子猫と
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その日の深夜。
ウィルは部屋でシャワーを浴びて、左肩を剣士隊の救護室で処置して貰った後、寮から少し離れた人気のない公園にいた。
「ほい、お土産」
ウィルの足元にやって来た野良の子猫に、ソーセージを投げ渡す。
猫はニャアと小さく鳴いて、ソーセージに齧り付いた。
ーーウィルが部屋に帰らない日は、この公園にいることが多かった。
誰も来ないし、寝転ぶのに丁度いいベンチもあるし、耳をすませば遠くの波の音が聞こえてきて気持ちがいい。
ウィルはいつものように、ベンチに寝転んで星空を見上げる。
目を閉じて海の音を聴いていると、ソーセージを食べ終わった子猫が、ウィルの胸の上に乗ってきた。
その子猫のふわふわした背中を撫でていると、いつもは誰も来ないはずのここに、ゆっくりと近付いてくる足音が聞こえてきた。
「ホントに子猫とニャンニャンしてたのかよ」
ラリィの声。ウィルは目を開けて、体を起こそうとした。
その時ーー
「っっっっ!!?」
思い切りラリィに股間を蹴り上げられ、声も出ずにウィルは地面に転がり落ちた。
「っって……め……! いきなり何……」
ラリィはいつもとは違う冷たい目でウィルを見下ろしながら、煙草に火をつける。
「お前、誰の女口説いてんだよ」
煙をウィルの顔に吹き付ける。
(え? は? これ、あのラリィと同一人物?)
ヘラヘラと笑っているラリィの姿は微塵もない。恐怖すら感じる、冷えた目と声。
「く、口説いてねぇよ! なんか勝手にあんな感じになっただけだろ!」
「……」
ラリィはもう一度煙草の煙を肺に吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
もう一撃くるかと、ウィルは体に力を入れて身構えた。
「あー……ホントに好きだったのになー……」
肩を落として力無くベンチに座ったラリィは、いつもの彼の顔をしている。
「チェリちゃん守ってくれて、ありがとな」
「……は?」
「頭では分かってんだよ。でも一発殴らなきゃ気が治らなかったってゆーか」
「……キンタマはダメだろ」
「でもこれぐらいしとかなきゃ、同じことがまたあったら嫌じゃん?」
「タマはダメだって」
小さく笑うウィルとラリィ。
驚いて逃げ出していた子猫が、ウィルを見上げながら戻ってきた。
「なんでここがわかったんだよ」
「キリーに聞いた」
「……あいつ」
一度だけ、退屈凌ぎに話し相手としてキリーを呼んだことがあった。
「お前、マジでここで野宿してたの?」
「別に俺がどこで寝てても関係ないだろ」
子猫の喉を撫でながら、またどこか別の場所を探さないといけないなとぼんやりと考える。
「オレと仲良くなるの、怖いの?」
「…………は?」
「その間は図星だろ! あ、そーなんだ? やっぱり、オレと仲良くなっちゃうのが怖いんだぁ?」
「ちが……っ!」
本当は違わない。図星だ。
ラリィは面白い奴だと思った。だからこそカストやアイザックみたいに、また死んでしまうのではないかと思うと怖かった。
「バカだなぁ。オレは簡単には死なねーよ」
「……弱いじゃん。剣の使い方へぼいし」
「へぼいって言うなよ!」
ラリィは乱暴にウィルの頭を撫でる。
「部屋に帰って来いよ。寂しいだろ、オレが」
「……」
「とっておきのエロ本、お前にプレゼントしてやるから」
ウィルは空を見上げる。
ここで星を見ながら寝るのも、そんなに悪くはなかったのだが。
「……寮って、ペット禁止?」
「バレなきゃいいんじゃね?」
ウィルは子猫を抱いて立ち上がった。
「あ。ちょっと待って。チェリちゃんの件で、許す代わりに条件がある」
ラリィは満面の笑顔で、その条件をウィルに告げた。
翌朝、いつものルーティンが始まった。
左肩を負傷しているウィルは、支障のない程度にトレーニングに参加することに。
そしてグラウンドの一角には、いつも通りキリーを含むギャラリーたちの姿がある。
「ウィル君、頑張ってー!」
フリフリリボンファッションをやめたチェリや、
「リズさーん! 今日も輝いていますー!」
昨夜リズに助けられたどこぞの貴族令息の姿もあった。
「リズ、貴族の嫁になれるんじゃねーの?」
「やめてよ」
グラウンドを走りながら、ラリィがリズに言う。
「あんたの元カノ、結構エグいことするのね。完全にウィルに乗り換えてるじゃない」
「まだ傷口は生々しいからやめて……」
ウィルの名前を呼ぶ元カノの声が聞こえる度に、ラリィの胸はごっそりと抉られている。
「あんたが傷つく姿を見るのは快感なんだけど、ウィルとは和解してるの?」
「条件付きだけどな」
「条件?」
二人の後ろからウィルが走ってきた。追い抜きざまにラリィに舌を出す。
「ラリィ先輩、周回遅れですよ。だっせ!」
「ラリィ先輩……ねぇ」
リズは呆れた顔でラリィを見た。
ラリィがウィルに出した条件とは、これである。
自分も『先輩』と呼ぶこと。
「だって! リズもゼンもセイルも『先輩』なのに、オレだけ呼ばれないのは納得いかねーんだもん!」
叫びながらラリィは走るペースを上げた。
ーー一方、既に走り終えたセイルは、グラウンドの端に第三部隊長の姿を見つけて、そちらに向かって歩き出した。
周りに人がいないのを確認してから声を掛ける。
「親父」
「うん? どうした、セイル。勤務時間中に珍しいな」
「『例の件』……ちゃんと断ったんだろうな?」
ライトは小さく息を吐いた。
「約束だったからな。あのお見合いはお断りしたが……爺様が次々と引き受けてくるから、またいつ話が舞い込んでくるかはわからんぞ?」
「そもそもなんで俺に見合いの話を持ってくるんだ。まずはクリスに嫁を取らせろ」
クリストファー=ランクは、セイルの兄である。
「まぁ……うむ。その話はまた、家族揃って相談しよう」
ライトはセイルから逃げるようにグラウンドを出て行った。
第三部隊長ライト=ランク。その次男セイル=ランク。この二人が親子だということは、第三部隊では有名であるが、ウィルが知るのはもう少し先の話でる。




