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I'll  作者: ままはる
第四章
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空洞の獣③

「げっ……! 妖!?」


「それ以上近付くなよーーって、リズ!? どうした!?」


海斗の背中におぶさったリズを見て、ラリィは驚きの声を上げた。

海斗はその場にリズをゆっくりと下ろす。

青白い顔で脂汗に濡れたリズは、力無く地面にへたり込んだ。両耳を塞ぎ、息も荒い。

セイルがリズの顔を覗き込むが、目の焦点が合っていない。


「おい、何があった?」


「黒髪の男と話した後、こんな風になったんだ。時々意識がはっきりするんだけど、ずっと何かが聞こえているみたいで……」


「黒髪の男……弥月(みづき)か」


「そいつだ! 樹海に魔物の赤ちゃんを置いて来たとか、魔物の母親は由利だとか、なんかそんな事を言ってたと思う」


「魔物……」


ウィルは獣に目を向ける。この獣、現れた時は赤子のような姿をしていた。


「も……ヤだ……! 痛い……っ!」


体を丸めて苦悶の表情を浮かべるリズ。


「リズ! リズ! しっかりしろ!」


「リズ先輩!」


ラリィとウィルが声を掛けるが、まるでリズには届いていない。

セイルはリズの胸ぐらを掴み、彼女の頬を強く叩いた。


「うわ……」


思わず引くゼン。


「セ……イル……?」


「何が起きているか説明しろ」


リズの意識が戻った。セイルは胸ぐらを離して、赤くなったリズの頬に手を当てる。


「ずっと、頭の中で声がしてる……気が、おかしくなりそう……」


「……?」


ウィルは横目で獣を見た。獣はリズの方に体を向け、ピタリと動きを止めている。


「昔の……嫌な、感触……気持ち、悪くて……っ」


また頭の中の声が大きくなる。


『ほら、足を広げなさい』


自分の中に、無理矢理入ってくる感覚。

気持ち悪い。

気持ち悪い。

気持ち悪い!!


「……すけて……! 嫌だっ! 嫌!」


また意識が飲まれた。

それと同時に、獣がまた一回り大きくなる。リズの悲鳴に呼応するように、獣は遠吠えを上げた。


「この魔物、リズ先輩と共鳴してる……?」


「由利と共鳴?」


ウィルは頷き、続けた。


「リズ先輩が正気を保っていれば、この魔物は大人しい。けど今みたいに感情が昂るほど、こいつは成長していく」


「その仮説が正しければ、面倒臭いことになるかもな」


セイルの言葉とほぼ同時に、獣が地面を蹴って大きく飛んだ。


「由利!」


「馬鹿野郎! お前はこっちに来い!」


リズに駆け寄ろうした海斗の手を引いて、ウィルは獣との距離を取る。

ラリィがリズを抱き上げようと手を伸ばしたが、黒い稲妻がそれを阻んだ。


「リズ……!」


獣がリズの前に立ち塞がる。

リズに立ち上がる力は無く、獣の姿も見えていない。

ゼンが助けに行こうとするが、獣は長い尻尾を振り回して接近を拒絶した。


「リズ先輩!」


無我夢中でウィルが走った。風を切って振り回す尻尾を、守護剣で斬り捨てる。


「ガアァ゛ァア!」

「あぁぁぁ!」


獣とリズが同時に悲鳴を上げた。


「リズ先輩!?」


頭を抱え、痛みに震えるリズ。


「やはり、そいつの痛みもリズに共鳴しているんだろう」


「それじゃあ、どうやって倒せばいいんだよ!?」


ラリィは獣の足元にいるリズに目を向ける。兎に角リズを安全な場所に移動させなければ。


「由利! 由利!」


「待て……! 魔物の母親がリズだと言うなら……無闇に攻撃はされないはずだ……!」


危険を顧みず走っていきそうな海斗を、ゼンが引き止めた。

既に五メートルはある巨大な獣は、まるでリズを守るように足元に囲っている。


「リズ! こっちに来い!」


ラリィが叫ぶ。

しかしリズは、ぐったりと首を垂れて動かない。


「誰か助けて……誰か……」


獣がリズに顔を近付けた。

彼女のすぐ横に、真っ暗なブラックホールがある。


「リズ先輩!」


あの穴に吸い込まれたら、どうなるのかはわからない。しかし絶対に無事では済まないだろうと思う。

リズはゆっくりと顔を上げた。

その目に、獣の金と黒の毛並みが映る。


「吉良……」


金と黒のまだら髪。

酒と煙草の臭い。

見た目は怖いのに、笑う時はちょっと首を傾げる癖があって可愛かった。


「吉良さん……!」


ただ毎日が虚しくて、苦しくて、辛くてーーあの時救ってくれたのは、唯一吉良だけだった。

あの日襖を開けて現れた彼は眩しくて、身体を拭いてくれた手は温かかった。


「会いたいよ……!」


だけど彼はもういない。

リズが髪を染めたって、もう探しに来てはくれない。助けてくれない。


(私……十八になったよ)


まだこんなにも、貴方が好きだ。

本当に結婚して欲しいわけじゃない。ただ側にいて欲しい。あの時みたいに、抱きしめて眠ってくれるだけでいい。


リズの手が、獣の首元に触れる。


ーー吉良のいない世界では、生きられない。


「リズ先輩!」


ウィルが走る。

初めて会った時、『頑張ったね』と言ったリズの声が、ウィルの耳の奥に蘇る。

失いたくない。

絶対に。


(もう真っ平ごめんなんだよ!)


「俺がリズ先輩を助ける! 先輩が困った時は、いつでも俺が助けるから!」


黒い稲妻がウィルの太腿を掠った。痺れるような痛みが走るが、ウィルはそのままリズに手を伸ばす。

獣が爪を立て、ウィルを引き裂こうと前脚を振り上げたが、その前脚にラリィが飛びついた。


「リズ! しっかりしろよ、バカ! オレらの班長だろ!」


獣はラリィを振り解こうと前脚を高く上げる。しかしラリィは両腕、両足をしっかりと絡めて離さない。

更にゼンも、反対側の前脚にしがみ付いた。


「リズ……!」


「救いようのない阿呆だな!」


セイルは獣の背に乗り、首に腕を回す。

暴れ回る獣を、三人が力づくで押さえ付けた。


「リズ先輩! 頼むから戻って来い!」


リズを強く抱き締めて、耳元で叫ぶウィル。


「遠征中の俺の楽しみは、リズ先輩と一緒にいられることなんだよ! 先輩は綺麗だし、可愛いし、頭もいいし、俺はそんな先輩が大好きなんだ!」


「ウィ……ル」


リズの涙で霞んだ視界に、後輩の顔を映った。その向こうに、必死で獣を押さえる三人の姿。


「ゼン……セイル、ラリィ……」


獣の動きが緩やかに止まる。


「由利……! 由利はもう独りじゃないよ! 助けてくれる人が、こんなにいるじゃないか!」


海斗の声。


「悔しいけど……! 本当に悔しいけど、吉良は由利を救い出したんだよ、あの国から! 吉良の想いを無駄にしないでくれよ!」


「っっ!」


また涙が溢れて零れ落ちる。

蒼風国を出たあの日、吉良は約束の場所には来なかった。行けないかもしれないと薄々感じていたのかもしれない。だから仲介人に、リズだけでも出発するように伝えたのだろう。


リズはあの国にいてはいけないとーー本当に彼女を救いたいと、思っていたから。


「ごめん……ごめんね、みんな。吉良さん……」


ウィルの体が温かい。

リズはウィルの頭をくしゃくしゃと撫でると、静かに立ち上がる。


「……もう、大丈夫」


頭の中の声はまだ鳴り響いているけれど。


リズは獣を見上げる。

顔の真ん中の空洞は、吉良とリズの心の中にあった暗闇のようだ。

吉良とリズは似ていた。あの国に馴染めず、苦しみ、足掻いていた。

だからこそ惹かれあったのかもしれない。


「助けてくれてありがとう、吉良さん」


獣の胸に、ゆっくりと守護剣村雨を突き刺す。

リズの胸にも、抉るような痛みが走った。

きっとこの胸は、吉良を思い出すたびに痛むのだろう。これからも、ずっと。

獣は悲鳴を上げることもなく、まるで霞のように静かに消え去った。それと同時に、リズの頭の中の声も消失した。

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