第83話 トイレの神様と資本主義の精神
ある日のこと。
学校の、とある用事をすませたクレアは、帰りがけに女子生徒たちがこう言っているのを聞いた。
「今日はトイレ掃除の当番だ、トイレ掃除は嫌だなあ」と。
学校のトイレは水洗式。他領のトイレとは比較にならないくらいトイレ掃除は楽だ。
それでも子供達はトイレ掃除を嫌がるんだなあ、と苦笑を浮かべ、クレアは生徒達に声を掛けた。
「あのな、トイレには、それはそれはきれいな、めが---天使様がいるんや
で」
シバス辺境伯領を含めたバルト王国の宗教は一神教。女神さまはいない。
「だから毎日きれいにしたら、天使様みたいにべっぴんになれるんやで」
ところで、なにゆえ関西弁?
「トイレ掃除だけやない。他のお手伝いも、お勉強も、お仕事も、神様がしっかりと見ているんやで。
なんで神様が見ているかというと、それは、神様が与えてくれたお仕事だからやで」
「私、べっぴんさんになりたい」と女子生徒。
「それじゃ、トイレ掃除、きばらなあかんで。トイレ掃除だけやない。今のあんたらに、神様が与えてくれたお仕事は勉強や。きばって勉強しいや。神様はちゃんとみてくれてはるで」
なぜ、関西弁を続けるの?
それから別の日のこと。
クレアは、以前トイレのめが---天使様の話を聞かせた女子生徒から、思いがけないことを尋ねられた。
「クレア様は領主様の奥様ですよね。なんで他の貴族様みたいに贅沢な服を着たり、宝石を買ったりしないのですか」と。
他の貴族のことを知っているということは、この子は辺境伯都から来た子なのか。あるいはこの子の親が家庭でそう言っているのを聞いていたのか。
クレアは、どのように答えようかと考えた。実際のところは、領内開発の投資が嵩み贅沢品を買える余裕がないためなのだが、それを正直に言うのも良くない気がする。
「あのな、カナちゃん」
なにゆえカナちゃん?
「トイレの天使様のお話をした時に言うたやろ、お仕事は神様から与えられたものやでって」
再び関西弁モード。
「そのお仕事で稼いだお金は、いうてしまえば神様からもらったお金と一緒や。大切にせなあかん。大切に貯めて、次のお仕事のために使わなあかん。それで、次のお仕事でまたお金を稼ぐんや」
「お金を稼ぐのっていいことなの?」
「人を騙したりして稼いだらあかん。せやけど、お仕事をして稼ぐのはとてもええことや。お金を稼ぐということは、神様からもらったお仕事を一生懸命にやったという証やで」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この「トイレの神様の話」は、イスタン領初等学校の教材となった。
また、この話を基にして吟遊詩人によって作られた「トイレの神様」の歌が、「炎の聖女 クレア」の絶大たる人気を背景として、イスタン領で爆発的なヒットとなった。
このことが、あらゆる仕事(職業)は神聖なものであるという勤勉の精神と、禁欲による資本蓄積という結果をもたらし、いわゆる「資本主義の精神」を育むことになった。
さらに特筆するべき点として、トールがイスタン領で成立させた「形式合理性」が挙げられる。
形式合理性(例:法による支配の確立ならびに裁判の公正化、複式簿記の義務化、官僚制の成立等)の成立により、蓄積した資本を合理的に投資することが可能となったことから、先に述べた資本主義の精神の成立とあわせて、「勤勉・禁欲→資本蓄積→投資→拡大再生産」のループが完成し、これが近代資本主義の成立をもたらすこととなった。
これに対して、イスタン領の近代資本主義化は領主主導によるものであり、「トイレの神様」がもたらした資本主義の精神を重要視する必要はないという見解が一部にある。
確かに、初期段階におけるイスタン領の発展は領主主導型で行われ、これについては資本主義の精神が関与する余地はないと考えられる。
しかしながら、事業の民間への払い下げ等による民間資本主義へのソフトライディングを果たし、その民間資本が「勤勉・禁欲→資本蓄積→投資→拡大再生産」のループを継続したことについては、資本主義の精神がファンダメンタルに影響をもたらしたと考えるべきである。
さらに決定的であることは中間層の資本形成が起きたことである。
民衆が勤勉・禁欲による資本の蓄積を行い、これを投資、拡大再生産のループにのせたことにより、領主主導で成立した巨大独占資本(巨大企業)を脅かす資本(企業)が成立した。
このことにより、資本主義が大きく発展したことについては否定の余地が全くない。
この中間層における資本形成は、「トイレの神様」がもたらした資本主義の精神が不可欠であったことは間違いなく、ひいては、資本主義の成立・発展は「トイレの神様」なくしてはなしえなかったものであると考えるべきである。
社会学部教授 馬克斯·韋伯 論文集より抜粋




