんな柔な鍛えられ方はされてはいないのだから。
「ねえ、冥琳、涼州って西側の玄関口なのよね?」
「ああ、そうだ
大宛や羅馬から遣って来る商人や旅人も居るそうだ」
そんな孫策と周瑜の会話が示す様に、目的地は西涼。
馬一族の治める地である。
馬超達にしても、馬岱が生まれる前に顔を出したきり。
馬岱が生まれてからは馬騰達が遊びに来ていたのが殆ど。
そう言う意味では、久し振りの里帰り。
馬洪にとっては婿入りをした家だが、まだ実家と言うには慣れ親しんではいない。
結婚前後から考えても殆ど居なかったのだから当然だが。
それ故に、変な緊張が有ったりする。
家族仲──義父母達との関係は良好なのだが。
やはり、その周囲との関係は稀薄なので。
何か遣らかさないかと気が気ではなかったりする。
如何に一族の姫君だろうと、馬超は御転婆娘。
本人の人望は確かだが、天然な分、根回し等の援護関係は全く期待が出来無いというのが本音だったりする。
長安から馬家の有る街までは残り半分。
──という所で、御約束の様に賊に襲われた。
護衛は武装しているが、人数が人数。
その上、移動に使っている馬車は曹家特製の大型。
人は勿論、荷も多く積み込む事が出来る。
それは外見──見た目からも想像が付く為、賊にとっては見るからに美味しそうな獲物となる。
「──ったく、少しは空気を読めよな」
そう言いながら愛槍を振って纏わせた氣を解けば、絡んだ血が地面に音を立てて落ちる。
倒した賊徒を見下ろす馬超の眼差しには苛立ちが滲むが、それも仕方が無い事だろう。
賊徒の斥候──獲物を探す見張り・見回り役が一行の姿を捕捉したのは中天を過ぎた辺り。
それから、仲間を呼びに行った者とは別に、ずっと一行の動向を監視していた数人が付かず離れず尾行していた。
当然、馬洪達は掴んでいたし、判っていて放置した。
潰すのであれば、一党纏めて。
一々相手にしていては手間も時間も無駄に掛かるから。
だから、襲ってくるのを待っていたのだが……
夕刻──日が傾き始めた頃には、監視役に本隊が合流。
だが、其処から暫く動かず──半分に分かれた。
その上、馬洪達が夜営を始めても動かず。
夜番を残し、寝静まって──漸く、である。
馬超が不機嫌になるのも仕方が無い。
「漸く寝付いた馬尚が起きるだろうがっ!」と。
赤ん坊の夜泣きの大変さを知らない可能性の高い賊徒共に殴りながら教えて遣りたくなるのも仕方が無い。
あと、自分の判断間違いの八つ当たりも含まれた。
一党が分かれる前、馬洪から「俺が潰して来ようか?」と提案されたのだが、それを馬超は却下していた。
「アタシも殺りたい」というのも有ったのだが。
建前上は、「曹丕達に万が一が有ってはならないから」と尤もらしい事を口にしていた。
だから、「あの時に……」と苛立ちながら後悔。
「さっさと襲って来いよ! 馬鹿なんだからっ!」と。
逆ギレしながらの迎撃戦となり、馬超が大暴れ。
まあ、それを見て、「スッキリしたかな……」と。
妻の苛立ちが収まるのを見て、馬洪は胸を撫で下ろす。
尚、当然ではあるが、子供達は熟睡している。
起こしてしまう様な失態は誰もしてはいない。
「夜襲をしてるのに、自分達が松明を持って近付くなんて馬鹿なんじゃないの?」
「確かに夜襲する側の優位を溝に捨てる様な愚行だが……
此処の周囲は傾斜もキツいし、足元も凸凹している
足を取られてしまえば声や音で気付かれる
だから、それなら──と開き直ったのだろうな」
この迎撃戦に参加していた孫策と周瑜が、そう話しながら足元に転がった賊徒の屍を蹴り転がして退ける。
曹丕達が寝ている間に一切の痕跡を残さずに処理するのは護衛を務める者達に任せるのだが、せめて片付け易い塵は自分達も手伝おう、という事で。
それも韓浩達の──曹晧達の教えである。
──が、「もう少し丁寧に……」と思わなくもない。
別に、「死者に対する冒涜だ」等とは言わない。
賊徒の屍だから構わないし、死ねば物でしかない。
人権は生きている、善良な民にのみ有るものだから。
二人の──特に孫策の言動を気にする理由は見た目。
要は、そういう姿を一般人が見たら、どう思うのか。
それを考えると、人目が無くても遣らない様にしなければ反射的に遣ってしまう可能性が有る。
だから、馬洪は軽く孫策に拳骨を落とし、言い聞かせる。
……周瑜? 周瑜の方は蹴ってはいなかった。
使っていた槍で突っついて転がしていたから。
それは……まあ、ギリギリで見逃せる。
周瑜は孫策に言い聞かせているのを聞いて自省するから。
後始末が終わり、朝まで寝直す。
文句を言っていた孫策だが、寝付きは良い。
曹丕が側に居れば尚更だ。
そして、今更、一緒に寝ていても何も言いはしない。
流石に抱き枕にしようとすれば周瑜が止める。
だから、遣っても添い寝まで。
勿論、周瑜も一緒だ。
二人で曹丕を挟んで寝るのは残業した御褒美の様なもの。
誰も咎めもしない。
文句を言う者が眠っていて居ないのだから。
「──にしても、涼州の治安も相変わらずだよなぁ……」
「まあ、東側は馬一族の影響が弱いからな……」
眠る前に馬尚のおしめを確認したら、仰向けになっている馬洪の傍に腰を下ろす馬超。
それに合わせて頭の後ろで組んでいた手を解いて、左腕を伸ばして馬超を迎える馬洪。
この辺りにも曹晧達の教育が活きている。
慣れてはいるが、それでも馬超は嬉しくなる。
馬洪の腕に頭を乗せ、身を寄せる。
すると、馬洪の左手が馬超の頭を撫でる。
少し乱暴に髪を掻き分ける指の感触。
擽ったくもあるけれど、それが心地好くもある。
正直、このままイチャイチャしたいと思う。
雑魚が相手でも、殺しの後は気が昂るから。
勿論、実際には口付けをして、抱き合う程度で我慢。
流石に、この状況で盛ったりはしない。
まだ、羞恥心を見失う程ではないのだから。
「出来る事なら、涼州全域を治めたい
けど、そうすると東側からの動きにも備えないといけない
一つ一つに対処する形でなら出来るんだろうけど……」
「実際には、そういう訳にはいかないもんなぁ……」
馬超の言葉に、馬洪が理想と現実の差を噛み締める。
正直な話、曹家は特殊だ。
比較対象とするには不適切だと言える。
まだ孫家の方が比較対象としては有りだろう。
それでも、馬家と孫家の差も大きい。
先ず、曹家との位置関係が違う。
隣接地である孫家の方が有事には援軍や援助が早く着く。
勿論、曹家の本気であれば涼州にでも可能なのだが。
それは飽く迄も、そこまでする必要が有れば、の話。
如何に縁戚関係に有っても、別家であり、別勢力。
馬家も孫家も、曹家の家臣ではないのだから。
次に、周辺環境の違いだ。
孫家が治める周囲は全て漢王朝の領土。
海には海賊が、長江流域には江賊が居るが、知れている。
海賊や江賊が孫家の領地ばかりを狙いはしないのだから。
だが、馬家の治める地──西涼は特殊だ。
先日、周瑜が話していた様に西側の玄関口であり、同時に漢王朝の防衛の最前線でもある。
それ故に、西涼の地では内乱は何処よりも重罪。
反乱した側は勿論、治める側も敗ければ終わり。
他では降格処分や解任で済む所が、御取り潰しになる事も珍しくはない。
それだけ、責任の重い場所である。
だが、涼州の難しさは内側にも有る。
涼州の東側は北東の砂漠地帯と、南の山岳地帯が厄介。
其処に古くから済む者達が居り、漢王朝には属さない。
その為、其方等も睨まなくてはならない。
つまり、涼州全域を治めるのは不可能に近い。
曹晧達なら出来たのかもしれないが。
馬洪達は今の自分達には荷が重いと判っている。
寧ろ、西涼だけとは言えど、其処を何代にも渡って預かる馬家の凄さを改めて思い知った。
「でもまあ、だからこそ、今回の件が少しでも皆の助けになれば俺達としても嬉しいんだけどな」
「心配するなって、そうなるさ」
「……そうだな」
能天気だの、浅慮だのと言われ勝ちだが。
馬洪は、馬超の明るさ──前向きさには随分と助けられ、支えられている自覚が有る。
自身は慎重で、後ろ向きな質だと判っているから。
時には躊躇無く踏み出せる馬超の引っ張りが頼もしい。
男しては少々情けなく思いもするのだが。
そういう質なのが自分なのだから仕方が無い。
だからこそ、馬超の存在は大きいと言える。
勿論、それは馬超にも言える事で。
自身の軽率さや後先考えずに動いてしまうのは悪癖である自覚は有るのだが、直し難い事でもある。
それが良い結果に繋がる事も少なくはないから。
だから、それを補ってくれる馬洪の存在は大きい。
馬洪の御陰で悪化する所を幾度、好転して貰ったか。
そんな馬洪が居るから、自分は臆さずに踏み出せる。
「「……──っぷっ、あはははっ」」
だから、ふと目が合っただけで通じ合う。
御互いに必要としている事は勿論なのだが。
今に到る、その始まりの地を、その出逢いを。
同じ様に思い浮かべていたのだから。
「とんでもない、じゃじゃ馬娘だったよな」
「其方こそ、ネチネチと口煩い陰険な奴だったっての」
「──でも、一目で忘れられなくなる美人だった」
「──でも、アタシと真っ向から向き合える男だった」
「……過去なのか?」
「其方こそ」
そう言って睨み合い──何方等ともなく唇を重ねる。
一度、火が点いてしまうと──仕方が無い。
ちゃんと、消火しなければ延焼してしまうから。
だから、これは仕方が無いんだ、と。
誰に言うでもなく、頭の中で二人は言い訳をした。




