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I'll  作者: ままはる
第八章
87/114

87.早朝のランニング







 蒼風国からイシュタリアのグリーンヒルへと渡ってきたばかりのリズは、そこからどうしていいのかわからず、ただ吉良の到着をぼんやりと待っていた。


 しかし1週間が経つ頃には、このままではいけないと思い至り、考えた。

 吉良が残してくれたお金で当面の間は凌げるものの、余力があるうちに見通しを立てなければ動けなくなってしまう。


 吉良が遅れて到着した場合、必ず出会える場所は、彼が望んだグリーンヒルの剣士隊の中であろう。


 剣士隊には練習生の制度があり、リズの所持金で練習生になることはできた。

 練習生になれば宿舎に入れるので、寝る場所と食事の心配はなくなった。


 問題は、今まで屋内で本ばかり読んでいた少女が、完全肉体労働の剣士などになれるのか、ということである。


「はぁ……はぁ……っ!」


 まだ日も昇りきらない薄闇の中、リズは顔を上げ、まるで水中で溺れているかのように空気を求めて喘いでいた。


 苦しくて堪らず、リズは走っていた足をゆっくりと止める。

 肩を大きく上下させ、肺に空気を送り込んでいった。


「はっ……情け……ない……っ」

(……まだ、走れる……!)


 自分自身を奮い立たせ、重たい両脚を前に投げ出して走る。

 一定のリズムで走りながら、リズは頭の中で昨日の訓練の復習をした。


 剣の握り方、足の踏み出し方、呼吸、目線ーーこれは自分自身でも意外であったが、リズはまるで乾いたスポンジのように師範の教えを吸収していった。


 更にただ師範の真似をするだけではなく、それを超える瞬発力とセンスを備えていた為、初めはひたすらリズを馬鹿にしていた同期たちも、次第に彼女に一目置くようになっていた。


 リズの剣の腕は、天賦の才である。

 目下の課題は、体力と腕力。

 とにかくリズには体力が無い。なのでこうして毎朝、訓練が始まる前に走ることに決めている。


 先週までは宿舎の近くのランニングコースを走っていたのだが、妙な男に目を付けられたので、もうそこを走るのはやめた。


 土地勘は無いので、適当な道を適当に走る。今日は1日訓練は休みなので、行けるところまで向かってみることにした。宿舎に居たところで、リズとまともに会話をしてくれる相手はほとんどいないのだ。


「はぁ……はぁ……」


 再度足を止め、流れ落ちる汗をタオルで拭う。そして周囲を見渡した。


(……あんまり良くない場所かも……)


 壁にはよくわからない落書きが増え、道端のゴミにはネズミが群がっている。建物のガラスも割れていて、どこからか漂ってくる臭いも不快だ。


 リズはそこでようやく、グリーンヒルの街の構図を思い出した。

 貧富の差が激しいこの街は、城の周囲には富裕層が暮らし、そこから離れるほど貧しくなる。つまり城から離れれば治安は悪くなるのである。


 明日からは走る場所をもう少し考えようーーそう思いながら、宿舎へ引き返そうと踵を返した。


「おねーちゃんっ。こんな朝早くにどーしたのぉ?」

「ありゃりゃ。迷子かな?」

「おーおー、そりゃ大変だ。おじさんたちが案内してやるよ」


 細い路地の向こうから、下卑た男たちの笑い声が聞こえた。テンプレ通りのゴロツキである。

 リズは無視して走り出す。


「おいおい、親切を無視するなよ」

「可愛い顔してるねぇ。一緒に遊ぼうぜ」


 男の1人が前に回り込んで来て、リズは足を止めざるを得なくなった。

 既に疲弊しているリズでは振り切れそうにない。


「……どいて」


 お守りがわりに、訓練で使う木剣を腰に携帯している。その柄に手を添えた。

 しかしリズは、訓練以外でこの剣を握ったことはまだ無い。しかもこちらは体力を消耗していて、相手は大柄な男が3人。


(怖……くない……!)


 蒼風国にいた頃とは違う。

 吉良が連れ出してくれたこの国で、やり直すと決めたのだ。

 リズは汗ばむ手で、木剣の柄を握り締めた。


「ーーあれ? あんた、こんな所で何やってんの?」


 男たちの後ろから聞こえたのは、なんだか聞き覚えのある声だった。

 リズは木剣は握ったまま、視線だけをそちらへ動かした。


「あなた……」


 先日、リズの財布を盗んだ男の仲間である。


「おい、ラリィ。お前、このかわい子ちゃんと知り合いか?」

「いや、知り合いっつーか……」

「俺らにも紹介しろよ! そうだ、一緒に次の店行こうぜ。何もしないからさぁ、へへへ」

「紹介って……」


 困った顔でリズを見るラリィ。リズは緊張した顔でラリィを見据えている。


「オレの友達だよ。オレに用事があって来たんだよな? だからレオ、あんまり怖がらせるなって!」

「トモダチだぁ? お前、何人友達作る気だよ。その子、堅気だろ?」

「堅気でもヤクザでも、オレはオレの好きな奴と友達になるんだよ! ほらほら、酔っ払いは帰って寝てろ」


 レオと呼ばれた男とその他2人は、ラリィに背中を押されて去って行った。

 3人の姿が見えなくなった後、ラリィは軽く息を吐いて、人差し指をリズに突き付けた。


「こんな時間にこんな場所を独りで歩いてちゃダメだろ。襲ってくださいって言ってるようなもんじゃねーか。……それとも、そーゆーの期待してた?」

「違……っ! ま、街のことよく分かってなくて……」


 近付いてきたラリィからは、濃いアルコールの臭いがした。あの男たちと一緒に酒を飲んでいたのだろう。

 リズの手は、まだ木剣を握ったままである。


「それ何? 剣?」

「……これは……訓練に使う木剣」

「訓練? もしかしてあんた、剣士?」

「練習生だけど……」

「へぇー」


 ラリィはリズを上から下まで眺めた。

 リズは次に来る言葉を予想する。


 笑って馬鹿にするか、やめておけと心配するかのどちらかだ。それ以外のリアクションは、今のところ見た事がない。


 そしてラリィは、底抜けに明るい笑顔を浮かべ、言った。


「いいね。カッコいいじゃん」

「……え?」


 言葉を失うリズ。


「剣士って、魔物と戦うんだろ? すげーじゃん! カッコいいじゃん! オレが魔物に襲われたら助けに来てよ」

「う……うん……」

「そうだ、あんたの名前は?」

「由……あ、えっと……リズ」


 リズは驚きと、どこか懐かしさの入り混じった感情に混乱し、思わず名乗ってしまった。


「リズ。この間のこと、まだ怒ってる?」

「え? あぁ……財布のこと?」

「それ。ヴィンスに悪気は……まぁ、あったんだけど、あいつそんなに悪い奴じゃねーんだよ」


 リズは考える。ヴィンスに腹は立ったし、逃げ出したことも許し難い。

 しかし。


「……助けてくれたから、今回は許してあげる」

「ありがと! じゃあ、オレと友達になってよ」


 ラリィはニッコリと笑って手を差し出した。

 リズはその手をまん丸な目で見下ろす。

 そして言った。


「い……嫌よ……」


 こんな治安の悪そうな場所で、治安の悪そうな大人と酒を飲んでいる治安の悪そうな少年を、信用など出来るわけがないではないか。


「やっぱり? そりゃそっか!」


 リズはあっけらかんとしたラリィに背を向け、走り出した。


(変な人……)


 少しだけ後ろを振り返ってみると、ラリィは笑顔で手を振っていた。

 慌てて顔を元に戻し、前を見て走る。


 ーー友達になってよ。


 その言葉が何度も頭の中に鳴り響いて、リズの胸を熱くする。


(友達……初めて言われた)


 それに、なぜだろうーー吉良を思い出す。

 リズは足を止め、振り返る。

 ラリィは背を向けて、路地に入っていくところだった。


 リズは異国の地で独りぼっちだった。練習生は年上のガサツな男ばかりで、友達になどなれる気がしない。

 だから、気がついたら叫んでいたのだ。


「友達っ! なってもいいよ!」


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