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ブラックベイン―狂暴×悪辣―  作者: 平行月
第1章 口を奪う怪異
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第6話 飲む人を見ないと

 ミルの中で、豆が砕ける音が乾いて響いた。


 紗希の手元では、選ばれた豆が規則正しく削られていく。細い指がハンドルを回すたび、苦味の奥に甘さのある香りが少しずつ立ち上がった。


 その隣では、恭介が別の缶を開けている。


 選び方からして雑だ。蓋を開け、香りを嗅ぎ、なんとなく気に入ったものを手元へ寄せる。

 さっきまで怪異を喰っていた男が、そのままの手つきでコーヒー豆を扱っているのに、本人だけは何の違和感も持っていない。


 レンはカウンター席からその対照を見比べながら、ふと視線を恭介へ寄せた。


「さっき、アンタ……」


 そこで一拍止まる。


 言い直す。


「……いや、恭介が食った怪異」


 言いかけたところで、ポケットの端末が短く震えた。


 レンは画面を一瞬だけ確認し、すぐに伏せる。


 恭介はケトルの取っ手に手をかけたまま、ちらとだけレンを見た。


「あれがどうした」


「あれ、とある学校から逃げてきた個体だって報告が入った」


 恭介は「あっそ」とでも言いたげな顔で鼻を鳴らし、すぐに興味を失った。


 だが、豆を挽いていた紗希の手は止まる。


「報告、ですか?」


「どこからの報告かは、ごめん。企業秘密」


 レンの言い方は少し柔らかい。けれど、そこには本当に線が引かれているのだと分かる口調だった。


 紗希はそれ以上は詮索せず、視線だけで続きを促す。


「んで。その高校から湧いてる怪異なんだが、共通点がある」


 恭介は豆を量る手を止めずに、耳だけを向ける。


 紗希はミルの蓋を押さえたまま、まっすぐレンを見た。


「やつら、“口を奪う”って話だ」


 店の空気が、一段だけ静かになった。


 紗希は何も言わない。

 恭介も口を挟まない。


 ただ、二人とも作業を止めないまま、レンの次の言葉を待っていた。


 その待たれ方。

 というか、彼らの平常心に対し、レンは少しだけ目を細める。


「実際、さっき被害者が出た。命に別状はないらしい。これも今来たばっかりの情報だが、どこからの報告かは伏せさせてくれ」


 レンは端末をポケットにしまう。


「文字通りに口が無くなってたわけじゃない。けど、声が出ない。呼吸も浅い」


 先ほど夜道で見た女子生徒の顔が、頭の中に一瞬だけよぎる。


 口元を押さえ、目は開いているのに焦点が合わず、助けを呼ぶ形だけが喉の手前で潰れていた。


「口があるのに、口として機能してないみたいな状態だった。要は、口の“金縛り”だ」


 紗希の視線が、少しだけ鋭くなる。


 恭介は変わらず無表情だが、さっきまで雑に動いていた手がほんの少しだけ遅くなった。


 レンはそこで、一度だけブレーキを踏むように息をつく。


「……本来、一般人にこういうこと聞くのはご法度なんだが」


 言いながら、まず紗希を見る。


 制服。包帯。エプロン。


 そして、怪異の話を聞いて逃げない目。


 次に恭介を見る。


 怪異を素手で掴んで、血を流しながら喰う男。


「君ら、見た感じ普通じゃないだろ」


 先に反応したのは恭介だった。


「ひでえ言い草だな。失礼な奴!」


 豆をざらりとペーパーフィルターへ落としながら、嫌そうに言う。


「化け物を追っかけながら入店してくる奴の方が、よっぽど普通じゃねえのにな」


「怪異を喰うやつにだけは言われたくねえよ」


 レンが軽く返す。


 そこで初めて、恭介の口元が少しだけ歪んだ。笑った、というより、ようやく会話の一部としてレンを認めた顔に近い。


 紗希はそのやり取りを挟まず、じっとレンを見ていた。


 レンは視線を彼女の制服へ少しだけ落とす。


「そして、その学校ってのは――」


「ああ、分かってますよ」


 言い切る前に、紗希が受けた。


「私の通ってる御堂高校のことなんですね」


 その返しは落ち着いていた。


 驚きではない。確認だった。


 レンはその表情を見て、彼女がこの話題にまったく心当たりのない人間ではないと改めて理解する。


 カウンターの上では、豆の香りが少しずつ濃くなっていた。

 紗希はミルの蓋を閉じる。横に置いてあったメモ帳へ一度だけ視線を落とした。


「心当たり、あるんだね」


 今度は軽く流す声ではなかった。


 仕事の話に戻った時の、低く抑えた声だった。


 紗希はメモ帳を閉じる。


 ぱたん、と小さな音がして、店の静けさの中へ落ちた。


「あります」


 答えは短い。


 けれど、その短さの中に、曖昧に済ませる気のない感じがあった。


 レンが次を待つ。


 紗希はそこで、ほんの少しだけ恭介の横顔を見る。恭介は豆の粉をならしながら、適当に鼻を鳴らしただけだった。


「でも、ここで話すより。別の機会に、ちゃんと話した方がよさそうです」


 言い方は穏やかだ。


 だが、先延ばしのごまかしではない。話すつもりはある。そのうえで、今はこの場じゃない、と決めている声だった。


「……そっちの兄ちゃんが聞く気なさそうだから?」


 カウンターの奥で、恭介がようやく反応した。


 ドリッパーから顔も上げずに口だけ動かす。


「学校の細けえ話されても腹は膨れねえだろ」


 紗希が呆れ半分で眉を下げる。


「ほら。こういう感じなんですよ」


「どういう感じだよ」


「怪異そのものには食いつくのに、その前段階の人間側の話になると途端に雑になる感じです」


「面倒くせえんだからしょうがねえだろ」


「しょうがなくないです。そういうところです、先輩」


 レンはそのやり取りを見ながら、ひとつ息を吐いた。


 たしかに、初見のレンでも何となく分かってしまう調子だった。


「そんなわけで、私は少し前から、誰に話すべきか迷っていたんですよ。……そこに、ちょうど相馬さんが来てくれました」


 紗希は改めてレンへ向き直る。


「話しぶりから察するに。私の通う高校に興味がおありなんですよね、相馬レンさん?」


 首元の白い包帯が、店の灯りの下でやわらかく浮いていた。


「明日、よければご一緒しませんか? 調査をお手伝いしますよ」


 丁寧な言い方だった。


 けれど、接客の延長みたいな軽さではない。約束として渡してくる声音だった。


「でもいいのかい? 確かにそういう仕事の一環ではあるんだが。部外者を、そんな気軽に……」


 実際、御堂高校は調査対象だった。

 そのための手筈・根回しは進行中だったが、話が早まるほうが都合がいい。


 紗希はレンの表情を見て、くすりと笑う。


「伊達酔狂だけが理由じゃないんです。本当にね」


 その言葉だけで、十分だった。


 レンは余計な相槌を打たない。


 その重みが店の中に落ち切る前に、恭介が横から割り込んだ。


「で。デートのお約束はいいとして」


 ケトルを置く音。


 次いで、二つのカップがカウンターへ並べられる。


「コーヒー勝負はどうなった」


 紗希は一瞬だけ呆れた顔をしたが、すぐに切り替える。


「そうでしたね」


 二人がそれぞれのドリッパーへ湯を落とす。


 紗希の方は静かだった。豆の膨らみを見ながら、細く一定に湯量を調整している。


 恭介の方は強引だ。勢いがあり、見ているだけで「濃そうだな」という印象が先に来る。


 やがて二つのカップが、レンの前へ置かれた。


「俺、全然詳しくないんだが……」


「大丈夫ですよ」


 先に返したのは紗希だった。


「むしろ詳しくない人の方が、こういうのは分かりやすいです」


「そういうもんなのか?」


「そういうもんです」


 恭介は不服そうに鼻を鳴らした。


「適当言ってんじゃねえぞ」


「言ってません。先輩は黙っててください」


「何でだよ」


「自分の負け筋を増やすからです」


 レンは苦笑しそうになりながら、まず一杯目へ口をつける。


 強い。


 苦味も香りもある。だが、飲み込んだあと、口の中で何かが噛み合っていない感じが残った。


 次に、もう一杯を飲む。


 こちらは派手ではない。だが、苦味が素直に喉へ落ちて、飲んだあとに少し息が抜ける。仕事の合間に手を伸ばしたくなるような、“普通にうまい”方の味だった。


 レンはカップを置く。


「……こっちだな」


 そう言って、二杯のうち片方を指した。


 恭介がすぐに顔をしかめる。


「理由は」


「詳しくないって最初に言っただろ」


「いいから言えよ」


 レンはもう一度、自分が選んだ方のカップを見る。


「そっちは、なんか……口の中で喧嘩してる」


 恭介が露骨に嫌そうな顔をした。


 対して紗希は、ほら見たことかという顔をする。


「もう片方は、馴染みがある。暖かくて、飲みやすい。理由は分からんが、俺はこっちの方が好きだ」


 紗希が小さく、しかし確実に勝ち誇った顔をした。


「先輩のは、強い豆同士を正面からぶつけすぎです」


「濃い方がうまいだろ」


「濃ければいいってものじゃないんですよ。混ぜれば増えるってものでもないですし、相性の悪いものは普通に喧嘩します」


 その言い方には、妙に確信があった。


 ただのコーヒーの話をしているはずなのに、レンにはその言葉が少しだけ別の意味を含んでいるようにも聞こえた。


 紗希はさらに得意げに胸を張る。


「レンさん、たぶん普段飲み慣れてるのって、こういう深煎り寄りの味ですよね」


 そう言いながら、自分のカップの方へ視線を落とす。


「先輩は、もっと真面目に接客すべきですよ。人を見てなさすぎです」


「コーヒーに接客も何もあるかよ」


「あります。味だけ見ても駄目です。飲む人を見ないと」


「分かるかそんなもん」


「分かります。分からないから新品のエプロンを血拭きに使うんですよ」


 恭介が一瞬だけ黙った。


 痛いところを突かれた顔だった。


 レンはそのやり取りを見て、ほんの少しだけ肩の力を抜く。


 学校の話はまだ終わっていない。


 けれど、明日ようやく始まるのだろう。


 紗希が空いたカップへ手を伸ばしながら、あらためてレンを見る。


「じゃあ、明日」


 声音はまた、少しだけ落ち着いていた。


「放課後でいいですか?」


 レンは頷く。


「ああ」


「分かりました」


 紗希も頷き返す。


 その横で恭介が、まだ不満そうにカップを睨んでいた。


「……俺のも別にまずくはなかっただろ」


「まずいとは言ってません」


 紗希は即答した。


「喧嘩してただけです」


 レンは思わず、喉の奥で小さく笑った。

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