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I'll  作者: ままはる
第四章
40/114

40.一夜の

⭐︎


 シャワーを浴びて魔物の血と臭いを洗い流した後、リズはウィルたちの部屋に向かった。


 既に宿の食堂で夕食を終えた彼らは、ビールを片手にカードゲームで時間を潰していた。


 リズの方を振り返ったウィルだったが、さっきの涙が頭を過り、すぐに目を逸らした。


「海斗は?」


「あー、同じ宿。305号室だって。部屋、行くの?」


 ラリィの答えを聞きながら、リズはテーブルの上にあった誰かの飲みかけのビールを一気に飲み干す。


「馬鹿! お前、酒飲めないだろ!」


「……うるさいなぁ」


 慌ててラリィがグラスを取り上げ、リズは低い声でぼやいた。


 それから左手を前に出し、守護剣の精霊村雨を呼び出す。


「主様。お呼びでしょうか」


 折り目正しく頭を下げる村雨に、リズは目を合わせないまま告げた。


「村雨。しばらくここにいてくれる?」


「はい。承知いたしました」


 もう一度頭を下げる村雨を置いて、リズは部屋を出た。


 しん、と束の間の静寂が訪れる。


「……俺は――」


 沈黙を破ったのは、ゼン。


「女性と会う時は、シュイを解放してから行くのだが……」


「あ。わかります。俺もデートの時は、キリーは置いていきます」


 同調するウィル。


 一同、同時に村雨を見た。


「どういう意味か理解しかねます。私たちは主の意思で封印を解かねば外には出られませんし、中にいる時は外の様子を窺い知ることはできません。それにも関わらず、私が逢瀬を覗き見るとでも仰りたいのですか?」


「いや、分かってる。分かってるんだけど、気持ちの問題っつーかさ?」


 ウィルのフォローを聞きながら、村雨ははっとする。


「それは……よもや、リズ様は殿方との逢瀬を重ねに参られたということですか?」


「どうだろ? プロポーズを断るだけなら、村雨を置いていく必要ねぇしなぁ」


「……受けに行ったのかも……」


「えー!? リズ、結婚すんの!? うーん……オレ、祝えるかなぁ?」


「俺はリズ先輩の結婚は断固反対ですよ! しかも、あんなぽっと出の奴!」


「お前ら、結婚するかしないかの二択しかないのか」


 呆れた顔で煙草の煙を吸い込むセイル。


「けど……リズ、初めて見る顔してたな」


 ラリィは、リズから取り上げたグラスに視線を落とした。






 喉の奥から胃の中まで、酒が流れ落ちたところが熱い。


 リズは体が火照るのを感じながら、海斗の部屋のドアを叩いた。


 躊躇うように、ゆっくりとドアが開く。


「あ……由利」


「部屋に入っても?」


「もちろん。どうぞ」


 濡れたままの髪のリズがやけに色っぽくて、一瞬だけ海斗の心臓が跳ねた。しかし、リズを泣かせてしまったことが申し訳なくて、さっきまでの勢いはない。


「さっきはごめん。ちゃんと順を追って、ゆっくり話せばよかった」


「まだ何か話すこと、ある?」


「その……吉良のこととか」


「……」


「やっぱり、涙の理由って……吉良? あいつが、その……死んだこと、知らなかったんだよな」


「自殺? それとも殺された?」


 彼が亡くなるとしたら、そのどちらかだとは思っていた。


「ヤバい金に手をつけてたらしくて。それがバレて、多分ヤクザに……」


 リズが吉良との約束の場所に行った時、船を出す船員と、その仲介人がいた。


 正規のルートでは、国の外にはなかなか出られない。吉良が用意した密航に近い脱出だった。


 仲介人は、時間になっても吉良が来なかったら由利を連れて出発してほしいと、吉良から言われていた。


 そして吉良は来なかった。


 その仲介人は吉良から多額の金を受け取っていて、その一部をリズが譲り受けていた。


「……自殺じゃなくてよかった」


「この際だから聞くけど、由利と吉良ってどういう関係? やっぱりその……付き合ってた……?」


 リズは笑う。


「キスしたこともないよ」


「そう、なんだ……」


「でも、私は好きだった」


「……だよな」


 リズはそっと両手を伸ばし、海斗の頬に触れる。


 細くて長い指が輪郭をなぞり、海斗は体を強張らせた。


 ぞっとするほど、リズは綺麗だった。


「やっぱり兄弟だね。似てる」


 そう言って、海斗の唇に自分の唇を重ねた。


「っ!? え……?」


(せい)には戻りたくない。あそこは私には息苦しい」


「あの……っ」


 狼狽える海斗の体をベッドに押し倒し、その耳元で囁く。


「……する?」


「っ! ま、待って!」


「しないの? 私のことが好きなのに?」


「好きっ……だけど!」


 海斗の心臓が、痛いくらいに音を立てる。


 由利にずっと触れてみたかった。いつも寂しそうなその瞳に、自分を映してみたかった。


 長い睫毛、優しい声――脳裏に焼きついた彼女の全てが愛おしくて、たまらなく愛おしくて、この何年も海斗を苦しめ続けてきた。耐えきれず国を出る方法を模索し、見知らぬ土地へ探しに来るほどに。


「でも、こんなのは……」


 消え入りそうな声で呟いた海斗から、リズはゆっくりと体を離した。


「兄弟揃って、意気地なし」


「……俺は……吉良じゃないよ」


「……」


「『リズ』って、あいつが呼んでた名前だよな。あいつがなりたかった(りょく)の剣士になって、あいつが迎えに来るのを待ってた? なんでそんなにも、あんな奴のこと――」


「私には、吉良さんが全てだった」


「吉良は由利が思ってるような人間じゃない」


「なんでそんなこと言うの?」


「弟だからだよ! あいつの中身は空っぽで、いつもそれを何かで満たしたがってた。無茶苦茶なことばっかりして、俺が巻き込まれることなんて、これっぽっちも考えてない!」


 兄が嫌いで仕方がなかった。吉良が仕掛けた喧嘩の報復を、海斗が受けることもあった。吉良が原因で別の孤児院を追い出されたこともある。挙げ句の果てに、由利までをも奪っていったのだ。


「私も吉良さんと同じ、空っぽだよ」


 いつの間にか、心に空いていた大きな空洞。満たされず、何も感じず、渇いているのに水を望むことすらも忘れていた。


「吉良さんだけが、満たしてくれた。吉良さんになら全部あげてもいい。たとえ騙されていたのだとしても、それが吉良さんのためになるのなら、それでよかった……っ」


 また涙が溢れてきた。胸が苦しくて、苦しくてたまらない。大声を上げて叫びたいのに、息を吸うことすら痛い。


 十八歳になったら結婚しようと言ったのは、吉良なのに。


「ごめん。ごめん……! 俺、ずっと由利が孤独だったことも、院長に何をされていたのかも知ってた……それなのにあの頃は本当にガキで、何もできなくて……由利のことが好きだなんて言う資格、ないよな」


 溺れているように涙を流すリズを、海斗は強く抱きしめる。


 今もなお、こんなにも吉良を求めていたなんて、思ってもいなかった。


(こんなの……勝てるはずがない)


「由利……」


 海斗はリズの涙を拭う。


 時間をかければ、リズは自分を好きになってくれるだろうか。


 それとも。


「俺が、吉良になれば好きになってくれる?」


「海斗は吉良さんにはなれないよ……」


 リズは海斗の背中に腕を回した。


 忘れることはできなくても、せめてその似ている顔で、慰めてくれたなら――


(あ……)


 その一瞬、別の顔が脳裏に浮かんだ。


 以前ひとりだけ、吉良に似ていると思った人物がいた。それを唐突に思い出して、リズは吐き気を覚える。


「待って……ホントに吐きそう……」


「え? え!?」


 酒が回ってきて、視界がぐらぐらと揺れていた。口元を押さえ、リズは洗面所に走る。冷たい水を顔に浴びせた後、鏡に映った自分を見て、自嘲した。


(酷い顔……)


「大丈夫?」


「……ごめんね、やっぱり部屋に戻る」


 嘔気を堪えながらドアを開けると、部屋の外のすぐ近くに、ラリィとウィルの姿があった。


「よっしゃ。オレとセイルの勝ち! 今度の焼肉はウィルとゼンの奢りな!」


「マジかぁ……不本意だけど、絶対ヤると思ったのに……」


「何やってるの」


 低い声で尋ねるリズ。


「リズが海斗とセックスするか賭けてた」


「最っ低!」


 馬鹿正直に答えるラリィの急所を蹴り上げて、リズは自室へと戻っていった。

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