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ブラックベイン―狂暴×悪辣―  作者: 平行月
第1章 口を奪う怪異
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第19話 内側に残った傷

 検索結果の列へ視線を落としたまま、レンはしばらく動かなかった。


 さっきまで紗希の斜め後ろで、入口と端末画面の両方を同時に見ていた目つきが、そこで少しだけ止まる。何かを聞き逃さないように周囲へ張っていた意識のうち、一部だけが別の方向へ引かれたみたいな止まり方だった。


 端末が、短く震えている。


 音はほとんどしない。


 図書室の静けさの中でも、耳で聞くというより、机越しに伝わる微かな振動として分かる程度だ。


 紗希は検索欄へ指を置いたまま、横目でレンを見る。


「何か来ました?」


 レンはすぐには答えなかった。


 端末を裏返しに置いたまま一度だけ指先で引き寄せて、画面の端だけを見る。文章を全部読むような動きではない。差出人と一行目だけを拾うような、仕事の時の目だった。


「……ちょっとな」


 それだけ言う。

 声色は変えていない。


(嘘がうまいようで、ちょっと下手なんですね……)


 少しずつだが、レンの性格を紗希も掴みかけてきていた。

 画面へ視線を戻しながら、軽く言う。


「さっき話してたでしょう。図書室で調べてくれてるのもありがたいんだが、こっちのバックには“専門家”がいるもんでね」


 紗希が小さく瞬く。


「専門家」


「そっちにも調査を頼んでる」


 レンは端末を軽く持ち上げる。


「だから、踏み込んだ情報が返ってくる可能性がある」


 紗希はそこで、ようやく納得したように頷いた。


「レンさんの、職場のお話ですね?」


 レンは肩をすくめる。


「まあ、そんなとこ」


 否定しない。


 けれど、そこで説明を始める気もない。今この場で広げる話じゃないのだと、その短さだけで分かる返しだった。


 図書室の奥で、誰かが本を閉じる音がした。


 ぱたん、と乾いた小さな音。


 それだけで、今この場がまだ普通の学校の中にあることを思い出す。思い出すのに、端末を見たレンの空気だけがそこから半歩ずれたままだった。


 紗希は、画面の中の文字列へ目を戻す。


 教師家族。


 事故。


 雛。


 断片の重なりは、ようやく輪郭を持ち始めている。ここで手を止めたくはなかった。


 レンが椅子の背から体を少し起こす。


「悪い、ちょっと外す」


 短く言った。


 紗希はそこで初めて、きちんと顔を上げる。


 呼吸はまだ完全じゃない。喉の奥の違和感も残っている。けれど、思考の方はもう戻っていた。だからこそ、ここで一緒に動くより、自分は自分でこのまま検索を続けるべきだとも分かる。


「私は続けてます」


 即答だった。


 レンが眉を上げる。


「一人で大丈夫か」


 その問いに、紗希は少しだけ間を置く。


 “絶対大丈夫”とは言えない。さっきまでのことがある。けれど、だからといって一緒に立つ必要があるかというと、それも違う。


「図書室ではお静かに、ってルールがありますし」


 少しだけ肩をすくめる。


「犯人も手荒なことはしないでしょう。多分」


 レンは半眼になった。


「その“多分”が怖いんだよ」


 そう言いながら立ち上がる。


 立ち上がったあとも、すぐには歩き出さない。端末をポケットへしまいかけて、そこで一度だけ手が止まった。


 ほんのわずかだ。

 けれど、紗希はその間を見逃さなかった。


 レンは内ポケットへ手を入れ、小さな折りたたみナイフを取り出した。金属の光は鈍い。いかにも武器という大きさではないが、文具よりは明らかに重い種類の道具だった。


「一応、これ持っといて」


 差し出されて、紗希は一瞬だけ目を瞬かせる。


「……おお、ナイフですか!」


「ちょっ、一応グレーなことしてんだから、大声出さないで」


 レンは先を宥めるように、両の手を開いて見せた。


 そして、小さく咳払いをする。


「……護身用。コトが終わったら、返してくれよな」


 レンは一言だけ添えた。

 だが、そのまま少しだけ目を逸らした。


「ちょっとね。情けない話なんだけど、今の俺は君を守れそうにないんだ」


 そこで一拍置く。


「少なくとも、半日くらいは」


 紗希はナイフを受け取る前に、レンの顔を見た。


「ああ、さっきの斧ですか」


 レンの口元がわずかに引きつる。


「……勘がいいな」


「なんらかの“制限”を踏んでしまったんですね」


 紗希は静かに続ける。


「で、秘密にしておきたい。そんな感じですか」


 レンはそれ以上何も言わなかった。


 紗希はそこで初めてナイフを受け取る。冷たい。軽すぎはしない。握れば、ちゃんと“道具”の重みがある。


「そんな能力を持っている人、見たことがあります」


 ぼそりと落とす。

 レンが眉を上げた。


「なんだよ、“フィアー能力”、知ってたのか」


「いえいえ。詳細は知りませんよ。それっぽいものに心当たりがあるだけで」


 少しだけ肩をすくめる紗希。

 レンは少し首を傾げてから、視線を泳がせる。


「渦眼っていう眼を持ってる人間が、恐怖を自分のものにしたとき、形にできるんだ」


 そこで一度、言葉を選ぶように間を置いた。


「怪異は、恐怖が外に出て固まったもの。フィアー能力は、その逆に近い。人間の中に残った恐怖が、そいつの持ち物になったものだ」


 レンは少しだけ言葉を探す。


「雑に言えば、外に出た傷か、内側に残った傷かの違いだな」


 そこで、レンは端末を持ち直しかけた手を止めた。


「……まあ、口で言っても分かりづらいか」


 軽くそう言って、顔を少しだけ上げる。


「これが渦眼だ。怪異もこいつで固定しなければ干渉できないし、フィアー能力で具現化した恐怖も、こいつで固定しなければ露と消えるってわけさ」


 紗希は目を瞬く。


 レンの瞳の奥で、青白いものがゆっくりと揺れた。


 光、というより、色のついた深みだった。


 瞳孔の奥に、細い渦がとぐろを巻いている。水面に落ちたインクが沈まずに留まり続けているみたいに、青白い線が幾重にも重なって、静かに回っていた。


 派手ではない。

 けれど、一度見たら見間違えようがない。


 人の目のはずなのに、そこだけ別の深さがある。


 紗希は、思わず息を止めた。


「……ほんとに、渦なんですね」


「でしょ」


 レンはあっさり言って、すぐに目を伏せる。


 青白い渦は、その動きに合わせてふっと薄れ、いつもの落ち着いた瞳に戻った。


「手品は終わり。話すと長くなるから、この辺でいいでしょ」


「今ここで君らに話す筋のことじゃない」


 紗希はナイフを机の端へそっと置く。


「そうですね。関係ないですし」


 それから、レンの端末を軽く見た。


「“通信相手”、お待たせしてるんですよね」


 少しだけ笑う。


「行ってらっしゃい。朗報、お待ちしてます」


 レンはその返しに一瞬だけ口元を緩めた。


「先輩より物騒ですね、レンさん」


 紗希が付け足すと、即座に返る。


「あの男と一緒にするなよ……」


 その返しに、紗希は短く笑う。笑うとまた喉が少しひりつくが、もう我慢できないほどではない。


 レンはそれを確認してから、図書室の入口へ視線をやる。


「無茶はするなよ」


 今度はさっきより少しだけ真面目な調子だった。


 紗希はナイフを机の端へ寄せ、端末画面へ向き直る。


「多分しません」


「信用ならねえな」


 レンはそう言って、ようやく踵を返した。


 図書室の入口まで行って、そこで一度だけ振り返る。


 紗希はもう画面の方を見ている。検索欄にカーソルが点滅している。机の上には小さなナイフ。図書室は静かで、何も起こっていないみたいな顔をしていた。


 レンはその静けさを一瞬だけ睨むように見てから、何も言わずに出ていく。


 扉が閉まる音は小さかった。




 そのあとに残った静けさだけが、さっきより少し不穏に見えた。

 そして、自嘲気味に、くすっと笑う。


(まあ、見たこと自体はあるんですけどね、渦眼とかいうの。正式名称は初めて聞きましたが)


 点滴を背景にした、“あの夜”から側で見続けてきた、青白い光を宿す瞳。

 常盤恭介も同じ眼を持っている。


 それを口に出さなかったのは、何となく。彼女の気まぐれである。


 相馬レンという青年は、言っていないことが多すぎる。

 ならば私も、と。半ば悪戯めいた心持ちで、いくつか伏せている情報があるのだった。


 紗希は画面を見つめたまま、ふと指を止める。


「しっかし。フィアー能力、ねえ……」


 小さく呟く。


「先輩の“喰う”のは能力じゃないって、本人が言ってましたけど」


 そこで、検索結果の列へ視線を落とす。


「“ひな”って、実は怪異じゃなくて、フィアー能力だったりするのかな?」


 言ってから、紗希はすぐに小さく首を振った。


「……決めつけるのは、まだ早いか」


 怪異。

 フィアー能力。

 あるいは、その中間。


 名前を先に置くと、見たい形に寄ってしまう。

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