三話 義心行基
人は環境により、その成長が異なるもの。
その中でも特に、価値観というのは影響され易い。
それ故に、犯罪者等の生い立ちや境遇から劣悪な環境や、裕福だろうと偏りの酷い家庭環境等が問題視される。
しかし、考えてみて欲しい。
どんな要因・理由が有るにせよ、犯罪者は自らの意思にて罪を犯しているのだという事を。
つまり、本来は犯罪者に言い訳をする余地は皆無。
それが正しい司法の在るべき形だと言える。
だが、罪を裁く者も人である。
そして、人は人でしかない。
過ちを犯さない完璧な人など居はしない。
その為、冤罪というものが生じる。
この冤罪を懸念するが故に、有罪確定の犯罪者が時として無罪放免となる事も有る。
有ってしまうのが、所詮は人が定めた法律の脆さだろう。
非論理的な矛盾だとも言えるのかもしれない。
さて、そんな訳で人は自らの意思にて行動する。
その基準は個々の価値観であり、個性に因る。
要するに、性格や気質次第だという事。
そんな性格や気質というものは幼い頃から表れる。
それこそ、生後間も無い赤子にさえもだ。
そんな性格等に注目されるのが年少組の二人。
夏侯雲は赤子の頃から、そうだったが好奇心旺盛。
好奇心が勝る為なのか、物怖じもしない。
しないが──その反面、危機意識が低い。
それ故に、夏侯丹・夏侯淵としては似た者同士とも言える孫策には近付けたくはないのが本音。
勿論、そんな事は言わないし、しないのだが。
気が合うというのも良い事ばかりとは限らない。
だから、夏侯雲には曹丕を意識して欲しい。
そう、心の中では切望している。
一方の馬岱は、いつも誰かの後ろに居る。
だが、決して臆病な訳ではない。
馬洪似なのか慎重なだけ。
だから、安全・安心と判れば馬超似の行動力を見せる。
──とは言え、まだまだ慎重さの方が目立つ。
その為、初対面・初見という状況では大人しい。
「人見知りなのかな?」という印象を持たれ易い。
しかし、身内だけならば歯に衣を着せぬ事も言う。
毒舌とまでは言わないが。
遠慮──いや、配慮の無い周瑜。
そんな風に評されていたりする。
尚、馬岱は曹丕の事は「御兄様」と呼ぶ。
曹丕に懐いている為、誰も注意もしないが。
兄妹の関係で終わる可能性が有る事を心配している者達が僅かだが居る。
まあ、「それが特別感を生むんですよ!」と熱弁する者も居たりもするのだが。
気が早い事……でもないのかもしれない。
幾つだろうと、女は女なのだから。
「──ん? 蒲公英?」
「──あっ、御兄様!」
「──っと、こんにちは」
「こんにちは~、えへへ~」
用事を済ませ、一人で歩いていた曹丕が庭の一つで一人で屈んでいた人影──馬岱を見付け、真名を口にした。
馬岱は直ぐに声のした方を向き、立ち上がって駆け寄り、曹丕の胸に飛び込む様に抱き付いた。
そんな馬岱を曹丕は苦も無く受け止める。
それも優しく、柔らかくだ。
到底、四歳の子供の芸当ではない。
──が、それは曹丕自身の経験が有ればこそ。
曹晧が、曹操が、そうしてくれていた様に。
今度は曹丕が馬岱にそうしている。
曹丕からすると、ただそれだけの事なのだが。
それが如何に凄い事なのかは本人が一番判っていない。
そういう意味では、龍の子は龍だと言えるのだろう。
「何をしていたの?」
「蟻さんを見てたの!」
曹丕の問いにそう言うと馬岱は手を引いて行く。
曹丕は逆らう事はせず、馬岱に従う。
地味な事だが、この受け身の姿勢は意外と難しい。
誰かが、何かに興味を持っている時、それを否定したり、注意したり、馬鹿にしたりせず、きちんと聞く耳を持つ。
それがどんなに相手にとって嬉しい事なのか。
曹丕は誰に言われずとも理解している。
曹晧も曹操も、曹嵩達も、韓浩達も。
皆が、当たり前の様にしてくれているから。
曹丕にとっては、それは考える様な事ではない。
しかし、殆どの人は意識していても出来無い。
つい、何かしらを言ってしまう。
大人に成れば、社会に出れば、経験を積めば。
どうしても、直ぐに成果や意味を求めてしまうから。
それが悪い意味での慣れだとは気付かずにだ。
そんな曹丕を馬岱は庭の一角、蟻の行列の所に連れて行き嬉しそうな眼差しを向けて屈み込む。
正直、曹丕には馬岱の感じている面白さは判らない。
ただ、曹晧にも似た様な一面が有った。
それを曹操は嬉しそうに見詰めていた。
勿論、その心中を曹丕が理解する事は出来てはいない。
しかし、自分には意味不明な事でも無価値とは限らない。
それを両親達からは沢山教えて貰っている。
だから、馬岱の行動を否定する事はしない。
「御兄様、御兄様は蟻さん達はどうして行列を作るのだと思いますか?」
「んー……仲間とはぐれない為、かな?
蒲公英はどう思うの?」
「蒲公英は、いつでも突撃出来る様にだと思います!」
そう自信満々な表情で答えた馬岱。
曹丕は「ん?」と首を傾げたくなる。
確かに蟻達にも敵は居る。
しかし、だからと言って常に反撃態勢を整えているのかと言えば違った筈。
それに、反撃であって、突撃ではない。
何故、常に突撃態勢を整えている必要が有るのか。
意味不明でしかない。
そう思いながら、曹丕は記憶の糸を手繰る。
自分も蟻の行列を見て、曹晧に訊ねた事が有る。
その時に教えて貰った筈だ。
…………うん、違う。
そんな事は一言も言われた覚えが無い。
……もしかして、あの時とは違う種類の蟻?
………………どう見ても同じにしか見えない。
──という思考を瞬時に行い、曹丕は馬岱に訊ねる。
「蒲公英、それは誰に教えて貰ったの?」
「春蘭様です!」
その一言に「あー……やっぱり……」と思う曹丕。
同時に、「コレ、秋蘭様に話さないと」と思う。
ただ、それよりもだ。
今の曹丕には、可愛い妹分の間違った知識という大問題が目の前に存在している。
報告すれば、それは正される事だろう。
しかし、その間に馬岱が他の誰かに話すかもしれない。
そうなると、恥ずかしい思いをするのは馬岱だ。
夏侯惇の事は曹丕が気にする事ではない。
だが、可愛い馬岱を悲しませる事はしたくない。
──となると、どうするべきなのか。
曹丕の選択肢は一つしかなかった。
「ねえ、蒲公英
蒲公英は蟻さん達が何に突撃すると思う?」
「………………御飯?」
「成る程ね、確かに御飯は大事だよね」
「ぅっ……これも否定し難いなぁ……」と。
胸中で曹丕は頭を抱える。
御飯──獲物を狩る為、となると何も可笑しくはない。
集団で狩りを行う蟻というのは存在するのだから。
見た事は無いけれど、そう聞いている。
しかし、目の前に居る蟻は狩りはしない。
巣を守る為に戦う事は有るらしいけれど。
それを馬岱に、どの様に伝えるか。
曹丕は悩みながら、言葉を選ぶ。
全ては可愛い妹分を悲しませない為に。
「済まない、翠、姉者が……」
「あー……うん、まあ、春蘭だしなぁ……」
深々と頭を下げる夏侯淵を前に馬超は苦笑する。
夏侯惇自身が目の前に居たなら、「春蘭っ! 蒲公英に何嘘を教えてんだよ!」と怒るのだが。
その夏侯惇は夏侯淵に折檻された後。
──いや、正しくは現在も真っ最中なのだが。
それを見た後、という事も有り、怒りは薄れている。
夏侯淵の容赦の無さを見たからだ。
まあ、妊娠中という事で御腹の子に障る事はしていない。
だが、夏侯惇自身には……というだけで。
曹丕から夏侯淵に報告され、夏侯淵が静かにキレた。
「判らないなら、判らないと言うのが当然だろう?」と。
笑っていない笑顔で説教が始まった。
一緒に居たから、曹丕からの話も聞いていた。
聞いていたが──自分よりも夏侯淵の憤怒が強かった。
それもあり、馬超の感情は直ぐに萎んだ。
寧ろ、夏侯淵から離れたかった位だ。
馬岱の事だから逃げられなかったが。
夏侯惇がガチ泣きしていても何も出来ず。
ただただ、夏侯淵の憤怒が鎮まるのを待った。
……終わったのかは、正直、微妙な所だが。
取り敢えず、自分としては夏侯惇を赦す。
赦すから、早く私を解放してくれ。
そう言いたくなるのを我慢し、飲み込む。
貰い火などしたくはないのだから。
「何か、大変だったらしいな」
「他人事みたいに……」
夏侯淵と別れ、帰宅した馬超は馬洪を睨む。
──が、立場が逆で有れば、馬超も他に言える事は無いと判っている。
判っているから、これは愚痴。
そして、愛する夫に対する信頼でもある。
まあ、自覚の有無は誰も追及はしない。
掘り広げた所で大して意味も無いのだから。
それはそれとしてだ。
既に曹丕が馬岱の間違った知識を正してくれている。
その為、態々掘り返す様な真似はしない。
しないが──親としては悩んでしまう。
難しいのは夏侯惇への対応をどうするのかだ。
流石に「春蘭の言う事は聞くな」とは言えない。
また、「他の誰かにも訊いてみろ」とも言い難い。
それでは「春蘭を信じるな」と言っている様なもの。
友人であり、家族であり、兄弟姉妹も同然。
そんな相手を悪く言う真似はしたくはない。
例え、夏侯惇の失態だったとしてもだ。
決して、悪気が有った訳ではない。
……まあ、「判らない」と言えない程度の見栄は有ったと思うのだが。
それは自分達にしても全く無い訳ではない。
その辺りの誤魔化し方の上手・下手は有るのだから。
──話を戻して。
馬岱に注意──いや、何かを言う事を躊躇う。
自分達が、「ああしろ」「こうしろ」と言うのは悪手だと判っているからだ。
馬岱に限らず、子供達の自主性──考える力を養う為には成功と同様に失敗の経験も重要。
それを判っているから悩む。
また、馬岱自身の今後の事も有る。
素直過ぎても困るが、疑い深くなっても困る。
その懸念が有るから、馬岱に何も言えない。
何かを言いたいが……言い辛い。
──というか、何を言えばいいのかが判らない。
「本当、子育てって難しいよなぁ……」
「簡単なら誰も失敗なんてしないと思うけど?」
「まあ、そうだよなぁ……」
「子育てに正解なんて無いよ」と。
そう、曹晧から言われてはいるのだが。
やはり、自分達の遣り方が良いのかは気になる。
気になり、考えてしまう。
それは自分達の為に、ではなく、馬岱の為に。
出来れば、ちゃんと正しくして遣りたい。
遣りたいが、その考え自体が既に歪んでもいる。
「子供の為に……」とは思いながらも。
実際には子供から選択肢や自主性を奪っている。
だからと言って、危ない事や間違った事を許容するという事も親として、大人としては非常に難しい。
本当に悩ましい事だと思う。
「……最近さ、自分の親の凄さを感じるんだよなぁ……」
「あー……その気持ち、何と無く判るよ
俺は翠よりは正面だったとは思うけど」
「ぐっ……心当たりが有り過ぎるから何も言えねぇ……」
抑、二人の馴れ初めは馬超が遣らかした事に始まる。
そこから、曹操と厳顔に嵌められた事は否めないが。
その時、二人の意図に気付きもしなかった。
──と言うか、あの時の馬超に至っては単に自分の事しか考えていなかった。
そういう意味では馬洪──当時の曹洪の怒りは正当。
今なら、自分の過ちを認められる。
「いや~、あの頃の私は若かったよな~」と。
そんな事を言えば、墓穴を掘るという事も判る。
判る様に成った。
だから、尚更に厳顔には頭が上がらない。
自分も親となり、子が居る身と成ったからこそ。
母の怒っていた理由や愛情が理解出来るから。
ただ、「でも、拳骨は無いよなぁ……」とも思う。
口には出さないが。
言えば、「言って聞くなら、直るなら楽だったがな」と。
自分に言刃が返ってくると判るから。
その為、夏侯惇の事も口煩くは言えない。
多少はマシだと、自他共に若かってはいてもだ。
馬岱の一件の翌日。
曹丕は廊下から部屋の中を覗く夏侯雲を見付けた。
静かには歩いているが、足音を消している訳ではない。
だから、注意さえしていれば曹丕──誰かが近付く事には容易に気付く事は出来る。
そんな様子が見られない、という事はだ。
余程、集中しているのだろう、と。
そう曹丕は考える。
その為、夏侯雲に声を掛けるか悩み……
──考えた結果、夏侯雲の後ろ、縦に頭を重ねる様な形で同じ様に覗き込んでみる事にした。
夏侯雲の視線の先──其処に居たのは夏侯惇。
「……え? また?」と。
曹丕が思ってしまったのも仕方が無い事。
何しろ、昨日の今日なのだから。
しかし、特に可笑しな様子は見られない。
棚に並べられた書や小物を手に取り確認している。
それだけで、怪しい行動はしていない。
だから、曹丕は内心、ホッとする。
──が、よくよく考えてみると可笑しかった。
何故なら、その部屋は夏侯惇の執務室ではないから。
書庫でもなければ、共用の部屋でもない。
それでは、此処は何処なのか。
其処は夏侯丹の執務室。
より正確に言うと、部外者との面会用の部屋だ。
ただ、夏侯丹だけの専用室という訳ではない。
主に夏侯丹が使用しているというだけで、他の者も使う。
当然、今、室内に居る夏侯惇も含めてだ。
そういう意味では、別に可笑しくはない。
──が、夏侯惇が誰かと面会するという話は知らない。
──と言うか、今日は自分達と一緒に昼を取る予定。
しかも、今日は非番だった筈。
そう、今朝会った時に韓羽が話していた。
だから、間違いは無い筈。
その為、安堵したのも束の間。
一転して不安が曹丕の胸に生じる。
そして、夏侯惇の事よりも夏侯雲の事が気になる。
伯母の不審な行動を見て、どう思うのか、と。
心配して視線を落とせば、見上げる視線と重なる。
……どうやら、心配の必要は無かったみたいだね、と。
好奇心に瞳を輝かせる夏侯雲を見て、そう思う。
──とは言え、見てしまった以上は無視も出来無い。
それに相手は自分達を害する様な人ではない。
──という事で声を掛けてみる事にする。
「春蘭様?」
「──っ!? しし獅琅?! 星も?!
どどどどうしたんだ?!」
……どうしよう、怪しい以外の可能性が無い。
曹丕は動揺する夏侯惇
を見ながら、そう思う。
そんな曹丕が一瞬の逡巡の間に夏侯雲が前に出た。
「伯母様……いえ、夏侯元譲、全て判っています」
「──っ!? な、何の事だ?」
夏侯雲と夏侯惇の遣り取りに曹丕は既視感を覚える。
「何だったっけ?」と記憶の糸を手繰る。
そして、思い出す。
田静が書いた物語が元の舞台だと。
確か、”探偵“という事件や謎を解く人物が主役の話。
曹操が監修した事も有り、見た事が有る。
曹晧は苦笑していたけれど。
曹操がとても饒舌だった事は印象的だ。
当然、今も上演されている大人気の演目。
その真似を、夏侯雲は遣っているのだろう。
……それに付き合っている?
……………………素か演技か判らないなぁ……
「普段、入る事の無い、この部屋……
其処で、先ず気にする事の無い棚を調べている
何も無ければ、そんな事はしませんよね?」
「そ、それは……そうだな
だが、私は汚れているのか気になってな」
「雑巾も叩きも持たずに、ですか?」
「ま、先ずは汚れを確認していたんだ
これから道具を取りに言って──」
「──嘘ですね」
「──っ!? な、何を根拠に……」
「汚れが目に付き、確認していたのだとして……
何故、確認した後で元に戻すのですか?
気になる位には、汚れているのですね?」
「──っ!!」
「掃除をするつもりなら、戻す必要は有りませんよね?
元に戻したという事は、掃除をするつもりは無い
そう貴女の行動が証明しています!」
そう言い切り、夏侯雲が夏侯惇を指差す。
すると、夏侯惇は顔を強張らせ、黙り、睨み合う。
暫しの沈黙の後、夏侯惇は瞑目し、天を仰いだ。
そのまま膝から崩れ落ち、項垂れる。
夏侯雲は歩み寄ると、夏侯惇の肩を優しく叩く。
「過ちとは誰しもが犯すもの……
けれど、過ちを認める事が出来無い者は人ではない
人は過ちを悔い、反省し、罪を償い、遣り直すのだから」
「……星ぃぃ……」
「さあ、法の下に裁きを受けましょう
そして、遣り直しましょう
貴女の人生はこれからなのですから」
……うん、多分、そんな大袈裟な事じゃないよ?
そう思ってはいても、口には出さない。
何だかんだで夏侯雲が満足そうだから。
後、部屋の入り口に夏侯淵が居るから。
夏侯惇からは死角で見えないんだろうね。
「取り敢えず、星を連れて離れよう」と。
曹丕は誰に言われる事も無く決断する。
その後、何が有ったのかは曹丕は知らない。
知りたいとも思わない。
何と無く、どうでもいい事だったのだろうと思うから。




