スラム街
ーー乗り合い馬車に乗った3人は、街の中心地から随分と離れた場所で降りた。
明るくて賑やかな繁華街から離れれば離れるほど、周囲の景色はくすみ、道端のゴミは増え、雰囲気は暗くなって行く。
いかがわしい店や、シャッターの降りた通りも超えて、3人はどんどんと奥へと進んで行った。
「どこまで行くんですか? なんか……やばくないですか?」
道端で倒れている人間がいる。酒に酔っているのか、クスリでおかしくなっているのか、壁に向かって怒鳴っている男もいる。建物のガラスは割れ、とにかく治安が良さそうには見えない。
「スラム街だからなぁ。あ、金目のもんに気をつけろよ。盗られるからな」
「スラム街……」
固唾を飲むウィル。
魔物は見慣れていて怖いとは思わないが、こういう場所には慣れていない。
「とうちゃーく!」
と、ラリィが足を止めたのは古びた教会のような建物だった。
やはり窓ガラスは割れていて、入り口のドアも外れて横に立てかけられている。教会のシンボルも外されているので、何を信仰していた教会なのかもわからない。
「ここ……ですか?」
ウィルはリズを横目で見る。リズは複雑な顔で、少し微笑んでみせた。
「大丈夫。ただの炊き出しの手伝いだから」
「炊き出し?」
3人が教会の中に入ると、途端にいい匂いが漂ってきた。
入り口を潜ってすぐの大聖堂。その祭壇の前に巨大な寸胴鍋が置かれていて、数人が鍋をかき混ぜたり、食材を切ったりしている。更にボロボロの長椅子には、老若男女、大勢の人間が座っていた。
「ラリィ! 遅かったじゃない!」
鍋を混ぜていた女がウィルたちに気が付き、近寄ってきた。
ラリィより少し年上の女で、ウィルは彼女に見覚えがある。
「あれ? あんた……」
「あらやだ、ウィルも来てくれたの? ありがとう! あ。あたしのこと、わかる? ジーナよ!」
「やっぱり! 食堂の!」
寮の食堂で調理をする彼女を、何度か見たことがある。
「……リズも来たんだー」
「何か手伝えることがあれば、手伝うよ」
「あんた、壊滅的に料理が下手なんだから、調理には手を出さないで。配るのを手伝って」
一方、リズには冷たい目を向けるジーナ。リズは意に介さず、ニコリと笑った。
「おうおうおう! ラリィ! 元気そうじゃねーか!」
ジーナの後ろからやってきたのは、がっしりとした体格の中年男性。大きな声で笑いながら、ラリィの頭をがしがしと撫で回す。
「レオ! 相変わらず声がデカいなぁ!」
「俺の声が小さくなる時は、死ぬ時だけよ! おぉ、嬢ちゃんもまた美人になったな! 一発ヤらせてくれよ!」
「久しぶり、レオ。相変わらずデリカシーが無いわね」
「あっはっはっ!」
リズのお尻を触ろうとしたが、その手はガッチリ掴んで阻止され、レオは豪快に笑う。それからウィルに視線を移した。
「この坊主はどこで拾ったガキだ?」
「オレの後輩。史上最年少の守護剣士って、聞いたことねーか?」
「おーおー! 小耳に挟んだことがあるぜ! このチビ助がそれか!」
「チビじゃねーよ!」
ラリィと同じように頭をくしゃくしゃと撫でるレオの手を振り払うウィル。
「そうかぁ、二人も守護剣士を連れて来てくれたのか。立派になったなぁ、ラリィ」
「年取って涙もろくなってんじゃねーの?」
目頭を指で押さえるレオに、ラリィは笑いかける。それからキョロキョロと周りを見渡した。
「ヴィンスは?」
「買い出しに行ってる。もうすぐ戻ると思うぜ」
荷物を適当な椅子に置くラリィを見ながら、ウィルはリズに耳打ちする。
「どういう場所なんですか、ここ?」
「ラリィの実家……みたいなものかしら」
「実家って……?」
改めてウィルは教会の中を見渡した。とても人が住める環境ではなさそうに見える。
「このスラム街で育ってきたのよ。あのレオが父親代わり。ラリィとジーナと、あとヴィンスっていうのがいて、三人ともここで育った幼馴染」
「本当の親は?」
「さあ? 生き別れたのか捨てられたのか、気付いた時にはここに居たって言ってたわ」
「リズ先輩、ラリィ先輩のことに詳しいですね」
「詳しいって言うか……私が練習生だった頃から知ってるから」
と言うことは、その時はまだラリィは剣士ではない。
「この炊き出し、ラリィとジーナが定期的にやっているの。今もここで生きている人たちに、温かいものを食べてもらいたいんだって。グリーンヒルの孤児院の環境も良くしたいって言って、給料のほとんどを寄付したりね。ホント、馬鹿」
呆れた顔でラリィを見るリズの隣に、ジーナがすっと寄ってきた。
「ちょっと。ラリィに熱い視線を向けないでもらえる?」
「いや、全然そういうのじゃ……」
「同じ班だからって、ラリィに手ぇ出したら締め殺すからね」
ウィルはすぐに、ジーナがラリィに好意があることに気付いた。
「ラリィ先輩今フリーだし、付き合っちゃえばいいじゃん」
「なっ! ば……っ! そ、そ、そんなんじゃないし!」
「あー、でも、年下好きだしなぁ。いや、リボンさえ似合えばイケそうな気も……」
「リボン……」
ジーナは、ラリィの荷物から覗いているリボンの少女のぬいぐるみを見る。それから困ったように眉根を下げた。
「ロリコンだからねぇ、ラリィは」
「リズ、ウィル! こっちでガキ共に守護剣見せてやってくれよ!」
いつの間にか子供たちに囲まれていたラリィに呼ばれ、二人は移動する。
「剣士のおねーちゃん! また来てくれたんだね!」
「リズちゃん! 刀見せて!」
「次こそ刀持ち上げてみせるから!」
あっという間に子供たちが集まって来た。
リズは笑顔で守護剣を出すと、床の隙間に突き刺した。
「刃は危ないから気を付けてね」
小さな女の子から少年まで、キラキラした顔で刀を眺めたり、刀を抜こうと柄に手を掛け、全力で引っ張ったりする。
「なぁ、お前も剣士?」
「お前って……」
明らかに年下の少年に声をかけられて、ウィルの顔が若干引き攣る。
「そのおにーちゃんも守護剣士サマだって、ラリィが言ってたよ!」
「嘘だぁ! だってチビじゃん!」
「こんな弱そうなチビが、剣士なわけないよ!」
「クソガキばっかじゃねぇか……!」
ウィルは額に青筋を浮かべながら、手の中に守護剣ヴァルキリーを出現させた。
「うぉぉぉぉ! すっげー! でっけー!」
「なんだそれ、カッコいい!!」
「すごい、すごい!」
態度が一変する子供たち。
羨望の眼差しを受け、ウィルは満更でもない様子。
ラリィは楽しそうな子供たちを、離れたところから嬉しそうに眺めていた。
「ラリィ!」
入り口の方から声がした。
ラリィはそちらを振り返り、駆けていく。
「ヴィンスー!」
「元気か、ラリィ! 体調崩してないか? ちゃんと生きてるか?」
ラリィと同じ年頃のその男は、心配そうにラリィの体をベタベタと触って確認する。
「大丈夫、生きてるよ! マジで大丈夫!」
「いや、でもさ、オレ、本当に取り返しがつかないこと……」
「いつまで気にしてるんだよ! もういいって! オレ、ヴィンスのせいだと思ったこと一度もねーから」
「ラリィ……」
ヴィンスはリズの姿にも気付くと、恐る恐るといった様子で近寄って行く。
「あの……リズさん。ご無沙汰してます。今日もまた来てくれて、ありがたいっす」
「……前回、子供たちにまた来るって約束したから」
心無しか、リズの声は冷たい。
「えっと……」
「私に申し訳なさそうにされても困るわ」
「……はい」
「ってかヴィンス? あの子は新入り?」
ラリィに言われて、ヴィンスははっとして振り返る。
教会の入り口に、少女が立っていた。
「そうだった。さっき見かけたんだよ。ホテル街で立ちんぼやっててさ。ヤバそうな奴に声掛けられそうだったから、思わず連れて来ちゃった」
「立ちんぼって……ガキじゃん」
少女はまだ十歳に満たない。癖毛混じりの柔らかい髪をした少女である。
ラリィは黒猫のパペットを手に嵌めて、少女の前にしゃがんだ。
「はじめましてニャ。どこの縄張りの子ニャ? 元締めは誰ニャ?」
器用にパペットを動かし、裏声を使って少女に尋ねた。
少女は首を傾げ、両手でパペットを探るようにして触る。ラリィは少女の顔を覗き込み、訝しげに眉根をよせた。
「じょーちゃんの名前は?」
「……フォト」
「フォトね。目、見えてる?」
フォトと名乗った少女は、焦点の合わない目でラリィを見つめる。
「ちょっと、だけ」
「家は? ある?」
「ハルト……ブルグ。ここは……?」
「グリーンヒルだけど……」
ラリィは困ったようにリズを振り返った。
「ハルトブルグはここから馬車で一週間くらいかかるわ。ひとりで来たわけじゃないよね?」
「パパと、ママ」
それを聞いて、ラリィはほっとした。
「なんだ、迷子か。目が見えにくいから道に迷ったのか?」
フォトは少し困ったように言葉を詰まらせながら、ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
「パパに、お金を稼いで来なさいって言われたの。あそこに立って、声を掛けて来た人の言うことを聞いていれば、お金が貰えるからって」
「それ、フォトの本当のパパか?」
フォトは頷く。
「な? 良くない感じだろ? 取り敢えずほっとけないから連れて来ちゃったんだけど……」
「ほっとけねーなぁ。ひとまずパパに話つけに行くか」
「それであんたの気は晴れるかもしれないけど、その後この子が酷い目に遭うかもしれないでしょ」
リズはフォトの手を引いて、椅子に座らせた。
ひどく痩せている。そっと袖を捲ってみると、大きな青あざがあった。
「お腹は空いてる? 一緒にご飯、食べようか」




