頭のおかしな民間人?
「あ。先輩。あいつです」
ウィルが指を差したところにいたのは、ラリィに地面に押さえつけられながらも暴れる、黒髪の男だった。
「魔物の駆除をしててあぶねーって言ってんのに、なんかユリがどーのこーのって、言う事きかねーの」
「何かを……探しているらしいが……」
ゼンも困惑した様子で、男を見下ろしている。
「放せっ! お前ら、緑国のサムライだろ!? これだから外国人は野蛮で嫌いなんだ! ユリを知らないかって聞いてるだけじゃないか!」
男の言い回しに、リズの眉が跳ねた。
「あなた、蒼風国の人?」
「ああ、そうだ! ちょっと、痛いって……」
顔を上げてリズを見上げる男。そしてそのまま、ピタリと動きが止まった。
リズの顔を凝視し、口を開けたり閉じたりしている。
「あ、か、かみ……髪……え……?」
「ほら、頭がおかしいでしょ?」
「だな」
囁くウィルに、頷くセイル。
「ゆ……由利?」
「え……?」
「如月由利! 俺……覚えてないかもしれないけど、海斗! 霜月海斗!」
リズは目を大きく見開いた。
「ラリィ、放してあげて。この人、私の知り合いだわ」
「リズの?」
ラリィが力を弱めると、海斗と名乗った男は慌てて立ち上がった。
「海斗……なんでこんな所に……」
「由利に会いに来たんだ! 由利だよな? 間違いないよな!?」
「え、えぇ? ちょっと、海斗!?」
と、興奮気味の海斗は、リズを思い切り抱き締める。
「おい、コラてめぇ! 気安くリズ先輩に触るな!」
「リズ……?」
海斗はリズを放すと、その顔を覗き込むように、もう一度よく見た。
「リズって……名乗ってるの?」
「……うん」
「嘘だろ……」
「リズ? どゆこと? ユリって?」
疑問符だらけのラリィ。
リズは、自分でもよくわからないこの状況をどう説明しようかと思案する。
「取り敢えず、街に戻りましょうか」
「私、蒼風国出身なの」
樹海の外で待たせていた馬車に乗って、滞在中の街へ戻る一行。その馬車の中で、リズが口を開いた。
「『如月由利』は、そこでの私の名前。蒼風国の孤児院で育ったんだけど、その孤児院で一緒だったのが、彼。霜月海斗」
海斗は憮然とした顔で小さく頭を下げた。
「でもリズ先輩って、蒼風国の人っぽくないですよね?」
蒼風国の人間は、そのほとんどが海斗のような黒髪で、肌の色も少し違う。小さな閉鎖的な島国で、着る物や家屋など、独特の文化を持った国である。
「蒼風国の血は入っていないのだと思う。生まれた時に捨てられて、父親も母親も誰なのか知らない。ただ『由利』って名前が書かれた紙だけが、一緒に置いてあったらしいわ」
両親に関しては、どんな人たちなのか興味はあるが、特段会いたいと思ったことはない。
「あの国にいたのは、四年前の十四歳まで」
「ある日突然、急にいなくなったんだ。みんな由利のこと探したんだよ」
「みんな……ね」
リズの呟きに、海斗は一瞬だけ目を逸らした。
「そ、それで、一年前くらいだったかな。風の噂で、緑の守護剣士? とかいうサムライが、紫の目をした綺麗な女だって聞いて」
蒼風国では、他国を色で呼ぶことが多い。イシュタリアは『緑』、ティルアは『赤』、自国のことは『青』と言う。
「そう言えば昔、緑のサムライになるって……『あいつ』が言ってたのを思い出して。だから、まさかと思ってダメ元で来てみたんだ」
船で海を渡り、グリーンヒルに向かう途中で、近くに剣士がいるという話を聞いた。
「あの樹海で妖狩りをしてるサムライがいるって聞いたから。サムライたちに直接聞けば、由利のことがわかるかと思ったんだよ」
「だからって、丸腰でのこのこ入って来られたら迷惑なんだよ」
「それは後先考えて無かったと思う。迷惑をかけて悪かった」
ジト目でウィルに言われて、海斗は頭を下げる。
「本当に出会えるなんて思ってなかった。だって、由利がサムライだなんて……それに、髪……」
リズの紫の髪を、哀しげな目で見つめる。
「そんな髪、由利らしくないよ」
「そう? じゃあ次は黒にしてみようかな」
「じゃなくて! 由利は、何もしないままが綺麗……なんだ」
「ありがとう」
ニコリと微笑むリズ。
海斗は赤くなる顔を両手で押さえた。
「海斗とこんなに喋るの、初めてね」
「……あの頃は、俺、ホントにガキだったから……でも、由利のこと本当に忘れられなくて……」
足元に視線を落とし、口を閉ざす海斗。
その横顔を見て、リズは突然心臓を冷たい手で掴まれたような、そんな妙な感覚を覚えた。
(……嫌な予感って、こう言う事か)
リズは何度か心の中で躊躇った後、口を開いた。
「……吉良さんは?」
「死んだ、よ」
「……そ」
静かに窓の外に視線を向けるリズ。
ガタガタと馬車が揺れる音だけが流れた。
「……え、何? 何でこんな暗い感じなの? 久しぶりの再会なんだろ? なんかもっと、明るい話題とかねーの?」
なんとか場の空気を良くしようと、ラリィが努めて明るい声で言った。
すると海斗は意を決したように顔を上げ、リズの手を取る。
「由利。結婚しよう」
「ぶっ……!」
水筒の水を飲んでいたゼンが吹き出した。
「違う違う! 明るい話題って言ったけど、いきなりプロポーズしろとは言ってない!」
「海斗、何を言っているの?」
「四年間ずっと、由利のことを考えてた。いや、由利がいた頃からずっと、由利のことが好きだった! 今すぐ結婚して欲しいとかじゃなくて、とにかく一緒に青に帰ろう!」
「無理よ」
「どうして!?」
「……こういう話は、二人きりでして欲しいものだな……」
「俺たちが見えていないんだろ」
呆れ返るゼンとセイル。
「私、守護剣士なの。自分の意思で辞められないのよ」
「じゃあ逃げよう!」
「頭のネジのぶっ飛び方が、ラリィ先輩以上だ……」
「海斗。お願い、やめて」
静かな声で言うリズ。
その頬に涙が一筋流れて、馬車内の全員がぎょっとする。
「ゴラァ! 土下座しろこの野郎!!」
「あ、えと、ご、ごめん! 悲しませるつもりはなくって……!」
「リズ? え? リズ? ど、ど、どした?」
「ち、違うの……これは……」
慌てて頬を拭い、顔を逸らす。
ーー馬車が街の入り口で止まった。
「由利……」
「ごめん、先に行って。あの人たちに泊まってる宿を教えておいてくれたら、後で訪ねるから」
「でも……っ!」
「ほい、海斗。しつこい男は嫌われるぞ? 折角だし、一緒に飯食いに行こうぜ!」
ラリィに背中を押され、馬車から引き離されていく海斗。
「俺たちも宿に戻るぞ。リズのことは放っておけ」
「はい……」
馬車から降りて力無くベンチに座り込んだリズを、ウィルは心配そうに遠目に見る。
「プロポーズされたのがそんなに嫌だったんですかね?」
「……誰か死んだと言ってなかったか」
ーー吉良さんは?
ーー死んだ、よ。
リズの頭の中で、この短い会話が何度も反芻する。
(……分かってた)
きっともう、生きていないこと。
分かっていたけど、足掻いていたかった。知りたくなかった。
リズは夕焼けに染まり始めた空を仰ぐ。
「私、何やってるんだろ……」




